2009年12月29日火曜日

丸太ケーキ


何故か急に思い立って、クリスマス後にブッシュ・ド・ノエルを作ってしまった。
しかし、馬鹿にしていたロールケーキって意外に作るのが難しい。
家にあった強力粉を使ったせいか、スポンジがふんわりいかない、やはり薄力粉でないとだめか。そしてロールするのも結構な技がいる。練習が必要というのがわかった。
出来上がったのはまあそれなりに丸太に見えるが、スポンジは失敗。そのかわりチョコレートクリームは甘くなくしつこくなく、最高においしい出来になった。
来年はロールケーキの研究を続けて、次のノエルには天下一品のブッシュ・ド・ノエルを作ろう。

2009年12月26日土曜日

沈思:クリスマス・ローストチキン

昨日は、シングルで家族とクリスマスを過ごせ(さ)ない友人(フランソワ、クレモント、そして写真を撮ってくれたミミ)を招いてクリスマス・ディナーをした。
Mon mari はクリスマスは七面鳥というお国柄の出身なのだが、私が七面鳥が嫌いなのでいつも鶏を買っている。今年もマルシェで大きな鶏を一羽買った。

フランスではクリスマス用として、シャポン(Chapon)鶏というのが売られる。これは去勢したオス鶏で、要は女性化したお肉は柔らかく、ジューシーということで人気がある。サイズも通常の鶏より大きいので、クリスマスなど大人数の食卓にふさわしいお肉とされる。私たちもいつもシャポンを買う。今年買ったのはすごい高くて、約3キロで42ユーロ(5500円くらい)の代物。シャポンは主にフランス、イタリア、中国と、いわゆる食通の国で飼育され、食べられている。イタリアでも必ずクリスマスに出される鶏だ。

一応柔らかいお肉とはわかっていたが、念のため、前の晩にBrining(塩水漬け)して、さらに柔らかさを増そうと試みたが、ローストしている時間にゲストとおしゃべりに夢中になり、予定より長く焼きすぎて少しパサパサしてしまった。失敗!でも翌日食べたら、不思議と脂がのっていて、柔らかくてとてもおいしかった。

シャポンは英語ではケイポン(Capon)と呼ばれて、英国でも売っているが、実は英国内産のケイポンは本物のケイポンではない。いわゆる通常よりも大きい鶏をケイポンと呼んで売っているだけのことらしい。英国ではケイポンの飼育、販売は禁止されているそうだ。理由は、飼育過程で鶏の体の一部を切断するという倫理的問題、そして皮下にホルモン・カプセルを入れてさらに身体を肥満化させるので問題視されているという話もある。米国では一部の地域でケイポンが売っているようで、特に法的制限はないらしい。日本はフランスから直輸入で手に入るようだ。

今までシャポンを何も考えずに食べていたが、確かに去勢するというのも可哀想な話。とはいえ、うちの実家のオス猫たちも去勢したけど、シャポンほどは太っておらず、元気にしている(笑)。
七面鳥はもともと大きい鳥なので大家族向き。でも味としてはやっぱり鶏の方がおいしいのは確か。それで味にこだわりの強いフランスやイタリアは、鶏をちょっと脂っぽく柔らかくし、かつ大家族用サイズにすることを考案した結果、シャポンができたというわけだ。

シャポンもおいしいとは思うけど、やっぱり私は、昔父の故郷の秋田から送られた日本の地鶏(ちょっとひきしまった肉)が好きかな・・・?

2009年12月23日水曜日

神の御子は今宵しも

イタリアの盲目テノール歌手、Andrea Bocelli。
今年は何故か彼のクリスマスCDを買った。
David Fosterのプロデュースなので全体的にヨーロッパというより北米風クリスマス音楽のアレンジが漂っている。
一つ驚いたのが5曲目の「Lord’s Player (主の祈り)」の中で、彼はモルモン・タバナクル・合唱団と歌っているのだ。イタリア人なのでカトリックかと思ったが、ひょっとして彼、もしくはDavid Fosterはモルモン教徒?

ちょっと意外な感を抱いたが、まあ歌唱力は素晴らしい。とくに 有名な賛美歌、Adeste Fideles (O Come All Ye Faithful)はローマ・アカデミーの合唱団とともにラテン語で歌っているが、まるでオペラを聴いているかのようなスケールだ。
声を聴いているだけで彼を崇めたくなる。
O come, let us adore Him
........♪♪

2009年12月21日月曜日

「ターミナル」の住民

最近、成田空港のターミナルに、自国への入国を拒否され日本に強制送還された中国人の馮さんという男性が寝泊りしているという記事を読んだ。彼は中国の民主化、人権化に取り組んでいる活動家で、すでに8回も自国への入国を試みているがいづれも拒否されているそうだ。長いこと日本で学び、居住していたので日本政府は滞在許可証を発行すると言っているが、彼は今回はビザ放棄をして入国を拒否している。

ちょっと前にトム・ハンクス主演の「ターミナル」という映画があった。映画の設定では主人公の国がクーデターにより政権崩壊状態になり、彼の持っているパスポートが無効になって空港に住み始めるというストーリーで、馮さんの置かれた立場とはかなり違うが、ターミナルで暮らす苦労は同じである。

「ターミナル」の映画は実在のモデルに基づいて作られた。そのモデルとは、パリのシャルル・ド・ゴール空港に住んでいた、マーハン・カリミ・ナセリさんというイラン人。彼は1988年にパリからロンドンに入国しようとしたがパスポートを紛失し、パリに強制送還された。それ以来ド・ゴール空港に住んでおり、フランス政府から滞在許可を与えられたがずっと入国を拒否していた。

ナセリさんは第一ターミナルの1階の片隅にいて私も何度も見た。最初「この旅行客、何でこんなたくさんの荷物を持っているのかしら」と思ったが、2度目も3度目も同じところに同じ人が荷物に囲まれて座っているのを見てほどなく、彼がここに住んでいることがわかった。私がニコっとわらって「Hello!」というと、彼も手をあげて「Hello!」と返してくれた。「これ食べる?」とMarsバーチョコを差し出すと「Thank you!」といって受け取った。ターミナルに住む彼はこのように旅行客や空港職員の差し入れで生き延びていた。マクドナルドも時間切れになるハンバーガーを彼にあげていたらしい。
最近は彼の姿を見なくなったが、どうも病気でフランスの病院か施設に移されたらしい。20年近くも空港に住み続けた彼の今後の人生がどうなるのかちょっと気になる。

成田の馮さんもどうなっていくのか、このまま数年も成田に住み続けるのか、それとも最終的に日本、もしくは第三国に受け入れられるのか・・・ 
今後、このような難民の人たちが世界のあちこちの空港で住み始めることも珍しくなるなるのかもしれない。

写真はド・ゴール空港にいたナセリさん。

2009年12月18日金曜日

雪と猫こたつ

朝起きたら、パリの外は一面銀世界。この冬初めての雪。
結構、積もった。
寒い寒い、とこの2~3日思っていたが、やっぱり雪の前ぶれだった。

東京と同じ、都市の雪日は災難が多い。交通のマヒ、転倒事故など。都市は過酷な天候に本当に弱い。
Mon mari の職場でも雪になると、「転んで怪我をしたから2週間の病欠を取らせてください」という人が続出するとか・・・。ホントか、と皆疑う人も多いとか。

昨日から風邪気味。こういう寒い雪の日は、日本のこたつが懐かしい。

と思いきや、姉から最高の写真が送ってきた。

写真の子はモモちゃん。
最近、日本では「猫用おこた」というのが流行っているそうだ。猫サイズで、かわいらしい。
人間のこたつは猫にとって熱いのだが、猫用こたつは猫がずっと中に入ってられるようにぬるい温度に設定されているらしい。そして出入りも楽にできるように、真ん中に切れ目がある。テーブルは布でできているが下の天板から熱が通じているので暖かいのか、モモちゃん全く動かない様子。
このこたつ布団もちょっとチープな色合いで笑っちゃうけど、何となく昔のこたつ布団ってこんなんだったなぁ、とを思いして懐かしくなる。
一人でおこたを独占なんて、なんて贅沢な猫でしょう・・・

2009年12月16日水曜日

追加情報:シュトレン


さきほどの、クリスマス・ケーキに関する追加情報です。
夕方、スーパーに行って各国のクリスマス・ケーキが置かれた棚に、ドイツのケーキ「シュトレン」の一口サイズがあったので、買ってきて試食した。ご覧のように白いフルーツケーキ、ちょっと固めだけど、パサパサ感はない。さすがパンの国だけあってなかなか美味。
でもやっぱりパネトーネには負けるかな?

それぞれのクリスマス・ケーキ

日本でクリスマス・ケーキというと、丸いスポンジケーキに生クリームやバタークリームを塗った、いわゆる不二家風のデコレーション・ケーキである。幼いころからクリスマスケーキというものはそういうもので、また万国共通と思っていたが、ヨーロッパに住み始めてそれぞれの国ごとにケーキは違う形と味をしていることを知った。

まず、フランスのクリスマス・ケーキは「ブッシュ・ド・ノエル」と言う。ブッシュ(bûche)とは「木」とか「丸太」というような意味。写真の如く、ケーキを丸太に見せたロールケーキ。お味はピンからキリまであるが、まあ私としては所詮ロールケーキの域から出ない代物。日本でも食べられるようなケーキ。とにかくそこらで買うフランスのケーキは見た目は美しいのだが、ものすごく甘いので、ちょっと苦手。


次に英国のクリスマス・ケーキは「クリスマス・プディング」という。フルーツケーキをブランデーで漬けて熟成させた超リッチな菓子。下の写真は一番小さいサイズだが、大きいものだと陶器に入ってコットンの布に巻かれており、蒸してからいただく。

蒸し終わったあとは、ブランデーをかけ火をつけて青い炎を楽しみ、その後たっぷりとカスタードクリームをかける。
フルーツケーキと思って軽く行けると甘く考えるととんでもない。これがものすごい重くてしつこいのである。食事をした後に、下の写真の分量を食べるのは至難の技。食べ終えた暁には、ほとんど鼻血ブー状態。とにかくイギリスのクリスマス・プディングをもてなされた際は、必ず厚さ2センチ以下に切ってもらうことにしている。


そして、次のケーキはイタリアの「パネトーネ」。一見、パンに見えるが、実際パンなのだ。レーズンやオレンジピール、ドライフルーツが入っている。しかしこの何の変哲もないパンを口にすると、なんとも言えない絶妙な舌触りと奥深い味がするのである。クリスマス・ケーキとしてはアイシング・シュガーをかけて食べる。ミラノ発祥の菓子で、「パネトーネ」とはアントニオという人が作ったパン、という意味らしい。特殊なイースト菌を使っているので、イタリア国外で手に入れて作るのはかなり難しいとか。なので日本ではパティシエは本物のパネトーネは作れないはずなので、多分輸入でしか手に入らないと思う。


これがパネトーネが入った箱。毎年、クリスマス前になるとイタリアの国内線にはこのパネトーネの箱をぶら下げて搭乗するイタリア人で一杯になる。皆、パネトーネをおみやげに「おらが村へ帰るべ」と家族の所に向う。なんとも微笑ましい光景である。

その他、ドイツもフルーツケーキのようなパンの上にアイシング・シュガーをつけた「シュトレン」というのがあるが、こちらのスーパーでみたことはあるものの、まだ食べたことはない。今度挑戦しよう。

「ブッシュ・ド・ノエル」、「クリスマス・プディング」、「パネトーネ」の中で、私はイタリアのパネトーネが一番好きである。この時期はクリスマスが始まる前から、ミニパネトーネを買ってきて、おやつにむしゃむしゃ食べている。

2009年12月11日金曜日

笑えない本物の恐怖

街は完全にノエルの空気に包まれている。昨年と同様、景気は芳しくないが、少なくとも飾りつけだけは例年の如く華やかである。
我が家もツリーを3年くらい前から飾り始めた。クリスマスという理由もあるが、なにか新たなことをしないと、世紀末状態の部屋を片付けることができないからだ。

街角のスーパーの前には「モミの木」が売り出されている。私も最初は本物の木を買おうか悩んだが、結局はプラスチック製ツリーを購入し、毎年使い回している。

実はこれには理由がある。
1つは、毎年数週間のために木を伐採してまた捨てることに抵抗があること。
2つ目はツリーにまつわる怖ーい話を聞いてしまったこと。

そのこわい話とは・・・

Mon mari の知人が、ある年に大きなモミの木を買って飾った。買うときは上の写真のように白い網で巻かれているので、何とかアパートの部屋まで担いで持っていかれた。クリスマスを楽しみ、正月の七草が過ぎた頃に彼はツリーを片付けはじめた。しかしツリーは巨大で、横に大きく広がっており、もう網に巻いて処分できる状態ではなかった。パリのアパートはエレベーターがない所も多く、あってもすごい狭い。ツリーをまた担いで下までおろすのは不可能とわかった知人はベランダからツリーを落として、それからゴミ捨て場まで運んで行こうとした。しかし巨大なツリーをベランダから落とすのも容易ではなく、ベランダの柵のあたりで必死にあがきもがいているうちに、何と彼自身もツリーと一緒にベランダから落下してしまった。この話を聞いた瞬間、私は大爆笑してしまった。まるでマンガの世界じゃない!と・・・ 
しかし、彼は大怪我をしてしまい、正月早々病院のICUに入院する事態になった。幸いにも彼の部屋は2階か3階くらいの低層階だったので命に別状はなかったそうだが、実際は笑い話ではすまされない結末である。

それ以降、私は本物のツリーを見るとベランダからツリーごと落ちた知人を思い出し、なぜかパリでは絶対に本物は買うまい、と心に誓った。うちは5階なので落ちたら絶対に死ぬ。暖炉もないので焼却もできない。

ということで、我が家のツリーは下のようにかなり人工的な飾りつけになっております(左横のバイクの車輪が限りなく邪魔でイラつくんですが・・・)。

2009年12月8日火曜日

中東パワーに買われる英国

先週末はMon mari の仕事のお付き合いでケンブリッジの友人宅を訪ねた。
ケンブリッジは2度ほど来たことがあるが、大学を中心に未だ中世の雰囲気がムンムン漂うところと思っていた。ところが、友人が住むアパートに来たら仰天。町並みに似合わない近代的なビルがドンと建っている。およそ英国人の趣味ではない。
実はこの建物の所有者、何と中東の「カタール王子」なんだそうである。お金がジャブジャブ余って使い道にこまっているのか時々英国にお買い物に来るらしく、たまたまケンブリッジを訪問したらここを気に入ったとかで、地元の不動産Developer に「僕、この土地買うよ」といって、後はご覧の通りの建物ができたとか・・・ 
英国の資産は中東とかロシアの人たちにどんどん買い上げられているそうで、英国人はなんとも複雑な心境だろう。

明るくきれいな玄関ホール。コンシェルジュの女性と、施設管理のおじさまが一生懸命働いていた。使用人は中東系でなく全員白人系英国人。

中庭も広くて整然としているが、何か無機的でキャラクターに欠けている。アメリカのコンドミニアムを思い出させる。

友人は、Mon mari のプロジェクトで、コンサルタントとして手伝ってくれているアンドリュー君。彼はケンブリッジ大学と大学院を卒業した超エリートだが大企業には就職せず、Engineers Without Boarders (国境なき技師たち)というNGOで働いている。途上国への技術移転やエンジニアを育成するためのトレーニングを行なっている。アンドリュー君宅のリビングで二人が締め切り直前の仕事を必死で終えようとしている姿です。

2009年12月3日木曜日

サバット優勝!

今日は、所属している会社(一応今も名前は残しているものの事実上の幽霊社員)の上司と同僚たちと、パリの大衆食堂でランチをした。

同僚のクボタ君はサバット(フランス式ボクシング)のコーチ。
サバットとは靴を履いたK1という感じの格闘技。
その彼の一番弟子の原万里子さんが、このたび、フランスで開催された世界選手権で一位になった。私が手にしているのがは5キロ位はある、すごい重いチャンピオンベルト。
私の目の前に座っている原さんは見たところ可愛い、フツーのお嬢さん。とても格闘技をするタイプには見えない。でも筋肉モリモリ・ガール。
サバットは競技人口も少ないため、大体フランス人が優勝するのだが、今回アジア人では初めて。フランスでもニュースになったそう。なんと、日本のニュースもみつかった。

レストランのボーイや、隣の席の人たちも「オー、素晴らしい!」と感動していた。フランス人は限りなく、この競技を誇りに思っているようだ。

とにかく、原さん、クボタ君、おめでとう。

2009年12月1日火曜日

世界一可愛いネコ

これは世界一可愛いネコと巷で騒がれている動画。
Youtubeではすでに200万回以上のアクセスがあったよう。

この肉球、たまらない・・・
最近、心身ともに凹んでいたので、かなり元気にさせられた。
やっぱりネコが好き!



上の動画が見られない場合は、こちらからどうぞ。

2009年11月30日月曜日

エキゾチック・キュイジーヌ

ロンドン、パディントン駅構内の回転寿司屋、「Yo! Sushi」。
イギリス国内のあちこちにチェーン店を出して拡大している。
オーナーは中国人と思いきや、なんとバリバリの英国人らしい。
調理人は主に、インド系、ロシア系である。
電車の乗り継ぎ客でいつも賑わっている。

こういうところで日本料理と言われるものを食べるとき、私はいつも「これは和食でなくて、エキゾチック・フードなんだわ」と自分に言い聞かせる。そうすると、どんな物がどんな味で出てきても、寛大な気持ちになれる。

おいしくないとわかっていても、しばらく寿司たるものを食べてないと、どうしても一口だけでも口にしたくなるので、電車の待ち時間の間にちょっと寄ってみた。

カウンターに座った途端、目の前に現れたのが「どらやき」と「エビサラダ」。
「どらやき」なんて食べる英国人がいるのかしら?

私は食べる勇気が出なかった。


これはかなりマズいことになっている。太巻きの上に刺身がのっかている。サービス満点なのはいいけど、ちょっとバランス悪いね・・・要はボリュームで勝負というところでしょうか。


この巻き物は、いわゆる「トビウオの卵」を海苔の代わりに表面に塗りつけたようだ。だが、そもそも「トビウオの卵」とは赤いはずなのだが、なぜか緑になっている。緑は着色したのだろう、でもそうすると、もともとの卵らしきものは一体何なのか・・・ 
要は「緑色のイクラ」が出てきているようなもの。気持ち悪い。
加工食品の怪しさを限りなく感じる。怖い、怖い・・・


それ以外には、焼きそば、カツ丼、焼き鳥、ギョーザなど、寿司とは関係ない食べ物が小皿に盛られて出てくる。
要は日本料理全部を回転寿司の小皿の上に並べているだけのことであった。

2009年11月24日火曜日

サムの死

これは世界中で有名になった一枚の写真である。
今年の2月に発生したオーストラリア南東部の山火事での救助活動の中の一風景である。
このコアラ、「サムちゃん(女の子)」と名づけられた。地方消防局の人があげた2本のペットボトルの水を全部飲み干したそうである。この写真のインパクトがあまりにも強かったので、4月のG20の際の気候変動の会合でもサムの話が出たほどとか。
でも、結局火事の半年後の8月にサムは亡くなったそうだ。オーストラリアのラッド首相が、サムへ追悼の言葉を述べたほど(本当は国葬にしたかったらしい)国民のアイドルだった。

昨日の英ガーディアン紙に、何故か今頃コアラ特集が掲載された。
それによると、このままで行くとコアラはこの30年の間で絶滅すると予測されているらしい。気候変動、開発によりユーカリの木が消滅して住む場所がなくなっていくのが原因。特にオーストラリア与党労働党、野党保守党の間でコアラの保護に関して対立する政策を取ってきたので、コアラの生存が政治にいつも振り回されてきたのだそうだ。開発や企業の利益を優先する保守党はコアラの繁殖抑制をし森林を伐採する一方(コアラハンターもいるらしい)、環境やグリーン系のグループから圧力を受ける労働党はその逆の政策を取ってきた。また伝染病などによる人口減少も深刻だそうだ。ちなみサムちゃんは火事の後遺症でなく、コアラに蔓延しているクラミジアで亡くなったそうである。

コアラは体のサイズの割りには脳みそが極端に小さく、ほとんど1日中寝ているか、ユーカリの葉をむしゃむしゃ食べているかのどちらかで、「退屈な動物」と揶揄する人も多いとか。でも、コアラは愛らしく希少な動物なので、コアラ見たさに世界中から旅行客がオーストラリアに来る。もしコアラが絶滅したら国の観光収入が無くなると、与野党の政治家は危機感を持ち始めているらしい。

たかがコアラ、されどコアラ、オーストラリアの環境、観光政策ではすごい重要な課題になり始めている。

2009年11月20日金曜日

ボジョレーの反応

昨日、ボジョレー・ヌーボーが世界中で解禁になった。
日本もあちこちで祭り状態らしい。何と、家電量販店でも売っていたと姉から聞いたが、それは異常だ。フランスはそこまでしない。酒屋以外なら、スーパーの一角に積み重なっている程度。
しかし、こんな数ヶ月物の新酒ワインに何でそんなに騒ぐのか全く理解できない。そもそもワインのコンセプトに反している。コクや香りもあまりないし、たいしておいしいとも思わない。
ボジョレー地方のその年のブドウの出来を披露するのが目的らしいが、世界的にこんなバカ騒ぎして買う意味ってあるのだろうか?
今年の出来はとても良かったそうだが、それなら今年できたワインを5年後、10年後に味わう方がはるかにワインの価値が高まる。

なんて言いながらも、私たちもしっかり商魂にのせられて昨晩Mon mari がさっそく1本買ってきた。彼が連れてきた友達と軽く1本を空けた。私は一口飲ませてもらったが、まあまあの味だね、という程度の感想だった。おわり。

2009年11月19日木曜日

視野狭窄?

フランスに住んでいると、道や通路を歩くのに苦労する。
例えばスーパーでの買い物。狭い通路で人を横切るのは結構至難の技だ。よく、ど真ん中に立って棚の品物を見ている人がいる。横切ろうとして「失礼、すみません」と言っても、どかない。さらに大きな声で言ってもダメ。そしてほとんど怒鳴り声になっても全く反応なし。この人は聴覚が不自由なのか?と思いきや、仕方ないので相手に当たりながらその場を通過する。そうすると相手は「ああ、ごめん」と言って少しよける。

これは私の独断的な観察分析であるが、フランス人は視野狭窄なのだ。普通、私たちは自分から大体半径1~2メートルくらいの動きや気配は察知できる。向こうから人が近づいていると感じると相手との距離に合わせてこちらの位置を変える。でもフランス人にはそれができない。そして自分の関心事に没頭すると、周囲の声も聞こえなくなる。とにかく、スーパーの棚の前では私はよくイラつく。フランスは自国がCentre of Universe と思っているそうだが、町の空間にいたっても個人個人は世界の中心になリきっているのかと思うほどだ。

イギリスのスーパーに行ったとき、お菓子売り場で母親と子どもが大きな手押しカートをもって、通路の半分以上を占領していた。母親は子どもに色々話しかけながら品定めをしていたが、私が何も言わずに近づくと、母親はこちらを見なくても自然にカートを自分の方に引きながら自分と子どもを少し移動させて、私が通れる空間を作ってくれた。私は思わず「これが普通よね・・・」とつぶやいた。フランスではこういうことがほとんどない。

いつの時か、外国人同士でこの話が持ちあがったことがある。あるオーストラリアの友人は旅行でドイツからフランスにきたら、町にいる人々のマナーの無さに驚いたとか。とにかく道の真ん中に数人の人が話し込んでしまいどかない、「通してください」と言っても相手は無視。聞こえないのか、聞こえてもわざとどかないのかはわからない。「とにかくフランス人って自分の周囲が見えないのよね~」と驚いていた。この話題に一緒にいたアメリカ人の友人の経験では、見えていてもわざとどかない人もいたとか・・・・・「いづれにしてもわたしたちの国の習慣ではあり得ないわよね!」と、皆で盛り上がってしまった。

あともう1つ、Mon mari もよくイカッていることがある。
時々狭い歩道で、Vogueから抜け出したようなファッションで、背が高くハイヒールをカッカッと鳴らす女性に遭遇することがあるそうだが、モデル気分になっている人は狭い道のど真ん中を堂々と歩いて絶対に人をよけないのだそうである。普通は双方が横に寄って譲り合って通るが、ど真ん中をMon mari めがけて1センチも脇に移動することなく向ってくる、その勢いに彼は負けて、女王様のお通りの如く思わず壁に寄り沿い道を開けてあげてしまうのだそうだ。何て傲慢なんだ!とよく彼も怒っているが、ここまで来ると視野狭窄というより、認知機能の問題になるのかもしれない。

いづれにせよ、フランスで通路や歩道を歩くのは、常に忍耐が伴うのである。

2009年11月11日水曜日

Armistice de 1918

今日、フランスは休日である。「Armistice de 1918」。
1918年第一次大戦休戦協定の日である。
休戦協定は連合国とドイツ帝国との間で、1918年11月11日に締結された。この日にちなんで、11月11日の午前11時にはフランスをはじめとして欧州諸国では黙祷を捧げる。今年は、サルコジ大統領とドイツのメルケル首相が凱旋門での式典に参加した。

Armistice dayは英国ではRememberance Dayとも呼ばれ、同じく大々的に行事が開催される。女王はじめ、首相、議員、外交団、退役軍人、戦没者遺族など、多くの人がウェストミンスター寺院に集まって、同じく11時に2分間黙祷を捧げる。昨今は、第一次大戦だけでなく、イラクやアフガニスタンで命を落とした兵士たちへの哀悼の意も含まれてい るようだ。

この頃になると英国では、ポピーの花を胸につけている人が町中にあふれる。これは第一次大戦で犠牲となった戦没者とその遺族へ募金を集めるために赤いポピーを売ったのが始まりだそうだ。日本で言うと、赤い羽根募金のようなものだが、こちらではもう少し政治的な意味が含まれている。休戦協定日に一番近い日曜日は「ポピー・デー」とも言われている。ちなみにフランスにはポピーをつける習慣はない。

第一次大戦の一番の激戦区だったフランス、ベルギーをまたがるフランドル地方には、たくさんのポピーが咲いていて、その赤い色が傷ついて命を落とした兵士の血のように映った。そういう背景から、ポピーが戦没者への哀悼のシンボルになったそうだ。

第一次大戦は第二次大戦より被害が大きかったので、欧州人には深く記憶に残っているとも言われている。フランス北部のカレー市に行く途中にも、4ヶ月間で100万人近くの英仏独の兵士が亡くなったソンムの戦いが行なわれた地域があるが、そこを通るたびにMon mari はその戦禍のすごさを物語る。

2つの大戦では、欧州人は深く傷つき悲しみを味わったので、世代や国境を越えて人々は戦争の記憶を忘れることなく心に留めているのを感じる。そして自国民だ けでなく戦争で傷つき亡くなった全ての人に対して哀悼の意を示す。だから、東ヨーロッパで起こる戦争や民族浄化などには敏感に反応し、自分たちが過去に犯した過ちを二度と起こすまい、という強い信念や行動が端々に表れる。

日本は終戦記念日には、戦没した日本の兵士や市民には哀悼を捧げるが、欧州人のように大戦で犠牲になった多くの他国(主にアジア)の人たちに対してまで想って祈りを捧げるだろうか。欧州にいると、彼らのように広い心と視野をもって戦争の問題を意識し内省しないと、真の哀悼にはならないということをあらためて教えられる。

2009年11月9日月曜日

すごいショック・・・

前から欲しかった、ネストテーブルをついに買った。インドの家具を輸入販売するMyakkaという会社の製品。売り上げの一部をラジャスタンの障害児の学校プロジェクトに当てるという、今流行りのフェアトレードとかフィランソロピーを謳う会社。ウェブサイトには素敵な家具が一杯あって、見ると全部欲しくなる。

で、この素敵なテーブルをイギリスから運んできて、ルンルンとパッキングを開け、Burleigh 陶器と一緒に飾ってみて、一瞬ご満悦。
ところが・・・ 大テーブルの角が押しつぶされているのを発見、さらに最悪なのは真ん中のテーブルに木食い虫が生息しているのがわかった。その虫どもが木を食べて出す粉が一番下のテーブルに落ち、テーブルの上は真っ白になってしまうのだ。拭いても拭いても、粉は落ち続ける。

何と悲しいことか・・・ 他のテーブルや家具に虫が移らないように虫食いテーブルをベランダに出した。
会社にクレームを入れたところ、「一応出荷前に、いぶし消毒はするんですが、運悪く休眠中の幼虫が残ってたんですね。お客様の方で殺虫スプレーかけて頂ければ解決するんですけど・・・」と。
冗談はやめて!買ったばかりの新品の板は虫食いで穴だらけ、おまけに自分で殺虫スプレーしなければならないなんて、あまりにも惨めでやるせないのでイヤだと断った。89ポンドもしたんだもん。

交換はしてくれると言うがどうしようか悩んでいる。障害児の支援もしたいけど、あらたに交換しても、また虫がセットで絶対来ないという保障はない。それなら返品、返金してもらおうか・・・

その他、細かい部分の仕上げがとても粗雑。カスタマーレビューではほとんどの人が5つ星をつけていたが信じられない。会社のやらせかと思ってしまうほど、レビューと実物とのギャップが大きい。

途上国の製品、まだまだ品質管理が甘いので、カタログとかオンラインで買うのはリスク高いなとつくづく思った。こういうのを日本のODAの技術協力援助で何とかならないのかしら・・・?
「家具や家の木食い虫防止プロジェクト」とか(笑)・・・

2009年11月7日土曜日

性と生殖:タツノオトシゴ編

つい最近の英ガーディアン紙のサイエンス欄に、「タツノオトシゴの性生活」という記事があった。
タツノオトシゴ、英語ではSeahorse (「海馬(カイマ)」、)と呼ばれている、何となく愛くるしくて神秘的な海水魚である。
実はこのタツノオトシゴ、この地球上において、オスが妊娠、出産する唯一の生物なのだそうである。「オスが妊娠?」、いったいどんなメカニズムなのか・・・?
記事の説明によると、まずメスは産卵するのだが、その卵をオスとの交尾で渡すのだそうである。上の写真がまさに交尾の瞬間なのだが、このポジショニングが結構難しいらしく、卵を渡せるように何度も行為をやり直すそうだ。無事にメスが卵をオスに渡すとオスはお腹の中の育児嚢という袋に卵を入れて受精させて、やがてオスは出産の苦しみを経て、稚魚を産むそうだ。メスは妊娠したオスを大切にケアし、一緒にお腹の稚魚を育むらしい。

このタツノオトシゴの話を聞いて、人間もこれができればどんなに楽になるかと思った。つまり、男性も妊娠できれば、パートナー間でいつ誰が産むかの調節ができる。

例えば・・・

女:ねぇ、私課長になったからこの2-3年すごい忙しいの。とてもじゃないけど産休も育休も取れないから、悪いけど今回はあなたが妊娠してくれる?

男:ああ、いいよ。僕の方はこの数年は結構余裕があると思うし、職場も育休とれってうるさいから、そろそろ2人目作ってもいいかなって思っていたんだ。

女:ありがとう、じゃあ、今晩あなたに卵を渡すから、よろしくお願いね。

男:わかった、じゃあ、こっちのおたまじゃくしと一緒に準備しておくから、頑張って僕のお腹の中で育てていくよ・・・

なぁんてことが人間にもできればどんなにいいことか。

女性が妊娠、出産し、育児のほとんども女性の負担になっている日本の社会において、もし男女間で「妊娠・産み分け」ができたら、社会に劇的変化が訪れると思う。女性の社会進出は当たり前になるだろうし、男性自身が自分の問題として出産や育児を考えるので、子どもができても働きやすい社会を作ろうと いう機運が政治や経済活動全体に浸透し、子育ての環境やシステムがもっともっと充実するだろう。何よりも出生率が上がるのは確実である。そして出産育児にまつわる男女の格差や不平等も絶対に無くなる。

生殖補助医療は50年前はありえなかった。医学の進歩は目覚しいので、100-200年後くらいに、人間もタツノオトシゴ化して、「夫が妊娠したので、私も来年、一緒に育児休暇をいただきます」なんて言う時代が来るかもしれない。

2009年11月5日木曜日

月の女神になったおばちゃん

Mon mari のドロシーおばちゃん(彼の母の妹)が先週亡くなった。もう90歳を越えていたので、大往生ではあるが、私たちにとってはとてもかけがえのない人だった。おばちゃんは子どもがいなかったので、Mon mari を実子のように可愛がってくれて、もういい年した甥が遊びに来ると、今でもまるで5-6歳の子を扱うように、彼にチョコバーやキャンディなどをくれたりした。私には、洗剤、石けん、ティッシュ、調味料など、元主婦の勘で普段絶対に使う実用的なものをいつもおみやげにくれるユニークな人だった。東洋から来た、よくわけのわからないこんな私にも、分け隔てなくとても良くしてくれたので、本当に感謝している。

おばちゃんのお葬式の日の朝8時頃に、B&Bの窓から何故か、まん丸い月がくっきりと見えた。日の出からしばらくしてこんなお月様を見たのは生まれて初めてだったので、これはきっとおばちゃんが現れてくれたんだわ、と思った。


おばちゃんはダンナ様をなくしてから、自立型の居宅老人ホームに入っていた。最後まで、人の手を煩わせず、自立した生活を送れていたので、彼女の尊厳は保たれたと思う。
お葬式の会場(Crematorium)に行く前におばちゃんの棺を載せた霊柩車(Hearse)と親族を乗せるリムジンが老人ホームに横付けされた。帽子をかぶって杖を持っているのが、葬儀社の人(Funeral Director)である。

Hearseを先頭に私たちの車が続いた。右の写真が棺を載せたHearse。日本と違い、棺は隠さず、車の窓から見えるようになっている(写真が見えにくければクリックして拡大してご覧ください)。
1時間近くかかって、Crematoriumに到着。そこの施設で、牧師が祈りをささげてくれ、一緒に賛美歌を歌い、彼女の冥福を祈った。その後、老人ホームに戻り、お清めのレセプションを皆で行なった。
彼女は火葬され、遺言に従い、ダンナ様と同様、地元の墓地で散骨されることになる。

おばちゃん、安らかに眠ってください。

2009年11月1日日曜日

ユニクロと行列のできるラーメン屋

昨日、パリのオペラ座近くにオープンしたユニクロに行った。土曜の夜7時過ぎだし、オープンして1ヶ月経ったので、そんなに人もいないだろうと思っていったら、まだまだ大勢の客で賑わっていた。私は冬に向けたインナーと小物を買いたかったので、ヒートテックのコーナーに行ったら、ご覧のようにパリギャルがたむろしていた。Mon mari はジーンズが欲しかったのだが、試着室の前に20人も待っていたとか、短気な性格なため我慢できず、何も買わずに店を後にした。

私はヒートテックTシャツ2枚、毛糸の帽子とソックスを購入、しめて31ユーロ(4000円くらい)。悪くないかな。
まあこれでこの冬は乗り切りましょう。

ジーンズが買えなくて限りなく不機嫌なMon mari を慰めながら、オペラ座からルーブル美術館に向う裏通りを歩くと、日本食レストランが軒を連ねているので、「ラーメンでも食べて帰ろうよ」と誘った。
随分昔に、母と姉でパリを旅行した時に立ち寄ったラーメン屋がこの界隈だったが、まだあるかしらと探したら、難なくみつかった。

しかし、驚いたことに・・・
ラーメン屋の前には何と、パリジャンの行列。なんだ、これは東京と同じじゃないの!
並んでいるのは日本人や中国人でなく、フランス人なのである。いつからこんなことになったのか?誰か説明してよ!と叫びながら、だんだん日本人のテリトリーが侵略されている気分になった。

開店当初はオーナーは日本人だったと思うが、今はコックは中国人。餃子とキリンビールからつまみ始めて、私は塩ラーメン、Mon mari はねぎラーメンを注文した。味はまあまあ。麺がたまご麺の色をしてなかった(小麦粉だけで作ったのかな?)が、アラームクロックで時間を測ってゆがいていたので、しこしこしていた。食堂でアラームクロックを使うのを見るのは初めてと、Mon mari は感心していた。几帳面な日本では普通だけどね。
上の写真は、餃子作りの機械。日本では見たことない。具をミキサーにかけて、真ん中に皮を置き、ボタンを押すと、自動的に具が皮の中に包まって入り、下にポトッと餃子が落ちてくる。さすが、中国人の知恵と技術。似たような機械、寿司のシャリが機械でポトッと落ちてくるのをロンドンで見たこともある。
でもやっぱり餃子は一つ一つ手で作るほうがおいしいような気がする。

2009年10月30日金曜日

プーさんの家


プーさんの家は1888年に建てられた、いわゆる「Gentleman's House:紳士の館」。
領主が広大な土地を管理するために、ある小作人(使用人)に家を与えた。これがプーさんの家だ。当時は子沢山の時代だったので、最初の使用人の奥さんは13人の子どもを産んだ。奥さんは13人目の出産が原因で亡くなったそうだ。そんな話をオーナーから聞くと、家の中のあちこちに歴史が刻まれているのがわかるが、何となく、たくさんの人の霊が宿るスプーキーな雰囲気も感じられる。

オーナー夫妻は元学校の教師。80年代初めにこの家と土地を買って、コツコツとリフォームを重ねて、B&Bにした。最初のオーナーが13人の子どもがいたためか、15くらいの部屋はある母屋に加えて、大きな納屋もある。
オーナー夫妻いわく、段々年とってくると、家の維持管理が大変になるので、近いうちに母屋を売って、自分たちは納屋を改築してそこに移り住み、生活を縮小するそうだ。

周囲は広大な牧草地帯で、牛、羊、やぎなどがたくさんいて、典型的なイングランドの田園風景が楽しめる。

こんなところに住んでいるプーさんは本当に幸せだと思う。

2009年10月27日火曜日

ネコのプーさん

Swanseaのあと、Mon mari の用事に付き合い、彼の故郷のレスターに滞在した。時々泊まるB&Bに、ネコのプーさんがいる。 (プー:Pooh、あまりいい意味じゃないけど・・・)
私たちが朝食を食べ始めると、どこからともなく、「そのソーセージ、おくれよ、おくれよ」と喉を鳴らしてやってくる。
ダイニングの入り口の扉を開けようと必死で可愛くもがき続けるが、無駄なトライ。

私はお肉をあげたくてしょうがないのだが、餌やり禁止命令が出た。

しかし、イギリス人は朝からなんでこんな重たい食事をできるのか不思議だ。ちなみに私はベジタリアン・ブレックファーストにしている。Mon mari は、お金を払っているんだから、フルで食べないと損だ、とケチくさいことを言う。イングリッシュ・ブレックファーストにさらに、パンケーキやワッフルを加えるとアメリカン・ブレックファーストになる。
こんなに朝から食べれば、太るよね~。

プーさん、窓越しに私たちの食事をじっと見てこうつぶやいている。
「その肉の切れ端だけでもいいから、ちょうだい!」と。

2009年10月24日土曜日

大物は田舎から?

私が滞在しているのは、ウェールズ南部、Swansea (スウォンジー)という町。海と山に囲まれた自然の美しい町。リゾート地で有名だがそれ以外に大きな産業はない。
しかし・・・この小さい田舎町はある有名人の故郷なのである。

その人とは・・・   キャサリン・ゼタ・ジョーンズ。
そう、あの、ハリウッドで有名な美人女優。最初私は、彼女はラテン・アメリカあたりの出身かと思っていたが、実は純粋なウェールズ女性だったのだ。あの大胆な女優の姿と、この小さく素朴な町のイメージがかけ離れていたので正直、信じられなかった。
彼女の両親はまだここに住んでおり、郊外にマイケル・ダグラスとマンション(邸宅)を買って、たまに遊びに来ているらしい。


Swanseaの隣にPort Talbot(ポート・タルボット)という小さい町がある。過去に鉄鋼産業で栄えた地域。昔ほどでないが、今も細々と工場が稼動している。典型的な労働者の町。駅から見える家々の雰囲気から、およそ、お屋敷などは存在しないというのがすぐわかる。
このひなびた町もある有名人を輩出している。

アンソニー・ホプキンズ。
彼もハリウッド映画の名優だが、このような裏さびれた鉄鋼の町で育ったというのは今の姿から想像できない。
余談だが、彼の正確な名前は「アントニー・ホプキンズ」。Anthonyという名前は英国では「アントニー」、アメリカでは「アンソニー」と発音する。ハリウッドで成功するために、アメリカ式の発音の名前に改名したのだろうか・・・?

キャサリンのお父さんはお菓子工場で働いていたそうだ。アンソニーはパン屋の息子だった。
二人とも労働者階級で育ち、親を超えるためにハングリー精神を養い、世界に羽ばたいた、キャサリンとアンソニー、ウェールズ人は彼らをとても誇りにしている。

英国では、こういうひなびた田舎から、大スターや偉人が出現するのだそうだ。

2009年10月23日金曜日

Mon ami de Gaza


今日は図書館で勉強した後、友達とお茶をした。同じコースで論文を書いている、アティマッド。
私がコースを始めた4年前からの一番の仲良し。離れていても、メールでお互いの近況を伝え合っている。というか私の方がずっと彼女のことが気になって、連絡を途絶えたくなかった。

アティマッドはパレスチナのガザ出身。ジェンダー活動家。ガザの女性百人以上にインタビューして、あの原理主義のハマスとジェンダーの関係という、すごいテーマで論文を書いている。
パレスチナでは、国連や世銀の仕事をばりばりこなしてきた。

政治的に反ハマスを貫いており、夫君もどうもハマス絡みで命を落としたようだが、詳しくは語りたがらない。
イスラムの女性だが、ベールも被らず、いつもラフな格好で、タバコをスパスパ吸っている(お酒もたまに飲む)。こんなにリベラル、というか開放されたイスラム女性と会ったのは初めてである。今年中に論文を終えて、英国でイスラム女性の研究家として大学でリサーチを始めるそうだ。

左は息子のマスジッド君。今年二十歳。
去年から今年にかけての、空前の空爆のときに、一人でガザにいた。アティマッドは仕事でカイロにいた。息子の安否を心配して、何とかガザから脱出できるようにあちこちに手配し、彼も毎日毎日、エジプトとの国境に足を運び、エジプト政府が気まぐれに検問を開けてくれるのを待って、最後は150ドル渡して、トンネルをくぐって自力で脱出したそうだ。国境越えのときにも、ハマスから拷問に近い嫌がらせを受けて、トラウマになっているとか(体型から見るとあまりそんな雰囲気は窺えないのだが・・・)。彼は本当はガザが大好きなので帰りたいのだが、ハマスが怖くて一人では戻れないそうだ。なので、今、難民申請をしている。でも英国政府は色々難癖をつけてなかなか首を立てに振らないため、弁護士を通して頑張って手続きを進めている。

空爆の話はたくさんしてくれた。私も15年前にガザに行ったことがあるのだが、マスジッド君はその頃の光景なんてもうないよ、と苦笑して話してくれた。
皮肉なのは、二人ともイスラエルだけでなく、ハマスとのことで相当深い傷を負ってるのである。

彼らのように、脱出できた人たちはまだ恵まれているが、脱出できず、ガザに留まる以外の選択しかない、パレスチナ難民の人たちのことを思うと心が痛む。

2009年10月21日水曜日

ウェールズ

只今、ウェールズの大学に来ている。南ウェールズのスォンジーという海沿いの街。
1週間だけの短期なので、いつもお世話になっている、クレセント・ゲスト・ハウスに滞在。
小高い丘の上にあるエドワード調の家だが、ド派手なブルーに塗り替えられ、リゾート地らしい建物になっている。通りの中でもひときわ目立つ家だ。

お部屋は最近可愛くリフォームして、とてもコージーになった。
窓から見える町並みや海は壮観。
朝ごはん付きで1泊40ポンド(約6千円)。悪くないかな。

ウェールズは、イングランドと異なり、ワイルドな自然を楽しめるので、私のお気に入りな地である。