2011年7月10日日曜日

告知

今日のうちのリビング。
なーんにもありません。
からっぽの空間。
このたび、パリの生活を引き上げることになり、引越しですべてが積み出された。

運送業者の人たちが総勢7人も来てくれて、我が家のすごい量の荷物を梱包してくれて、ベランダからはしごリフトを使って、巨大コンテナに詰めてくれた。

アパートの部屋にある2台のバイクは4人の大男がバルコニーからもちあげて、リフトで下ろされた。お兄さんたちは、今まで色々なアパートに引越しでいったが、バイクのある家は初めてだ、と興奮していた。

バイクが4階からリフトで下ろされる瞬間。

そして地上に降りたバイクはそのままコンテナに入れられた。
アパート内の2台、駐車場にあった2台、合計4台のバイクは何とか詰め込むことができた。まったく大騒ぎな客だ・・・

2日にわたって行われた引越し作業は無事、終了。
この2ヶ月間、パリを去るための準備(アパートや車の売却、引越しの準備など)で怒涛の毎日から、疲労感の方が強く、パリを去る寂しさを感じる暇もなかった。

このブログもパリを去ることにより、今回を最終回とさせていただきます。
今まで、ブログを読んでくださってコメントをしてくれたり、いつも静かにサポートしてくださった友人や家族に心から感謝いたします。本当にありがとうございました。

パリの後はオーストラリアのメルボルンに引っ越しますが、今後の生活の様子はこちらのブログでお伝えする予定ですので、引き続き、よろしくお願いします。

2011年7月6日水曜日

「血液型は何?」の不思議

ちょっと前に、松本前復興担当大臣が「自分はB型なので短絡的なところがある」と発言して、血液型差別を助長すると批判されていたことが、海外のニュースでも大々的に報道されていた。
この血液型と性格は、日本人特有の見方のようだ。

実はMon mari が初めて私の実家に来たときに、私の母は「Mon mari さんの血液型は何型なんですか?」と聞いたら、Mon mari はひどく驚いた。理由は何故、血液型が質問に出るのか全く理解できず、また自分の血液型が何なのか知らなかったからである。私の知る限りでは、日本以外で血液型と性格をつなげる話題を聞いたことはないし、また自分の血液型を知っている人は、特に欧米では少ない。
Mon mari はこの質問が結構ショックだったようで、その後、機会あるごとに自分はこんな質問をされた、と話題にしている。ちなみに、母から血液型を聞かれた直後、たまたま彼は日本で健康診断を受けたが、自分の血液型がA+であることを50数年生きてきて初めて知った。

先週の英ガーディアン紙でも日本人の血液型へのこだわりを特集していた。
一般的に思われている血液型による性格は:

A型:創造的、思慮深い、でも選り好みが激しく頑固。
B型:創造的、情熱的、でも自分勝手で無責任
AB型:社交的、適応性があるが、批判的で優柔不断
O型:付き合いがよく、適応性がある、でも嫉妬深く、傲慢

だそうだ。

もともと、この血液型と性格の関係は、複雑な背景に基づいている。
1920年代、日本の医師が台湾人の41%がO型である一方で、日本人は23%という理由から、台湾人が日本人より劣っている、と診断したことがきっかけだそうだ。でも、科学的な根拠もない偏見に基づいた考えなので、1930年にはこの理論は廃れたが、その後、血液型と性格をリンクさせる考えは広く日本の大衆に広がったそうだ。

でも海外では一般的ではない。
なので、外国人に「あなたの血液型は何?」と安易に聞くのは控えたほうがいいかもしれない。

2011年6月29日水曜日

ロビン・フッドの秘密村

北海に面した、ヨークシャーにある、Robin Hood's Bay (ロビン・フッド湾)。
小さな漁村だが、そのユニークな地形や町並みに人気があり、密かな名所になっている。

ロビン・フッドは中世の伝説上の義賊。
彼がこの村に秘密に船を隠していたというのが言い伝えになり、ロビン・フッド湾と言われるようになったとか。

実際はロビンフッド自身のことより、この町の風景が魅力的なようだ。特に急坂を下りていく傍らに立つ家々。赤い屋根が特徴で、3階、4階建ての家がひしめきあっている。典型的なイギリスの家とはちょっと違う雰囲気。

一歩、表通りから中に入ると小道がたくさんあり、何となく南欧の町並みを思い出す。
入り組んだ道が多いため、初めて来た者は迷うので、友人のお嬢さんのメイちゃんとフランちゃんが案内をしてくれた。

奥にどんどん入るとこんな感じ。そういえば、京都もこんな町並みだったわね・・・どこの国でもこういう町並みってあるのだ。
住民は代々から住んでいる人たちで、お互いをよく知っている、日本の田舎と同じように、玄関のドアはいつも開けっぱなし、隣近所同士は遠慮なく、皆、づかづかと他人の家に入って、お茶を飲みながらべちゃべちゃ世間話をしていく。東京にも昔そんな雰囲気あったな・・・と、懐かしさを感じる。


坂を下りていくと湾に当たる。ロビン・フッドが置いたという船などはもちろんないし、どこに置いたのかも誰も知らないよう。

1日の終わりに皆で夕食。ママが作ってくれたムサカ。やっぱり南欧のお料理が似合う町。
この家もやっぱり玄関は開けっ放し。
フランちゃんの味噌っ歯が限りなく可愛い・・・・

2011年6月28日火曜日

不要な服の行方

マークス・アンド・スペンサー(Marks & Spencer)。
英国のデパート。三越みたいな老舗デパートだがもっと地元に密着している。

久しぶりにM&Sに立ち寄って、麻のブラウスを目にした。Made in Indonesiaで、昔住んでいたインドネシアを思いだしてしまい、20%引きのセールということもあり、思わず衝動買い。

よくよく中のタグを見ると、NGOのOxfamの文字が見える。
あれ、これOxfamのフェアトレード商品かしら、と思い、他の商品も色々と見ると、M&Sの全部の服にOxfamマークがついている。タグには、「Recycle with Oxfam」と書いてある。何をどうリサイクルするのかわからないが、とにかくM&SはOxfamと業務提携をしているのは確かだ。

家に帰り、ネットで調べてみたら、こういう仕組みであることがわかった。
いらなくなったM&Sの服をOxramショップに持っていくと、交換に5ポンドのバウチャーがもらえる。この次にM&Sで35ポンド以上買い物をすると、この5ポンドバウチャーが使える。5ポンドの洋服のリサイクルで途上国へ、蚊帳、8人分の安全で衛生な水、教科書5冊が提供できるそうだ。
詳しくはこちらから。

企業のフィランソロピーはどこでも当たり前になっているが、企業が独自でやるより途上国の経験を豊富に持つNGOとパートナーシップを組んでより効果的に行う点では新しい取り組みと言える。

でも日本で、例えば三越が売っている洋服を日本のNGOと連携し、リサイクルして資金を創出する、なんていう試みはまだ10年も20年も先のことかもしれない。

2011年6月25日土曜日

ヒッピー村

イングランド北部、西ヨークシャーにある、ヘブデン・ブリッジという町。
かつては紡績工業が栄えた場所。運河は物資の運搬などのために使われた。今は、ナローボートが停泊したり、通過したりする観光名所。

なぜ、ここに来たかというと・・・
紡績産業が廃ってから、美しい場所という噂が広がり、60年代から70年代にかけてヒッピーたちが集まって定住し始めてから、別名ヒッピー村とも言われているとか。ということで、ちょっと様子を見に来た。町はとてもきれいで静か、ヒッピーらしき人はみかけなかった。

唯一、レストランでオールド・ヒッピーぽい人が食事をしているのをみかけたが、集団ではいなかった。まあ、いたとしてももう60代、70代の人たち、普通の初老の人たちになって、昔の面影はもうないのかもしれない。

米国でもニューメキシコ州がアーチストたちが集まる地域になっているように、ここでも同じ背景、関心を持つ人たちが集まって暮らす地域があることを知った。

町でみかけた公衆トイレ。
「Public Convenience」、なんと伝統的で意味深な言葉か・・・
最近はこんな言葉、ほとんどみかけない。

2011年6月17日金曜日

食用油の功罪

ロンドンの下水道。レンガ造りで19世紀後半に作られた古い下水施設。
最近、大きな悩みに直面している。
レストランから排出される食用油の塊が1000トンにものぼり、下水を詰まらせる恐れがあるということで、油脂の塊を取り除く大除去作戦が2ヶ月間にわたり展開された。
詳しい様子はBBCで報告されている。
しかし、食用油がこんなところで環境汚染の原因になるとは知らなかった。東京などの他の大都市はどうしているのだろう?

このような状況の中で、ロンドンの歓楽街であるレスタースクウェア、チャイナタウン、ソーホー、ウエストエンドなどにあるレストランは、特に揚げ物などに使った大量の食用油を再利用のために業者に無料で引き渡している。業者はその油を精油(ろ過してアルコールとまぜる)し、バイオディーゼルを作り、ロンドンのタクシーに売っている。バイオディーゼルは二酸化炭素の排出もなく、環境にやさしい燃料とされ、従来のガソリンよりも低価格なのでタクシー運転手に人気があり、これからどんどん拡大する燃料と報道されていた。

日本では、3月の大震災の後にガソリンが街から消えて、震災地への支援にも大きな影響を与えた。従来の化石燃料だけに頼らず、このような自前でできる燃料を少しずつ国内で増やしていくことも必要だろう(軽油対応の車という限定はつくが)。
新宿、渋谷、六本木などのレストランから出る油はどのようにして処理してるのだろう。下水に流していたら、ロンドンのように油脂が堆積しているかもしれない。下水に流していなくても、固めて捨てているなら、それを代替燃料として再利用するなど、誰か呼びかける人や団体がいないのだろうか・・・?

2011年6月14日火曜日

近くより遠くが美しい?

フランスに住んでいるうちに一度は行っておきたいと思っていた所、モンサンミッシェル。
ノルマンディーとブルターニュの境に位置する、遠浅に浮かぶ小島。
日本語にすると「大天使ミカエルの岩山」。
潮の干満が激しく、満潮になると海に浮かぶ孤島になるが、近年、島と陸を結ぶ道路(堤防)ができてから、周辺に大量の砂が堆積し、かつての孤島の景観が失われているそうだ。そのため、近いうちに道路を取り壊して、長い橋を作る工事が計画されているとか・・・。

島のてっぺんには大聖堂と修道院がある。8世紀に作られて以来、巡礼の場所として栄えた。14世紀の100年戦争には要塞として機能し、その後ナポレオン時代は監獄として利用され1万4千人の囚人が監獄され、島は長い歴史の中で色々な役割を果たしてきた。現在はユネスコの世界遺産に登録されており、世界中から観光客が訪れている。

実際に島の中を歩くと観光客でごったがえしていて、みやげ物屋が軒を連ね、レストランも観光地ずれしていてあまり親切でない。大聖堂や修道院も長蛇の列に並んで入るので、島に来ると幻滅して帰る観光客も多いらしい。

私たちが行ったときはそれほど大量の観光客はいなかったが、ふもとで見るより遠くから見る富士山の方が美しいように、モンサンミッシェルも島の中にいるより、遠くから見るほうがはるかに感慨深いものがある。

夜になるとライトアップされ、写真のような幻想的な姿を見せてくれる。
姉と二人で、「もう二度とこの島に来ることはないから、いい冥土のみやげになったね・・・」と、ほとんどおばあちゃんのセリフを語り合った・・・

2011年6月10日金曜日

ロンドンなう

ロンドンは物価が高い都市、いつもワサワサしているイメージがあったので、あまり行かないようにしていた。今回は姉も一緒なので、思いっきり観光をすることにした。
と言っても、時間が限られていたので、ゆっくりできる場所を選んだ。

リージェント・パーク。
ローズ・ガーデンは壮大で素晴らしかった。
最近は年取ったせいか、美しい花を見ると、心が穏やかになって行く・・・

ばらを鑑賞した後は、テムズ河畔のテートモダンへ。

最上階のカフェから見る対岸は絶景。
セント・ポールとテートを結ぶミレニアム・ブリッジはユニークなデザイン。

そしてウェストエンドへ。
疲れたので、ちょっとクリーム・ティーを楽しむ。クロテッド・クリームに目がない私。


そして締めはミュージカル鑑賞。
ミーハーと馬鹿にしていたマンマ・ミーア、正直言ってすごかった。途中で寝てしまうかと思ったが、最後まで本当に楽しませてくれた。ロンドンに来たら、絶対にお奨めのミュージカルである。

2011年6月8日水曜日

湖水地方

私は英国の中で、湖水地方が一番好きである。過去に2回ほど訪れたが毎回その美しさに感動した。
今、ここにまた来ている。今回は姉と二人旅。
多くの湖と美しい景色、動物たち、この壮大な自然の中で、湖水地方は世界に名だたる画家と作家を生み出した。
一人はピーターラビットのお話で有名なビアトリクス・ポッター、もう一人は詩人のウィリアム・ワーズワース。上の写真はポッターの住んでたヒルトップという家。
とにかく、日本人を初めとした観光客が大勢着ていた。家は入場制限がかかっていた。一度に何百人も来ると、床が抜けてしまうのだろう。

上は私たちの泊まったB&B。地元で取れたスレート(石板)で作られた重厚な家。昔はジェントルマンズ・ハウスだった。

丘の上から見た美しい村の風景。

突然、珍しい牛に出会った。
お腹の部分が白くなっている、Belted Galloway (ベルトティッド・ギャロウェイ)。ほんと、腹巻をしているような牛。
食肉になるそうで、おいしいお肉ができるように農場主が特別な食事(飼料)を配給しにやって来た。
お肉になるなんてちょっとかわいそう・・・

いたるところに生息する羊たち。親子で移動している。

こんな風景があちこちで見られて、心が本当になごむ。

2011年5月28日土曜日

苦渋の選択

またレスターのファームハウスに滞在中。
以前にマービンンさんの話をした。彼は広大な牧草地を所有している農民。
上の写真は彼のB&Bの部屋からのぞいたお庭。
トラックの手前がマービンの敷地で、向こう側が隣との境界になっている、いや、なっていた。
隣の農家のおばあちゃんが最近亡くなった。若い世代で農業を継ぐ人がいないので、広大な牧草地は売りに出された。
マービンは悩んだあげく、この敷地を大枚はたいて買い上げた。
これ以上、牧畜や畑作などを拡大する予定はないにも拘わらず、土地を買ったのは何故なのか・・・?

話はちょっとそれるが・・・
英国ではジプシーと言う移動民族がいる。歴史的には17世紀の頃のアイルランドのじゃがいも飢饉を発端に、英国本土へやって来たティンカーズ(Tinkers)といういわゆる行商人や流浪民族を指しているが、加えて東方からのロマ人も含まれるようになり、これらの移動民族を総称してジプシー、または最近はトラベラーズと呼ばれている。不思議なことに英国ではジプシーという言葉は差別用語になっていない。

昔はジプシーは下の写真のような個性的なワゴン(馬車)に乗って、移動を続けてきた。
しかし近年というか、今の世代のジプシーは昔ほど移動はせず、キャンピングカー、キャラバン、移動用住宅などを利用して田舎の農地に集団でキャラバンのコミュニティーを形成している。

このジプシー・キャラバンのコミュニティは居住許可、土地利用許可を得ていないことも多く、土地を購入しても建設許可を得ていない、いわゆる不法建築や不法占拠の集団になっているので、近隣の地域住民とのいざこざが絶えない。貧困層が多いので環境的に衛生的でない、騒ぐ、犯罪が増える、などの社会的な問題、そして彼らは納税していないというのが理由らしい。
最近ではジプシーや移動民族のコミュニティが地方政府から強制立ち退き退去を迫られていて、エセックス州のDale Farmというアイルランド系が住むジプシー・コミュニティは数年前に大きなニュースになっていた。この人たちはもう何世代にもわたって移動を続けて来て、昔は子どもは学校に行けない、病気になっても病院にもかかれない、というのは当たり前だった。近年はこうして安住の地をみつけて、それなりの社会福祉サービスを受けられるようになった。しかし強制退去されたら住むところがまったくなくなり、また移動する生活が始まる。
ということで、これは民族浄化だ、と地元政府は批判されている。

閑話休題
マービンがお隣のおばあちゃんの土地を買い上げた理由。
安い農地が売りに出されると、ジプシーなどの移動民族が集団で土地を買う、もしくは地元政府が土地を買い上げてキャラバンコミュニティに土地を貸す可能性がある。そうなると環境破壊だけでなく、土地の価格が暴落する。
こういう理由でマービンは自分の資産を守るために、お隣の広大な土地を買わざるを得なかったようだ。

あまり知られていない英国のジプシーの問題。
以前書いた、最近の他民族間の摩擦とはまた違い、歴史的に根の深い問題である。

2011年5月25日水曜日

何が勝負を決める?

テニスのフレンチ・オープンが開催されている。
おととい女子のプレーを見た。
イタリアのフランチェスカ・スキアボーネのプレーはすごい。
何がすごいかと言うと、ショットの際のうなり声。男並み、いやモンスターのようだ。

近年、多くのテニスプレーヤーがサーブやショットのときにすごい大きなうなり声、叫び声をあげる。
もともとはアメリカ人コーチが男子の選手に導入した手法と言われているが、今は女子もすごい声をあげる。勝つためにはスタイルなど気にしない、いかにもアメリカ的な方法。
ウィリアム姉妹、シャラポワなどの叫び声は有名である。
そして、フランチェスカ・スキアボーネはさらにすごい。
一昨日のプレーはまだYoutubeで見れないが、去年のUSオープンの動画がある。画面の向こう側がスキアボーネ、いいプレーを見せているが、その声はいただけない・・・ これだけ怒鳴っていると、声帯もかなり痛めるのではないかと思うほど。

このうなり声は勝負に影響するらしい。ハワイとカナダの大学で、実際に実験をして勝負に有意差があると研究結果が発表されている。
選手がボールを打つ瞬間にはっきりと聞こえるようなうなり声をあげると、対戦相手の反応速度を遅らせることができる、つまり、うまり声によってボールがラケットに当たる音がかき消され、やってくるボールが落ちる場所を正確につかむ可能性が低くなるというのだ。
もし本当だとすると、これって、本当の勝負ではないような気がする。実力ではない別のトリックで相手を負かす、フェアなやり方とはいいがたい。

テニスは歴史的に貴族の由緒正しいスポーツ。やっぱりエレガンスさはつきもの。動物的なうなり声はおよそお上品とは言えない。
ある程度の叫び声を出すのは仕方ないが、意図的に対戦相手に脅威になるような声の出し方は見てて不快だ。最近はテニスを見ていてうなり声を聞くたびにいやーな気分になる。

2011年5月20日金曜日

トイレになった男

今読んでいる本、Flushed with Pride。「自慢の水洗トイレ」とでも訳すのだろうか。Thomas Crapper (トーマス・クラッパー)という人の自伝と彼のトイレ技術を紹介している。

英語に「Crap(クラップ)」という表現がある。
あまり美しい言葉ではなく、「クソ」とか「ウンチ」というのが元の意味である。
それ以外にも「That's crap」というと、そんなのゴミ、くそくらえ、というような意味になる。

実はCrapという言葉は、水洗トイレを改良したこの「Crapper」氏の苗字から発生したのだそうだ。本人は偉業を成し遂げたのに、彼の名前は後世でとんでもない意味に変身してしまった。あの世で彼はさぞかし嘆き悲しんでいることだろう。

クラッパーはもともとは配管工だった。
昔は、配管工もきちんとスーツを着ていた紳士だったというのは驚きである。ただし、後に彼はThomas Crapper株式会社を設立したたので、ビジネスマンに変わったのかもしれないが。

彼は水洗トイレを発明したと誤解されているようだが、すでに16世紀に水洗トイレは発明されていた。しかし彼はトイレの上に水洗タンクを設置し、紐をひっぱってタンクから水を押し流す技術を開発した。この技術は衛生的な近代トイレの先駆けになり、英国王室へご用達され、世界に普及した。

日本語訳も出版されているので、ご興味のある方はどうぞ。

2011年5月15日日曜日

ラム・ババ

ラム・ババ (Rhum Baba)。
私はこれに目がない。
何かというと、日本では「サバラン」と呼ばれているケーキ。
パンをラムやリキュールなどに漬けて味をじっくり染みらせたスイーツ。

日本のケーキ屋でみかけるのは、ブリオッシュの真ん中を丸くくりぬいて、中にホイップクリームを入れ、パンの外側はアンズジャムなどを塗ったものが多い。

本場パリではサバランという名前もあまり聞かないし、ブリオッシュというより、コルクの形をしたパンにしっかりラム酒で味付けして、その上にクリームをのせている。日本とはちょっとデザインが異なる。

昨日行ったレストランでラム・ババを頼んだら、なんとラム酒のボトルごと出てきたので驚いた。こんなの初めての経験。パンは紅茶の香りがほんのりして湿っており、それだけではラム・ババの味がしない。しっかりラム酒をふりかけてみたら、さすが本物の味がした。
シンプルだけど、忘れられない味。
今度、自分で作ってみよう。

2011年5月6日金曜日

ご不浄のしきたり

トイレのスリッパ。日本では当然の習慣。
「ご不浄」の中では、別の履物に変える・・・

と、これが外国人にはすごい驚きのようだで、ある時、大きな話題になった。
「日本ではトイレ用のスリッパがあるって、日本に住んだ友人から聞いたんだけどほんと?」
と聞かれ、一緒にいた他の外国人も皆目を丸くしていた。

「何で、トイレにスリッパがあって、そしてそれば他の部屋とは別なの?」という質問から始まる。
日本人はいかに清潔感を持って生活して、汚い場所と清潔な場所を区別しているかを私はコンコンと説明する。
日本に来たことのない友人は、ぜひ日本に行って、「トイレのスリッパ」習慣を見てみたい、という。
確かにトイレにスリッパがあるのは日本だけだが、そのためにわざわざ見にやってくるほどのことはない。

東京の実家では当然、スリッパはしっかり置いているが、不思議なことにパリのアパートのトイレは単独の部屋なのに、なぜかスリッパは置いていない。私自身、日本を離れるとその習慣を忘れるてしまうのかよくわからないが、結局はトイレは汚れている場所、他の部屋は汚れてない場所、とこだわる理屈は通らなくなる。

ということで、写真のようにこの小さなアパートのトイレにスリッパを置いてみた。なかなかいい感じ。
Mon mari がどう反応するか楽しみである。

2011年4月30日土曜日

楽園追放

昨日のロイヤル・ウェディング。
フランスのTVチャンネルしか見られない友人が、本場のBBCで見たいからと言って、朝早くから我が家に結婚式中継を見にやってきた。みんな、何だかんだと言っても好きなのよね。という私もしっかり見てしまった。
結婚式は、昨今の情勢を踏まえてのことか、ダイアナ妃の時よりはジミ婚だったような気がする。

結婚式に誰を招待するか、しないか、が結構争点になったようだ。招待客の選定は政治的な要因が影響する。
私の好きなSteve Bellという4コマ漫画の風刺作家は昨日、ガーディアン紙に上のようなイラストを掲載した。これを見て思わず噴出してしまった。

まず、左から2番目は外務大臣のウィリアム・ヘイグ氏。彼の左横にいるのは、多分サウジあたりの国王。英国から武器をタンマリ買ったのでそのご褒美に結婚式にどうぞ、と外務大臣から招待されている。

一方、彼の右横にいる三人。
まず、シリアの旗を持っている大使。デモの弾圧で、急遽、招待がキャンセルされ、残念そうな顔をして引き下がっている。
そしてその横の裸の二人。左はブレア元首相、その隣がブラウン元首相。二人とも、結婚式に招待されなかった。元首相は招待しない、というのが表立った理由だそうだが、でもメジャー元首相は招待されたそうだ。ブレア、ブラウン両氏は勲位をもっていないとか、女王から嫌われているとかいうのが本当の理由とも言われている(やっぱり皇室は保守党支持なのかな?)。なので、二人とも裸で悲しんでいるというストーリーになっている。

ちなみにブレア、ブランウンの裸の二人は、イタリアのルネッサンス画で有名なマサッチオの「楽園追放」の絵画を真似て描かれている。下が本物の絵だが、アダムが原罪を、イブが楽園から追放されたことを嘆き悲しんでいるという意味らしい。

ブレアとブラウンも国のお祭りから追放されて、嘆き悲しんでいるのだろうか?まあ別にそんなことどうでもいいと思っているかもしれない。

しかしSteve Bell の風刺漫画は本当に読者を楽しませてくれる。


2011年4月28日木曜日

奇妙な集団

エッフェル塔の近くで時々目にする集団。

この二輪車の乗り物、随分前に話題になったけど、何ていう名前だっけ? 
と忘れてしまうくらい、普及に失敗した代物といえる。
ネットで検索してやっとみつかった。
「セグウェイ」、そうそう、そんなような名前だった。
発売前は「革命的な製品」が開発され、販売される、という触れ込みでその内容すら極秘扱いだった。
蓋を開けてみたら、なんてことはなかった。

以前パリでみた「セグゥエイ集団」は全員、アメリカ人かカナダ人(北米アクセントを話す)だった。上の写真の人たちもそうなのかはわからないないが、いったいこれに乗って集団でパリを観光するのの何が楽しいのかよく理解できない。正直、こっけいにすら見える。最高時速19キロしか出ないそうで、こんなのに乗るのなら、パリのレンタル自転車(Velib)に乗る方がはるかに早いし、移動半径も広がるし、運動にもなる。

結局、ターゲット層を誤ったのと、高価格で、マーケッティングに失敗した商品と言われている。
日本では私有地内ならOKだが、公道では走れないとか。子どもの三輪車扱いのよう。商品としては完全に終わっている。北米のような大きな公道や歩道がある地域ならいいだろうが、ヨーロッパや日本など狭く入りくんだ道が多いところでは実用性がない。

ちなみに、この米国のセグウェイという会社、英国の実業家が2年くらい前に買収したが、去年、彼はこれを試乗中に誤って崖から転落して死亡したそうだ。

2011年4月27日水曜日

みんな好きよね・・・

先週、イングランドのAveburyという村で小さな教会に足を踏み入れた。
入り口に何かお知らせが貼ってあった。

何かと思いよーく見ると、ウィリアム王子とケイトさん結婚式の日に、教会の鐘が2時間半にわたり鳴ります、という通知だった。村あげてのお祝いか・・・

そのあと、バースで友人とランチ。
イギリス人は皇室に対する信奉派と冷笑派がいるが、どちらにしても今回の結婚式にはとても興味あるようだ。
でその友人から、「君も本当はロイヤルウェディング好きなんでしょ、こんなの欲しかったんじゃないの?」と言われて、なんとウィリアム・ケイト版のショートブレッド缶をくれた。

なんとも複雑な気分。私ってそんなにミーハーに見えるのかなぁ。
まあでもショートブレッドは大好きなので、有難くいただくことにした。

2011年4月14日木曜日

共存と分離の端境期

今日は前回の文化の統合に関連したお話。
今、大学にいるが、キャンパスの図書館でもついに顔全部を覆うニカブを被っている二人の女性を見た。真っ黒ではないが、こげ茶系のスカーフだった。色々な異文化に触れて、それなりに理解しているつもりの私でもさすがに英国の大学の図書館で見たニカブにはかなり違和感を覚えた。大学とは自由と開放の場と思っていたのだが、自由というのが異なって適用されているのがなんともなく不思議である。

去年、英国の街では顔を隠す「ニカブ」を被っている女性が増えていることを書いた。パレスチナの友人によると、この傾向は宗教とか男性や社会からの抑圧というより、女性の自己認識に立った個人的な理由がほとんどだそうだ。

英国ではマルチカルチャー推進という名目の下、異なる文化の人たちへの公共の場所の待遇がかなり寛容である。政治家がニカブやブルカを批判するものならメディアなどから大変な批判を受けるので、政治的に敏感なトピックでもある。これはニカブを全面禁止したフランスとは対照的である。

寛容なのはイスラム教徒に対してだけでない。
例えば、シーク教徒の男性はターバンを被っているが、彼らからの「伝統を尊重する」という強い要望で英国ではバイクに乗るときにシーク教徒は例外的にヘルメットの着用が免除されているそうだ。これをきっかけに伝統や文化を理由に、様々な公共の施設で変化が出ている。例えば、公営プールでは男性と女性の水泳時間が分けられる、イスラム女性は水着でなく、肌を出さないスェットスーツやレギンスなどを着て泳ぐ、プールのガラス張りの窓は外から見えないようにブラインドで覆うようになったので中が暗くなる、などなど。ここまで来るともうやりすぎ、という感じ。

この世には男性と女性が半分ずついるのに、そこまでして男性と距離を置く理由とはいったい何なのだろう?
一方で、図書館でニカブを被っていた女性は同じ出身地域と思われる男性と仲良くカップルのようにいちゃいちゃと歓談していた。もし公共な場では女性は男性と距離を置かなければならないのなら、これは到底、ありえない光景である。あるいは逆説的にニカブがあるから男性と接触できるというも理屈があるかもしれない。

異文化の尊重ということは理解できるのだが、それでは英国の文化というのはどういう風に捉えられているのだろう?英国人からすると、何故自分たちの側が全面的に変えなければなければならないのか、という不満が出ているそうだが、それも理解できる。

西洋人や日本人がイスラム教国に行くとその国の文化に厳格に合わせる。外国人女性はベールを被る、身体の線は見せない、外国人男性は女性との接触をできるだけ避ける、などなど。私たちの文化はそこで自動的に抹消される。逆に厳格な文化の人たちが欧米に来ると、自分たちの文化や習慣を守るため現地の文化を受け入れることは少ない。でもこうやって個々人がばらばらの価値観をもち、お互い干渉せず生きていくことが続けば、社会とてしての統一や一体感がなくなるんじゃないだろうか?ある程度の妥協点を持つ必要はあるのではないか?

社会規範に対して、寛容な文化と厳格な文化がある。
寛容な文化は厳格な文化に物差しを合わせなければならないのだろうか?もし個人の自由の尊重という国連の人権憲章が恒久的なものなら、寛容な文化の人たちの自由というのはどういう風に保障されるのだろう?

英国やフランスの経験は、多分、10年後、20年後の日本にも降りかかる問題であるような気がする。

ということを色々思いめぐらしていたら、頭が変になりそうになった。

2011年4月11日月曜日

変容する地域の遺産

日曜から渡英中。
最近、英国のコミュニティに変化が見られる。
例えば写真の建物。長い間、地域に根付く教会だった。
ところが人口の変化(減少や人種の多様化など)で、教会に通う人が減って、運営が成り立たなくなる所が増えてきた。そういった教会は閉鎖され、建物は賃貸か売却される。
この教会もそのような運命をたどった。
今は、何とインド料理のレストランになっている。
似たような現象はあちこちに見られ、教会だけでなく、伝統的なチューダ調やビクトリア調の古い民家がタイ料理屋や中華料理屋に衣替えしている。

このインド料理店の目の前にあるバングラカレーのお店のお兄さんは地元のバングラ人モスクに通っている。彼によると、街にある二軒のバングラ・モスクは両方ともキリスト教の教会を改修して作られたそうだ。

日本に例えると、村のお寺がクスクス屋やシナゴーグに変わるという感じ。
グローバル化の時代とは言え、英国固有の文化を象徴するところまで異なるカルチャーが入るこのミスマッチさを見ると、何とも複雑な気分になる。

2011年4月7日木曜日

医者いらず

"Where There is No Doctor" 「医者のいないところで」
世界80カ国以上の言語で翻訳されている、地域医療のバイブルとも言われているロングセラー本。

途上国で働く医療関係者なら誰でも一度は目にする本。病気やけがの治療のノウハウが細かく説明されている。読み書きができない人でもわかりやすいようにイラストをふんだんに使っている。

著者はディビッドー・ワーナー氏。医師でもない、高校の生物の教師。
彼自身、神経か筋肉の疾患があり、幼い頃から足に障がいを持っている。小さい時に歩行困難なため、無理やり作らされた足の補装具が合わなくて辛い思いをしたところ、自分の足に合ったものを作ってくれた技師に感動。それから、既成ではない、個々の人々に合った医療に目覚めたそうだ。

実は我が家でも「医者のいないところで」を時々使っている。
先週から私は口内炎ができて、軟膏をぬっても治らなかった。このガイドブックをあらためて読むと、塩水で口を洗浄するのが一番いい、と書いてあった。それに従ってうがいを続けたら1日で寛解した。
ちなみにネットでも調べたら、NHKの「ためしてガッテン」でも軟膏より水で洗浄するのが効果があると言っている。
Mon mari もこの間、耳の詰まりがひどくて、耳鼻科に言っても改善しなかったら、この本を読んで自分で解決していた。

あまり薬に頼らない、原始的なやり方の方が回復が早いのかもしれない。
そういう意味で、ディビッドの本はまさに家庭の中の医者いらずである。
そして医師不足で苦しんでいる震災地域でもこの本は活躍するかもしれない。

2011年4月1日金曜日

四月馬鹿


今日はエイプリル・フール。
日本は状況からしてジョークを言える場合ではないので、今年は各紙とも自粛しているだろう。

今まで一番笑ったのは、ロンドンのビッグベンの時計が、アナログからデジタルに変わるという嘘。ものごい反響を呼び、多くの抗議が寄せられた。BBCが仕組んだらしく、放送を聴いた4名が先着順で時計の針をもらえる交渉権を得られると言ったら、漁船に乗っていた日本の漁師が無線でBBCに連絡してきたとか・・・。

その他に有名なのは・・・
サルコジ大統領が身長を伸ばす手術を受けることになった
左きき用のためのバーガーキングが発売された、薬味などの位置を180度変えた
スイス農民が「スパゲティ」を収穫。今年は天気にも恵まれ、害虫も駆除されたので豊作
空飛ぶペンギンを発見

さて、今年はどんな嘘が話題を呼ぶのかしら?

2011年3月31日木曜日

サバイバーズ・ギルト

サバイバーズ・ギルト(Survivor's Guilt:生存者の罪悪感)という言葉がある。
災害に遭遇し、助かった人たちが感じる罪悪感を意味する。

「助かったことが申し訳ない気がする」
「こんなおいしい物を食べたりするのはいけないことと思う」
「旅行とか娯楽とかを楽しんでは罰があたる」
「自分だけこんな楽な生活をしていていいのか」
などなど・・・

知人の精神科医から、最近外来でサバイバーズ・ギルトを訴える患者が増えている、と聞いた。
病院に通わなくてもこのような気持ちを持っている人は大勢いると思う。
皆さん、何が起こるからわからないので毎日ずっとテレビの前に座っており、映像を見ることでトラウマ化しているそうだ。こういう場合はテレビから離れて、ラジオを聴くとか、携帯のニュースサイトで号外速報設定をするといいらしい。

海外に住んでいる多くの日本人も同様に、サバイバーズ・ギルトを感じていると思う。私もその一人。
「海外にいて何の影響も受けず苦労もしてない自分がいる」「スーパーに行って、こんなに物が普通に買えていいのか?」などと自問自答する。
こういうのは「エクスパット・ギルト(Expat Guilt:海外居住者の罪悪感) 」とか言うのかなぁ?
日本にいない分、実情がわからず不安が増幅する、なので、NHK worldやBBC、CNN、ネットのニュースやブログ、Youtubeなどを頻繁に見てしまい、映像や最悪の情報が頭から離れず、日本が沈没しちゃうのかしら、と思い、益々心配になり物事に集中できなくなったり、眠れなくなる。私も含めてそんな日本人の友人が回りに結構いた。

少し、情報から離れないと精神的な安定が得られないのかもしれない。

2011年3月29日火曜日

シェルター・ボックス

英国にShelterBox (シェルターボックス)というNGOがある。
東北に地震津波が発生した直後、BBCで彼らの支援開始の模様が放送されていた。団体は大きな倉庫をもち、スタッフが忙しそうに物品を箱詰めしていた。何度かに分けて数千箱単位を軍用機でロンドンからシンガポール経由で東北に空輸するということだった。

シェルターボックスとは災害によって家を失った人たちへ緊急に供与する箱。
中身が何かというと、テント、浄水キット、防寒用具、工具、調理器具(鍋、まき用コンロ、皿)、子どものお絵かきセットなどが緑の大きな箱に詰められている。箱はベンチ代わりになる。1箱で5-6人くらいが共有できるそうだ。

最近、岩手県の大船渡に到着したようで、その映像が紹介されている。驚いたのがテントが結構大きいこと。家を流された人たちは当初、外にテントを張っていたが、今は避難所の中に設営している。確かにプライバシーを保つにはグッドアイデアである。ただし、込み合っている避難所では難しいだろうが・・・
災害直後は食事や医療が必要だが、こういう気の利いた代物も長い避難生活には必要だ。

海外のNGOからこのような支援を受けていることはあまりニュースになっていない。今日の朝日新聞の報道では、すでに24カ国からの支援が届けられたと外務省が報告したそうだが、これはほとんど相手国政府からの支援。その他に大小のNGOからの支援もたくさん入っている。そういうのもちゃんと報道してよ、と言いたい。

ちなみに今年は、日本は人道支援の受け取り国になり、その額は世界でスーダンに次いで第二位らしい。援助を勉強している身として、世界は助け合って生きているんだというのを身に染みて感じる。

2011年3月26日土曜日

前線の闘士

今回の震災では多くの人々の救援が報道されている。

がれきの中から人々を助けるレシュキューチームは消防や自衛隊の他、海外からの緊急援助隊(緊援隊)。色々な国から救済に来てくれている。
先進国だけでなく今まで日本が救援をしてきた途上国の緊援隊も参加してくれている。
一体、彼らはどんな人たちなのか・・・?

昔、インド洋スマトラ沖の津波関連の仕事をしたときに学んだ。
国際緊急援助隊は各国が有するプロの災害救援チーム。建物から人を救助するレスキューチームと、けがや病気になっている人を治療する医療チームから構成されている。
日本の緊援隊は事務局が国際協力機構(JICA)にあり、隊員は警察、消防、海上保安庁の職員で構成されている。彼らは日常の任務を行うかたわら、非常時になると緊援隊として海外に出動する。そのために災害救済に関する国際的な訓練を受けている。
それを提供しているのが、INSARAG (国際探索・救助助言グループ)。国連によって1991年に設立され、およそ80カ国がメンバーになっている。各国政府やNGOなどの災害探索・救助組織が被災地で効果的に活動できるように様々なルールを作り、救助法のトレーニングを提供し、そして定期的な意見交換を行っている。医療チームは国際赤十字委員会(ICRC)や国際NGOが策定に関与した災害援助に関する最低基準をまとめたスフィア(Sphere)プロジェクトに沿って訓練を受けている。

例えば、日本の緊援隊は以下のような訓練を受けている。

レスキューチーム
1.警察、消防、海上保安庁の隊員100名程度に国内訓練を実施
2.INSARAG海外(地域)セッション 5名参加
3.INSARAGリーダー訓練(ジュネーブ) 2-3名参加
4.INSARAG海外USAR(都市探索・救助)訓練 専門家2名参加

医療チーム
医師、看護師を対象にSphereマニュアルに沿った訓練
1.初級コース(3日間 20時間)
2.中級コース(1日 8時間)

ということになっている。
日本に来て、がれきの山をかき分けて救助している各国の緊援隊の人たちも国際的な基準に沿って知識や訓練を取得し、援助に従事しているのだ。

一方、同じようにこの災害と闘っているのが、原発の冷却システムに関わっている人たち。東電はまさかこんなことが起こるとは考えていなかったので、最悪の事態を想定した復旧訓練やシュミレーションなどしてなかっただろう。

海外では「英雄なる福島の50人」として報道されていが、本当はもっと大勢の人が関わっていると知った。Mon mari は真剣な顔をして「彼らはカミカゼなのか?」と聞いてきた。私は言葉に詰まり答えることができなかった。本当はどんなに危険手当を積まれてもやりたくない仕事だろう。死を覚悟した作業を知るにつれ、身につまされる思いである。

2011年3月20日日曜日

嘆きの涙

ついにリビアに対する連合軍の空爆が始まった。
BBCやCNNはそのニュースで独占されている。
とても重要な事件というのはわかっているが、でも私の心はまだまだ日本だけにある。

BBCが掲載した被災地の写真を見ると、私たちがどうやってこの人たちの悲しみを救ってあげられるのか、途方に暮れてしまう。
私は海外にいて何もできない。

できることは募金に寄付・・・ 
でも赤十字だけはやめておく。あそこは黙っていてもセレブなんかが中心になって膨大なお金が集まる所。インド洋・スマトラ島沖地震津波のときに、巨額な資金が集まり過ぎて、短期にお金を使いきれないNGOが多くあったのを学んだ。援助の集中砲火というやつ。

大胆なスタンドプレーをしなくても、もっと中小規模で隙間に入って地道に、中・長期的に支援しているNPOに募金をすることに決めた。

被災者の嘆きの涙は決して乾くことはないだろう。
当面はこのGrief Process を共有することしかできない。

2011年3月18日金曜日

世界が緊張だらけ

たった今、テレビで、国連の安全保障理事会がリビア政府に対して「No Fly Zone (飛行禁止区域)」と「All Necessary Measures (あらゆる必要手段の行使)」を採択したのを観た。賛成10票、反対0、棄権5票、中国、ロシア、ドイツ、インド、ブラジルが棄権に回った。
これで英仏が中心になり、いよいよ諸外国がカダフィに対して軍事行動を開始する。
場合によってはカダフィも空爆などで殺されることもあるらしい。
民主化運動が国際戦争になってしまった・・・。

極東では地震・津波、原子力の放射能漏れが大問題になる一方、北アフリカでは戦争が始まろうとしている・・・

世界の緊張がどんどん高まっている。
今年はこういう年なのだろうか・・・

2011年3月17日木曜日

冗談でしょ?

この2-3日は悲しくて落ち込むブログが続いたので、今日はちょっとお笑いを誘う話。

中国のとある会社。
ウィリアム王子とケイトさんの結婚を記念した、「正真正銘のボーン・チャイナ」のマグカップをオンラインで英国を中心に9.99ポンドで売り出した。
悪くない価格、可愛いカップ・・・と思いきや、よく見るとウィリアム王子の顔は何と、弟のハリー王子になっている!
これって冗談か、本気でやったいたずらか、それとも単なる印刷ミス?

販売しているのはGuandong Enterprises という実在の会社。ホームページまである。
英国のニュースで話題になったので、さすがに恥ずかしくてホームページを修正するのかと思いきや、まだハリー王子のまま。
結婚行進曲が流れる動画まである。

さすが大胆な中国。多分、肖像権とかも得ていないだろうな・・・
英国王室から苦情が来たらどうするのだろう?
でももしこれがジョークなら、確実に英国人を上回るブラックジョークと言える。
ちなみに私も一つ買ってみようかしら?、なんて。