2010年12月30日木曜日

お隣はブーメラン

昨日、お隣でご近所さんが集まってバーベキュー・パーティがあった。
何分、田舎なので皆、気取ることなく、とても気さくだ。
都会のパーティと違い、日々の田舎生活の知恵に関する情報交換、ご近所のゴシップなど、新参者にはとても有用な情報をいただく。特にオーストラリアのブッシュにはヘビが多いので、どういう所に生息して、見つけたらどう対処するのか、など私には驚くような話ばかりで、目を丸くして聞いている。

うちのお隣の家とは、後ろと右横に2軒ある。お隣と言っても、400-500メートルくらいは離れている。
このバーベキュ・パーティは右横の家で行われた。
このお隣はブーメラン(Boomerangs)というセルフケータリング式のコテージを経営している。
5年前に私たちはこのブーメランに泊まり、コテージのユニークさと周囲の景色の素晴らしさに感動し、即ここに家が欲しくなり土地探しを始めた。
もしグレートオーシャンロードに来る機会があったら、一度はブーメランに宿泊することをぜひお勧めする。ちょっと料金は高いけど、それだけ払っても泊まる価値はあるコテージだ。
何故ブーメラという名前かというと、コテージそのものがブーメラン形をしているからなのだ。部屋のあちこちにもブーメランにまつわる装飾がされている。

ブーメランのオーナーのマークとロズ。
マークはオージー、ロズは英国人。二人は英語教師として80年代の終わりに来日し、愛知県の公立学校に赴任した。学校は違っていたものの、同じ県内の英語教師ということで知り合い、付き合い始めた。二人とも日本が好きで学校の任期が終えても県内の豊田市に移り、トヨタカンパニーで英語を教えるなどして、合計7-8年、日本に住んでいたそうだ。なので、二人とも日本語が話せる。とくにロズはとても流暢(もう恥ずかしいのか、私とは基本的に英語で話すのだけど・・・)。学校ではロズという名前から「バラ(薔薇)ちゃん」と呼ばれていたそうだ。二人は結婚しオーストラリアに住居を構えた。マークがサーフィン好きだったので、サーフィンで有名なジョハナの土地を買い、そこでコテージの建設を14年くらい前に始めた。ブーメランのコテージはとても個性的な作りなのだが、デザインしたのはなんと日本の友人の建築士だそうだ。

二人の家の中には日本の思い出が多くある。
夕ご飯のごちそうにお好み焼きとかを作ってくれたこともある。
庭には日本の庭園を思わせるような赤い橋を作り、横にはもみじなど、日本の植物が植えてある。

で、この間も話した私のリハビリ療法士のハナちゃんのパパとママはマークとロズなのです。
ハナとは、ジョハナの「ハナ」から取ったのだそうです。
日本好きな二人がお隣にいて、ここの生活で少しはホームシックから開放されるかも・・・。

2010年12月28日火曜日

Johanna Beach

我が家がある村はJohanna (ジョハナ)という。グレートオーシャンロード沿いの海岸は波が荒く、その昔、英国から移住しに来た多くの船はこのバス海峡で難破した。その中でもジョハナに無事上陸できた船がJoanna(ジョアンナ)号で、その船の名前がなまってこの地がジョハナになったそうだ。

我が家から車で3-4分のところにあるジョハナ・ビーチは白い砂浜海岸である。
ここはサーフィンビーチとして有名で数年前に世界大会が開催されたそうだ。

せっかく素敵な砂浜ビーチなのに、実は泳げないのだ。とても残念。
波が荒いので、遊泳注意喚起の立て札が立っている。

でも人々は長い砂浜ビーチに犬を連れてきて散歩したり、読書したり、釣りなどを楽しんでいる。

私たちがビーチを歩いていたらちょうどお隣のワンちゃんたちもお散歩に来ていた。
この子はジャック・ラッセル・テリアのジョージア。
猫のような小さな身体なのに現在妊娠中。1月下旬、出産予定。
でも元気に飛び跳ねている。

この子は以前、ブログでも紹介した私のリハビリ療法師のハナちゃん
今でも私に抱きつき、思いっきりなめ回す。すこーし慣れてきたが、まだちょっとこわいなぁ。

2匹とも思いっきり開放されて、砂浜をダッシュしていた。
しかし、臨月に近いジョージアはどうしてこんなに走りまわれるのか、人間の妊婦とは大違いである。

2010年12月25日土曜日

ちゃんと名前あるのよ

クリスマスは特別なことはせず、相変わらず田舎の家で労働。
私は家の中のペンキ塗り、Mon mari は生い茂った草を刈るため一日中草刈機を乗り回している。

庭で色々と作業をしていると隣の牧場の住民たちが「何やってんの?」と興味深そうに見にやってくる。
こちらのことがとても気になるらしい。草木をいじっていると餌やりと勘違いして大量の牛が押し寄せてくる。

皆異なる柄や表情をしているのだが、実は一頭ずつ名前があるのだ。
向かって右側の耳に黄色いピアスがつけられて、そこに番号と名前が記されている。
上の二人はレナちゃんとパッツィーちゃん

この子はキティちゃん。よく見ると、なんとなくハロー・キティのキティちゃんの目に似ていない?

ドーン君。女の子の多い中で数少ない男の子

チャミーちゃん。

家畜にも一頭ずつ名前をつけてあげる・・・管理上の理由だけでなく、アニマル・ライツの一環なのかな?

この牧場の持ち主のエバンスさんはもともとミルク用の牛を飼っていたが、数年前に血液のガンになってしまい労働集約的な飼育ができなくなったので、最近は食肉用の牛を放牧しているそうだ。
このかわいいレナちゃんやキティちゃんたちもいづれは私たちのお腹に入っていくのかと思うと、とても不憫な気持ちがした。

2010年12月19日日曜日

さらばコルク!

最近、オーストラリアの多くのワインの栓はコルクでなく、金属製のスクリューキャップに変わっている。何故なのか?

歴史的に説明すると、ワインの栓がコルクである理由はもともと「それしかなかった」からなのだそうだ。
ワインだけでなく、油や酢、そのほかの液体物も昔はコルクで栓をしていた。

コルクの匂いが染みた香りのワインに慣れているとやっぱりコルクでなければ、と思う人も多い。でもコルクは不規則な穴が開いているので、虫食いや液漏れでワインを酸化させてしまうこともある。代替品としてプラスティックの合成コルクを使われていることもあるが、完全な密閉は難しいらしい。

スクリュータイプなんてちょっとチープなワインのイメージがあるが、某ワインの専門家によると、実はワインの品質保持には酸素を完全密閉できるスクリューキャップが一番良いのだそうだ。でも、消費者の多くはコルクの方に高級感を感じ、ワインの栓はコルクであるべきと考えている人がほとんどだそうた。またレストランでコルクを開けてもらいその音と匂いをかぐのを楽しみにしている人も多いとか。
一方、自分で間違ってコルクをつぶして開けてしまうとコルクのカスがワインの中に散らばり、大災難になる。

スクリューキャップによる品質保存の実験は30年近くも行われており、品質保存においてまったく問題はないそうで、熟成期間の短いワインは今後着実にスクリュータイプに切り替わっていくようだ。

フランスに比べてオーストラリアでどうしてスクリューがこんなに普及しているのか?それはオーストラリアが環境に配慮し始めたからである。
コルクはコルク樫の樹皮をくり抜いたものでそのほとんどはポルトガルや欧州諸国、地中海地域で採れるが、最近では需要が供給に追い付かず木の成長が間に合わない、そして過剰な収穫によりコルク樫自体への悪影響が世界的に懸念されている。
森林伐採を続ける問題と、またコルクよりスクリューの方が確実な品質保存が期待できるという理由から、オーストラリアのワイン生産者は確実にスクリューキャップに切り替えている。
実際に安いワインだけでなく、数百ドルもするワインもスクリュータイプになっているそうだ。

ということで、これから生産されるオーストラリアのワインはすべてスクリューキャップになっていくだろう。

2010年12月18日土曜日

キャンプ生活脱出

グレート・オーシャン・ロードの家は2年前に家の外枠ができた。
内装は去年から徐々にはじめたが、なかなか進まない。
やはりこちらに住んでいないとどうしても大工さんたちの優先度や緊急度が下がる。

本当はクリスマスまでに床張りとキッチンが完成するはずだった。
しかし、床はまだできておらず、キッチンも扉のない戸棚の枠組みだけはできた。田舎の人はどこの国でものんびりしているので、こちらが焦っても仕方ない。相手のペースに合わせて気長に待つしかないことをよく学んだ。

工事が遅れている一方で、白物家電や家具はきちんと配送されたので、多少は人間らしい生活が始まっている。今まではダンボールの箱の上でご飯を食べていたが、 やっとダイニングテーブルが来て食事はぐっとおいしく感じられようになった。またキャンプ用のエアベッドに寝ていて背中が相当痛くなり睡眠不足に悩 んだが、まともなベッドとマットレスが来たのでこの2-3日は快眠を享受できている。下の写真は家族や友人を呼ぶための客室になる。自分たちの寝室のベッドはこれから Mon mari が自分で作るらしく、毎日あちこちのDIYショップにでかけて気に入った木材を探している。

さて、今日は電気工事屋さんが来て配線工事の最終化をしてくれ、そして庭の草が相当伸びたので、芝刈り機で草むしりをしなければならない。
クリスマス前だが、休暇気分にはなれず、毎日肉体労働の連続である。

2010年12月16日木曜日

I live in the past

オージー2日目からストレスの連続。
今回、Mon mari は85年モデルのランド・ローバーを買ってしまった。
オージーに来る前にネットで探して、気に入ったのが見つかり早々と売り主と商談を成立させた。
私は絶対に物を見てから決めなさい、と言っていたのだが子どものように待てずに「大丈夫、写真で見る限りは問題ないし、オーナーも車の状態を細かく説明してくれたから」と言っていた。

しかし、転売する場合、新しいオーナーは車検を受けなければならない。
車の引き取りを終えてから車検を受けたら不合格。あちこちの問題がみつかり、修理に7000ドルもかかることがわかり、Mon mari は超不機嫌。
「だから言ったでしょ!」と責めたらら本当のことを突かれたのでさらに不機嫌になった。
当たり前だが、売り手は調子のいいことしか言わない。
どうして手付金だけ払って、満足したら全額払うということをしなかったのか理解に苦しむ。およそ、ビジネス・マインドがあるとは思えない・・・

ランド・ローバーは英国の車で、もともとは農民が農地で使う四輪駆動車として作られた。
彼は以前からランド・ローバーで藪、川、ぬかるみなどのオフロードをエンジョイしたいという夢があり、どうしても欲しかった。そして、昔風のクラ シックモデルが好みで、思いっきりオンボロを手にしてしまった。
英国人は今でも「昔に生きている」人達なので古いものにこだわり、オンボロをシコシコ 直して使うことを一つの楽しみとしている。でも言い換えると、過去に生きるというのはとてもお金と時間のかかるのである。

私には絶対に理解のできない判断と行動である。
でもこのストレスにしばらく付き合わなければならない。

2010年12月13日月曜日

五つ星のお味

日曜にDown Underに向けて出発した。
今回は初めてカタール航空を利用、いつもと違う航路を選択した。
パリからカタールのドーハで乗り継いで、メルボルンに到着。
およそ22時間ちょっとの飛行、シンガポールや香港経由より1-2時間短縮される。運賃も主要航空会社の中で一番安かった。

最近、カタール航空はあちこちで派手に宣伝をして、自らを「Five-Star Airline」と名乗っているが、そもそもFive-Starか否かは客や旅行会社が評価するものではないだろうか・・・?
初めての搭乗で個人的にはまだFive-Starには及ばないことを確信した。
まず出された食事のメインのおかずが二度も冷たかった。客室乗務員(CA)曰く、オーブンで温めるのだけれど、一旦冷たいカートに入れて配膳すると冷めてしまうのだとか。でも他の航空会社も同じやり方をしていても冷たいおかずを出された経験はないので、やっぱり工夫が足りないのだと思った。そして、10時間以上の飛行でトイレが思いっきり汚れてもCAは掃除などしない。全日空は定時にCAがトイレ掃除しているのを何度も目にした。

多分、ファーストやビジネスの客には極上のサービスをしているので評判はいいのだと思う。ちなみに、ドーハ空港ではすべての飛行機はエアブリッジでターミナルに接続できないため、乗客はタラップで一旦降りて、バスでターミナルに向かう。ファーストやビジネス客は「エグゼクティブ・バス」というのに乗せてもらえるが、エコノミーの客は別名「家畜バス」というのに乗るのだと他の乗客が言っていた。
しかし本当のFive-Starのエアラインとは、ファーストやビジネスでなく、エコノミーの客が気持ちよく楽に搭乗できるかの方が重要だと思う。その意味でシンガポール航空はエコノミーでも本当に心地よい。
それとドーハ空港のトランジットのバス乗り換えはものすごく時間がかかり疲れる(今、新しいターミナルを建設中らしいが・・・)。以上の理由から私としてはカタール航空はまだThree-Starくらいの評価しか出せない。

しかし最近の湾岸の航空会社の急成長ぶりには目を見張るものがある。
日本から欧州やアフリカに行く場合、ドーハやドバイなどを経由するのが当たり前になった。何故こんな現象が急速に起こっているのか?
勿論、湾岸への観光客や投資の呼び込みもあるが、実はこれは湾岸諸国政府の膨大の補助金によって成り立っている巨大ビジネスなのだそうだ。
つまり、ドバイ、アブダビ、カタールなどの政府はエアバスやボーイングの最新航空機を何十機も買いまくって、さらに自分たちの土地から採掘される格段に安い燃料を供給し、外国人のパイロットやCAを雇うことで、安全性、価格、イメージで圧倒的に欧米航空会社に勝っているのである。なので、欧米航空会社はエミレーツ、カタール、エティハッドなどは実質国有会社であり、WTOの補助金や競争の原則に違反しているとクレームしており、カナダはエミレーツの乗り入れを制限する対抗措置を取ったとまで言われている。

確かに機体は新しいし、CAや地上職員は白人系かアジア人系がほとんどで、アラビア語を話すカタール人などはあまり見かけなかった。とてもカタール人自前の飛行機に乗っているという実感はなかった。
そういう意味で、パキスタンのPA、バングラのビーマンなどは安全面ではちょっと怖いしサービスもよくないが、自力で運行しているのを見ると「頑張って!」と心から応援したくなる。

オイルマネーでのし上がった湾岸航空会社はこれからもさらに躍進していくだろう。でもパイロットもCAも外国人に頼っているうちはその国の人材の能力強化にならず、長期的に見るとマネー以外で国の発展に役立つのかは多いに疑問である。

2010年12月10日金曜日

欲しいけど欲しくないノーベル賞

お昼ご飯を食べながら、ノーベル平和賞の授与式の実況中継を見た。
今年は中国の民主化運動家の劉暁波(リウ・シアオポー)さんに授与されたが、当然ながらご本人は式典には出席できず、多分ご夫妻で座ったであろう壇上の2つの空席の椅子がとても印象に残った。

ノーベル平和賞委員会のヤーグラン委員長は長い演説の中で劉さんの功績を称える以上に、中国政府をかなり厳しく批判し続けていた。最後に「劉さんは何も悪いことをしていない、即刻釈放されるべき」と訴えたときには、会場が総立ちになって拍手を送った。劉さんへの栄誉と中国政府への糾弾が入り混じった式典だった。

出席者の多くは欧米系の人たち。アジア、アフリカ系の人たちの参列はまばらだった。どこの国も中国に遠慮して出席を控えたのだろう。

中国が何故、こんなに劉さんの受賞に対して抵抗し激怒しているのか?
新聞やテレビを総合すると色々な見方があるようだ。
言論の自由を認めると人権、民主化が促進し、それにより現体制が崩壊し、地方の分離運動が進み国家統一困難になるから。
共産党の中枢人物は、多党政治になることで自分たちの権益が奪われるのを恐れるから。

しかし、一党独裁というとシンガポールもそうである。あの国で政府や政治家の批判をするのはタブーで、言論の自由が厳しく制限されている。でも国際社会は中国は批判してもシンガポールには何も言わない。何故なんだろう?
そしてシンガポールから政治的民主化を訴える活動家が出ないのも不思議である。

話は元に戻って・・・
上記のように中国が平和賞を拒む理由は国内の政治や統一に混乱をきたすことが一点。

もう一点は感情的な問題という論調。
中国は本当は喉から手が出るほどノーベル賞がほしい。
ノーベル賞への憧れは強く、街の書店には受賞者の歴史に関する本が売られて、とても人気があるそうだ。
これだけの経済大国になって、10億以上の人口がいても国際的に認められた知識人を輩出できていないのが本当にくやしい。
2000年初めにノーベル文学賞に中国人作家が候補に挙がったが、これも体制批判をする退廃文学とされ、中国政府の抵抗に遭って受賞にはいたらなかった。

そして、今回の劉さんの受賞。
本当は化学賞、物理学賞、経済学賞、文学賞など、いわゆる自然科学、人文科学の分野で世界レベルとして認められたい。
それなのに、劉さんのように「世界レベルの反体制活動家」が受賞してしまったこと、そして歴史初のノーベル賞受賞者が収監されている囚人であるということ自体が中国政府にとってこの上なく屈辱的なのだそうだ。

中国にとってノーベル賞は西洋感覚に基づく「知識の封じ込めと拒絶」ということになるらしい。
そうかもしれないが、一方で中国は60年前に国連人権宣言(規約)に調印したことを決して忘れてはいけない。

欲しくて欲しくて仕方ないけど、今度は頂きたくないノーベル賞、何とも悩ましい受賞である。

2010年12月7日火曜日

よくある苛立ち

今朝、アパートの下にリサイクルゴミを捨てにいったときのこと。
写真のように、ゴミ箱の上に大きなダンボールがドンと捨ててあった。
フランスでは至極日常的なこと。
日本でこんなことしたら、ご近所から苦情が出るので、必ず折りたたんで紐なりガムテープで縛って清掃員の人が持って行き易いようにするのが常識だが、こちらではそんな感覚は微塵もない。

とりあえずこのダンボールは外に出されているが、下のゴミ箱もどうやら他のダンボールで一杯になっている。幸いに、隣のもう一つのゴミ箱はまだ空きがあったので私のゴミは捨てられた。ひどいときはこの位の大きさのダンボールが2つのゴミ箱の中にドンとそのまま捨てられていることがある。つまり他の人がゴミを捨てる隙間が全くなくなっているのである。
言い換えると、捨てる側は自分がこういうことをしたら、後の人がどうなるか、ということは全く考えていないのである。さすが、センター・オブ・ユニバースに住むパリジャンである。

文化とか国民性と言えばそれまでだが、フランス人はこういうところで日常の小さな気遣いがないように思える。
ちょっとしたことだけど、外国人としてこういう苛立ちが日々積み重なると段々と、「住みずらいフランス」と思い始めるである。

2010年12月5日日曜日

驚きの多機能

最近、炊飯器が壊れたので新しく買い換えた。
フランスでは満足する機能のお釜がなかったので、あちこち探してやっとイギリスでそれなりの物をみつけた。こちらでも炊飯器自体はたくさん売っているが、もう日本では見ないようなかなり時代遅れのデザインや機能だったりする。やっぱり炊飯器は日本のメーカーが世界一だと思う。

新しくキッチンに登場した炊飯器はサンヨーの5合炊き。二人世帯にはちょっと大きいが、このサイズしかなかったので、大は小を兼ねると思って買った。

さっそく使おうとして説明書を見てびっくり。
信じられないような機能がある・・・・
まず、白米は当然のこと炊けるが、お粥機能がないかわりにリゾットのボタンがあるのはさすが欧州仕様。また白米だけでなく、ブラウンライス(玄米とか)も炊けるようになっている。
そして、炊飯器は蒸し器の代わりにもなっていた。写真の手前の白い網は野菜などを蒸す際に使うトレー。煮込みもできるらしくシチュー用のボタンまである。さらにさらに驚いたのは、ヨーグルトまで作れるそうだ!

一体、炊飯器はどの次元まで進化するのだろう。
Mon mari は「そのうち、チップス(ポテトフライ)も作れるようになるんじゃない?」と期待をこめて語っていた。確かにこの分でいくと、将来は魚フライ(フィシュ・アンド・チップス?)、コロッケや唐揚げとかも作れる炊飯器が登場してもおかしくない。しかし便利とは言え、一つ のお釜で炊く、蒸す、煮る、揚げるの全てを調理するようになったら、油や香辛料などが付着して従来の白米の香りや風味が損なわれる気がする。

随分前に日本のテレビ番組で、炊飯器一つで生活の全てをこなしている大学生が紹介されていた。その人は、白米だけでなく、味噌汁、煮込み料理(肉じゃがとか)などのおかずも炊飯器で作るので他の調理器がいらないと豪語していた。さらに驚いたことにお釜に下着や靴下を入れて洗濯もしているとか。食べものと汚れ物を一緒の釜で扱うなんて言語道断だが、貧乏学生の彼によると、炊飯器は生活を支える重要な万能機だそうだ。

多機能はそれなりに便利だが、私は野菜を蒸したりシチューまで作る気はしない。
やっぱり炊飯器はお米を炊くだけの機械であってほしい。

2010年12月1日水曜日

Shall We Dance? ちょっと動画

言い忘れたが、ブラックプールはイギリス最大の保養地で、街にそびえるタワーが有名である。タワーはもう100年以上も前に建てられ、ダンスホールはこのタワー(写真)の下にある。

動画を少しだけ撮ったのでご覧ください。何となく臨場感が湧くと思います。
上がクイックステップ、下がチャチャチャです。



どう? 見てるだけで一緒に踊りたくなる気分でしょう?

2010年11月30日火曜日

Shall We Dance? Blackpool コンペ

前回に続きブラックプールのお話。
今回のこの競技会は、Imperial Society of Teachers of Dancing (ISTD)というイギリス内のダンス協会が主催している。国内のダンス教室から各地域の予選を通過して晴れてブラックプールに来た人たちは皆、結構な実力を持っている。Ballroom dance は、モダンのワルツ、クイックステップ、タンゴ、ウィーンワルツ、フォックストロットの5種目、ラテンのサンバ、チャチャチャ、ルンバ、パソドブレ、ジャイブの5種目から構成されている。午前中はジュニアとモダンの競技が、午後はラテンが行われた。

いやぁ、それにしても本場のBallroom Danceは本当に素敵。
ブラックプールのダンスホールの床は硬くなく、ダンス用に足を痛めないよう特殊加工して作られているのも、人気の秘密とか。

これはイギリス内の一部の人たちのコンペだけど、毎年、5月から6月ころに行われる世界競技会は本当にすごいらしい。死ぬまでに一度、世界競技会を是非見てみたいものだ・・・

さて、これから競技に出る人たちの出番待ち。皆、緊張している。背番号をつけている人が競技者。
男女比からすると女性が多いので、パートナーは教室の先生だったり、友人だったりで、競技の相手役を務めるのみで審査の対象にならない人も結構いる。女性同士、男性同士で踊る組もいる。あくまでも背番号をつけている人のみが審査の対象になる。カップルというより、個人の能力審査の形を取っているよう。

私はモダンの中ではクイックとタンゴが好き。年代別に競技しているが、50代以上の人たちもすごい素敵に躍っていいた。

驚いたのが、ジュニアがすごい活躍していること。小学生、中学生くらいの子がワルツとかクイックとかを上手にこなす。大人顔負けの表現力を持っている。上の写真はジュニア選手の表彰式。

さて、これが我らのヒロインのロズちゃん。
ロズちゃんはタンゴとルンバを踊った。今回の競技でのパートナーは、ダンナさんでなく、教室の先生だとか。夫婦で一緒にダンスを習って、競技に参加するカップルというのは少ないようだ。
実はロズちゃん、現在妊娠4ヶ月。お腹が目立ち始めているにもかかわらず、タンゴとルンバとはすごい。母が踊っていると、お腹の子も一緒に楽しんでいるのかな?とにかく彼女のエネルギーに脱帽。

ロズちゃんが先生と踊っているルンバ。すごい情熱的で素敵だった。
タンゴは第二戦に残れなかったが、ルンバは残れたとか・・・ 
身重の身体でよくここまでやった!

うーん、私もBallroom danceを習いたくなった。Mon mari もBlackpool に来るまではBallroomなんて、とバカにしていたが、実際の踊りをみたらおもしろそうに思えたのか、「一緒に習ってもいいよ・・・・」と言い始めた。彼の気が変わらないうちに、どこか教室を探さないと・・・

2010年11月29日月曜日

Shall We Dance?

レスターに続いて、イギリス北西にある、ブラックプール(Blackpool)という街にやって来た。
随分前に、日本で「Shall We ダンス?」という映画があって、いわゆるBallroom Dance (社交ダンス)が注目され、巷で流行りはじめた。映画の中でダンス教師役だった草刈民代は、ブラックプールの世界競技に出たという設定だった。社交ダンスをする人は誰でも一度はこのブラックプールのダンスホールで踊りたいという夢を抱くそうだ。つまりこのホールはダンサーにとっての世界の檜舞台なのだ。

今回、ブラックプールに来たのは、Mon mari の甥のお嫁ちゃんのロズが、ブラックプールのコンペに参加するというので、皆で応援するためだった。実は私も密かに社交ダンス、いやBallroom Danceに興味があり、いつかブラックプールに来たいと常々思っていた。

ブラックプールはダンスホールで有名だが、街自体はちょっと安っぽいとも言われている。その隣のLytham St. Annes (リザム・セント・アンズ)という街は品があり落ち着いているそうで、ロズちゃんの家族、親戚一堂は皆、この街のグランドホテル(上の写真)に泊まった。いつもチープなB&Bに泊まる私たちには豪華すぎるホテルだった。

ホテルの前のビーチを歩くと、もう夕方5時近いのに、まだ引き潮なので驚いた。このあたりは、引き潮地域なので、Cockles(トリ貝)がたくさん採れるそうだ。かなり遅い時間まで引き潮の状態だが、一度水が増え始めると短時間であっという間に満ち潮になる危険な海らしい。数年前、この地域の貝拾いに多くの不法滞在の外国人が雇われていて、夜中の引き潮中に沖の方まで出た数十人の中国人が、いきなり押し寄せた満ち潮で溺れて亡くなるという悲惨な事故があった。
この海岸で事故が起きたのではないが、極端な引き潮を見たらその時のことを思い出してしまった。

さて、夜8時過ぎから始まった、Ballroomでの舞踏の宴は競技は忘れ、とにかく踊りたい人が好きに踊るという、楽しいひと時だった。
私たちも踊れたのだが、何分、コスチュームもないし、ステップもわからないので、皆さんの踊りを楽しく拝見させてもらった。特に、子どもたち(ジュニア)がものすごく上手なのには驚いた。

最後にプロによる、ワルツのお披露目。どうも国内のコンペで上位になったカップルらしい(名前は忘れた・・・)。
ため息が出てしまうほどの踊りだった・・・・

2010年11月27日土曜日

銀世界の働き者

ただ今英国に滞在中。
昨日からMon mari の実家の村にいる。英国中部のレスター県のこの地域は、日本で言うと栃木とか群馬に似ており内陸でちょっと保守的。ただし、とても正統な(?)英語を話すので、私のような外国人にもわかりやすい。
スコットランドやウェールズ北部に行くと、とても太刀打ちできない英語に襲われ、いつもわかったふりをして生返事する私も、ここだと「有機的な」会話ができる。

今回はファームハウスに泊まった。
このところ欧州はすごく寒く、こちらも昨晩から雪が降りはじめ、朝起きると周囲は一面銀世界。
農民は農業だけでは生計の確保が厳しいことが多いので、自宅を改修してB&Bを経営して副収入を得ている人が多い。
ここのファームハウスもよくお世話になる所。


特に、朝ごはんはとても充実している。フルーツがとてもおいしい。オーナーのリキが入っている。
もちろん、ボリュームたっぷりの「フル・イングリッシュ・ブレークファースト」もこの後に続く。

ダイニングは英国の伝統であるパインの家具が置かれており、カントリー調に統一されている。

オーナーのマービン。
なぜか、奥さんは絶対に客の前に出てこない。彼一人で一生懸命、仕事の切り盛りをしている。奥さんは何をしているのかわからない謎の人物・・・。
とにかく、農作業から、B&Bの管理、掃除、洗濯、買出し、朝ごはん作り、客の相手など、全て一人でやっている。
マービンを見ると、農民は本当に働き者だというのをつくづく感じる。
頑張れ、マービン!

2010年11月24日水曜日

ユーウツな今日この頃

しばらく更新が滞っておりました。すみません。
実はブログにしばらくログインできなかったの・・・
今まではIDとパスワードで自分のアカウントに入れたのだが、いきなり画像認証のグニャグニャ文字が出てきて、読もうとして入力しても全くログインできない、もしくはグニャグニャ過ぎて、解読不能。
上のようなグニャグニャばかりで、最後は相当に頭に来て、もうブログ更新はしないと誓い、1週間近く完全無視していた。
それで今日、何気なく開けたら、文字認証は求められず、スーッとログインできた。この文字認証って私のブログだけに限らず、あちこちのウェブでも読めない文字が結構多くて本当にイライラする。まったくプロバイダーの嫌がらせかと思うほど。

パリはこのところ毎日曇りと雨。太陽が照る日がないので、自分もうつ病の入り口かと思うほど、気分の落ち込みが激しい。あー、お日様が欲しい・・・

もう一つ憂鬱なのは、クリスマスシーズンがそろそろ始まるので、身内のプレゼントを考えねばならないこと。
身内と行っても、Mon mari の家族7名と彼の友人2名ほどなのだが、今週末に渡英するので今年最後の訪問だからついでにプレゼントを渡してくる。
毎年毎年、似たようなものをお互い贈り合って、大した感動もなく、何でこんなことしているのか、もういい加減に止めたいという気分。
一人一人のプレゼントを考えるだけでも憂鬱になる。男はこういうことはしたがらないので、結局私がするしかない。
でも私の家族でもないんだから、少なくとも買い物には付き合ってよ、と言って、先週末にMon mari を近くのギフトショップ数件に連れ出し、まとめ買いをした。10人近くのプレゼントをあれこれ相談しているうちに、二人とも最後はもう考えたくなくなって何でもいいやとばかりに、値段だけみてレジに持っていくという有様。さて、これからラッピングとカード書きだが、これは私の仕事。
このホリデーシーズンから、開放されたい・・・・

2010年11月15日月曜日

「ゲテモノ」大好き

先日、友人と近くのビストロで食事をした。
私が頼んだ前菜は、「豚の耳と足のソーセージ」。
上の写真がその代物。
「豚の耳」とはなんとグロテスクか・・・・ 
フランス人は中国人に似て、動物のどんな部位でも食べる民族のようだ。
こちらのマルシェの肉屋には豚の大きな耳や足が堂々と売られている。
あれをどうやって食べるのかいつも不思議に思っていたが、なるほど細かくミンチにして食べるのも一つの方法なのか、と今更ながら納得した。

豚の耳足ソーセージは、パースニップ(人参に似た白い冬の根菜)のピュレにつけていただいたが、なかなかの珍味だった。中にしっかり豚の天然羊腸(ソーセージの皮)まで入っていた。ますますグロい。
友人からは「豚の耳と足なんて・・・」と言われたが、実は私はゲテモノはそれほど苦手でないのだ。
これは父からの遺伝だと思う。彼は本当にゲテモノ好きで、ナマコ、白子なんて朝飯前だった。
私も小さい頃から父が舌づつむ酒の肴を一緒に食べていたそうだ。
歩き始めたころから塩辛が大好きな不思議な子だったと母がよく言っていた。

フフフ、これからもフランス風ゲテモノの試食を続けよう・・・

2010年11月10日水曜日

「敵」の審査 続報

先日、スウェーデンの「敵」による博士論文の審査の話をしたが、その続報。
Mon mari が先週、審査のためにストックホルムに行ってきたので、そのときの話。

スウェーデン(スカンジナビア方式)は審査においてOpponent (対抗者、敵)という人を設ける。
審査官(Examiner)とは言わない。

Mon mari が事前にもらった論文はすでに出版されているものだった。
えー、まず論文審査を受けて、修正を入れてから出版じゃないの?と聞いたら、スウェーデンでは通常、博士論文は審査前に出版されるそうだ。

で、そのすでに出版されてしまった論文をMon mari が見たところ、彼はかなりの修正が必要と判断した。そのことを、学生の指導教官や学内の審査委員に言ったら、すごい抵抗にあったそうだ。
英国だと、学外審査官は結構批判的にコメントを出す人も多く、修正や追加をどんどん指示してくる。
でもスウェーデンでのOpponentは、「こうすべき、こうしなければならない、そうでないと論文は通らない」という風には進められないそうである。基本的に審査にあげられる論文は「合格」することが前提なので、Opponentは「こういう風にすると尚、良い論文になるだろう」という柔らかい表現でコメント出しをする程度だそうだ。
ということは、昔のようにコテンパンにやっつける審査ではないということだ。
なんか、とても不思議なシステム。

で、その審査の日の様子。
まず、博士論文の審査は大学の中のビック・イベントらしく、審査会場の建物には、博士論文審査を示す「旗」が挙げられていた。
審査には、およそ60名くらいの聴衆者が来ていた。ひぇ~、60名?こんな多くの聴衆にさらされるとはさぞ緊張するだろうな・・・
その中に、Bishop(司祭)まで来ていたとか。審査を受ける学生が通っているカトリック教会の司祭らしいが、教会あげての応援でもあったようだ。すごい張り切りよう。

Oppnent方式では学生は発表はしない。最初の20-30分でOpponentであるMon mari がプレゼンをした。論文の内容を説明し、その強み、弱みなどをコメントする。その後、学生への質問が続く・・・ちなみにBishopも何か質問していたそうだ。

英語圏の国では、論文の審査をする場合、審査官は大学側から事前に必ず、審査の基準リストが与えられる。いくつかの項目があり、審査官はそれに沿って、論文を読む。例えば、「文献レビューはきちんと網羅されて、議論の要点を押さえているか」、「分析的枠組みは論理的か」、「論文は既存の知識に新しい視点を加え、オリジナリティがあるか」などなど、細かい項目が設定されている。しかし、スウェーデンではそういう判断基準リストというのがないらしい。なので、読む側の恣意的な判断やバイアスがかかる評価がなされる危険性がある。

また、Opponentは審査の結果である合否は決められないそうだ。英語圏では審査官が合否を決めるのだが、スウェーデンではOpponentはあくまでもDefenseの議論に関わる役割のみで、合否は学内の審査委員会が決めるそうだ。実は、審査の前にMon mari は、この論文のストレート合格には賛成せず、大幅な修正をもって再提出とコメントしたそうだが、大学はそれは受け入れず、結局、Defenseの後、審査会は合格と決定し、特に修正も求めなかったそうだ。まあ、すでに出版されている論文なので、この場に及んで直しようがないが・・・

ヨーロッパ諸国は高等教育システムを基準化するために、99年に「ボローニャ宣言」というのを採択したが、それは学部、修士までの統一で、博士までは含まれていないようだ。なので、博士号取得のプロセスや判断基準は各国のシステムに任されている。
そういう意味で、ヨーロッパでは博士号の質の統一や強化が今後の課題かもしれない。

Opponent方式を色々と調べていたら、スウェーデンの博士審査を視聴したオーストラリア人のブログを見つけた。彼もこの方式がかなりオーストラリアと違いちょっと時代遅れではあるが、違うシステムを見れたのは興味深かったとコメントしている。

2010年11月5日金曜日

「輪」の大切さ

実は私とMon mari はそれほど多くのフランス人の友人を持っていない。
色々な理由があるのだが、第一にもちろん言語の問題、第二に普通のフランス人は自分たちの社交の「輪」がすでに出来上がっているので、新たな友人を作る必要がない、イコール新しい人、特に外国人がそこに入るのは難しい、という理屈。
私もMon mari も海外のいくつかの国に住んだが、言葉とは関係なく、とりわけフランスでフランス人の親しい友人を作るのが一番難しいように感じる。

そんな中で私たちにもなんとか、フランス人とのつながりを持つ「輪」がある。
私たちが住むアパートは住人同士が結構仲良しである。
大体40世帯くらい入っている中規模のアパートだが、都会の典型的な相互無関心アパートとは違い、おせっかいな人も含めて他人のことを気遣ってくれる人が何人かいる。
集合住宅なので時々、住民集会があるが、言葉の問題で私はいつもパス。でも年2-3回あるパーティにはしっかりと行く(ゲンキンな住民!)。今年も夏に暑気払いのポットラックがあったのでもちろん参加した。

そして最近、住民の一人のアメリが結婚したので、お祝いに仲良し住民同士(20人くらい)がお金を出して彼女に贈り物をした。そのお返しに新郎新婦がアパートの裏庭で「シャンパン内祝い」をしてくれた。
上の写真がアメリとSon mari。とても幸せそう・・・Félicitations!

パーティの招待状は、住民リーダーから上のようなフランス語と日本語で来た。読むと笑っちゃう日本語だけど、一生懸命、心をこめて書いてくれているのがにじみ出ていて思わずホロっと来てしまった。
リーダーのミシェルさんは以前、京都に数ヶ月住んでいたことがあるそうで、いつも廊下で会うと片言の日本語で一生懸命話してくれる。私のフランス語よりはるかに上手だ。

アパートのパーティに参加するときは、私も必死に片言のフランス語で会話を心がける。でもしばらくすると、皆、私を気の毒に思うのか、または何を言っているのかわからないのか、だんだんと英語で返してくるようになる。多くの住民は海外経験があるフランス人、または欧州やマグレブの外国人なので、幸か不幸か、皆英語がしゃべれるのだ。

上の写真の右の女性がうちの隣に住むナタリー、左が入居時から仲良くしているアニェス。二人ともフランス人だけど海外経験豊富なので、殻にこもったフランス人気質がなく、とてもオープン。
で、二人は私やMon mari のフランス語のレッスンのために、近いうちに我が家で彼女たちと忘年会をやろうと提案してきた。レッスンと言っても多分、私の作る寿司が目当てというのが見え見えなのだが・・・(笑)

フランス人というと傲慢で不親切なイメージがあり、事実、日々の生活や公共の場でそういう経験をすることが多い。だが実際、個人個人とじっくり付き合うと、皆、温かく、繊細で気遣いのあるいい人も多いというのを実感する。
なので、この小さな「輪」を大切にしていこうと思う。

2010年11月1日月曜日

こちらの鍋料理

昨日から冬時間になった。
夜が長くなり、これからどんより曇った日が続いていく(鬱々)。

ちょっと前に炊飯器が壊れた。それまでは週3-4日はご飯とそれに合うおかずを作っていた。壊れてからテフロン鍋でご飯を炊いているが、今いちおいしくできない。
パリでは良質な炊飯器が売っておらず、英国のアマゾンでやっと日本製のそれなりの炊飯器をみつけて購入したが、国外は配送してくれないとか、仕方ないので、Mon mari の妹宅に送ってもらったが、受け取りのために渡英するのは多分1ヶ月以上先の話。

そんな事情のため、最近は白いご飯が食卓にのる回数が減っており、一方でじゃがいもかバゲットを主食とした洋食が増えている。ただ、メタボ対策も考えて、なるべくしつこくない料理を研究している。

この頃は秋野菜を使って、ポトフ(Pot-eu-feu 火にかけた鍋という意味)なんぞを作っている。たくさんの野菜や肉を入れてもそれほどのカロリーはなく、そしてお腹にしっかり溜まる。

フランス料理というと、濃厚なクリームやソースをたっぷりかけた、豪華でちょっと冷たく気取ったポストモダンな料理を思い浮かべるが、あれは都会の一部のレストランの話。フランスの田舎に行くと、普段人々は素朴でシンプルな料理を作っている。

日本でも「おふくろの味の肉じゃが、おばあちゃんの煮っころがし」とかあるが、こちらも同じ。気取らない料理はいつまでも人気がある。

鍋料理といっても、食卓で皆で囲む日本の鍋とは異なり、ずっしり重たい鋳物の鍋でグツグツじっくり煮込むのがこちらの田舎風鍋料理。

この冬はフランス各地方の郷土料理にチャレンジしてみよう。
炊飯器が壊れたお陰で料理の幅が広がりそうだ。

下の本はお奨めです。

2010年10月27日水曜日

知性より度胸?

昨日、OECD(経済協力開発機構)のDAC(開発援助委員会)の会合に出席した。
OECDはパリの、とりわけ高級住宅地の真ん中にあり、メンバー国は先進国なので、「リッチクラブ」とも揶揄されている。

上の建物はChâteau de la Muette(ミュエット城)、通称シャトーとも呼ばれ、第二次大戦後のヨーロッパ復興の会議が開かれ、有名な「マーシャル・プラン」が打ち出された場所である。 OECDはとにかく会議の多い機関でもある。

当初はシャトーが主要な会議場だったが、開発だけでなく、経済、貿易など様々な分野にわたる会合が開催され手狭になったので、最近、会議センターが新しく建てられた。入り口を通過するとすぐに、太陽の光がさんさんと入るガラスの天井がある。やっぱりリッチクラブと言われても仕方ない。国連だったらこんな豪華な建物は作れないだろう。国際機関の間でも懐の格差を感じる・・・

会議室は大小含めて20以上はあるので、場所の取り合いもなさそう。コーヒースタンド、カフェテリア、書店なども入っている。

さあ、これから出る会議。CSO(市民社会組織)の援助効果について・・・

今回は、CSO、ドナーと途上国政府のマルチの話し合い。
みんな、真剣に話している。時々、トンチンカンで脈略のない話をする人もいるが皆、まじめに聞いている。つくづく会議とは知性より度胸だと思う。
ノミの心臓の私はそういう人の心臓の半分でいいから欲しい・・・

会議に出ていつも思うのは、どうしてこんな抽象的で意味不明なことをダラダラと何度にもわったって話しているにも拘わらず、ああでもない、こうでもない、とワサワサ、右往左往しているうちに、いつの間にか立派な活動や成果ができあがってしまうのか、それが本当に不思議な現象。あんまり意味ないと思って高をくくっていると、思わず「こんなことになったのか」と驚くことが多くある。
退屈な会議と思っていても、まさに「継続は力なり」の見本である。