2010年12月10日金曜日

欲しいけど欲しくないノーベル賞

お昼ご飯を食べながら、ノーベル平和賞の授与式の実況中継を見た。
今年は中国の民主化運動家の劉暁波(リウ・シアオポー)さんに授与されたが、当然ながらご本人は式典には出席できず、多分ご夫妻で座ったであろう壇上の2つの空席の椅子がとても印象に残った。

ノーベル平和賞委員会のヤーグラン委員長は長い演説の中で劉さんの功績を称える以上に、中国政府をかなり厳しく批判し続けていた。最後に「劉さんは何も悪いことをしていない、即刻釈放されるべき」と訴えたときには、会場が総立ちになって拍手を送った。劉さんへの栄誉と中国政府への糾弾が入り混じった式典だった。

出席者の多くは欧米系の人たち。アジア、アフリカ系の人たちの参列はまばらだった。どこの国も中国に遠慮して出席を控えたのだろう。

中国が何故、こんなに劉さんの受賞に対して抵抗し激怒しているのか?
新聞やテレビを総合すると色々な見方があるようだ。
言論の自由を認めると人権、民主化が促進し、それにより現体制が崩壊し、地方の分離運動が進み国家統一困難になるから。
共産党の中枢人物は、多党政治になることで自分たちの権益が奪われるのを恐れるから。

しかし、一党独裁というとシンガポールもそうである。あの国で政府や政治家の批判をするのはタブーで、言論の自由が厳しく制限されている。でも国際社会は中国は批判してもシンガポールには何も言わない。何故なんだろう?
そしてシンガポールから政治的民主化を訴える活動家が出ないのも不思議である。

話は元に戻って・・・
上記のように中国が平和賞を拒む理由は国内の政治や統一に混乱をきたすことが一点。

もう一点は感情的な問題という論調。
中国は本当は喉から手が出るほどノーベル賞がほしい。
ノーベル賞への憧れは強く、街の書店には受賞者の歴史に関する本が売られて、とても人気があるそうだ。
これだけの経済大国になって、10億以上の人口がいても国際的に認められた知識人を輩出できていないのが本当にくやしい。
2000年初めにノーベル文学賞に中国人作家が候補に挙がったが、これも体制批判をする退廃文学とされ、中国政府の抵抗に遭って受賞にはいたらなかった。

そして、今回の劉さんの受賞。
本当は化学賞、物理学賞、経済学賞、文学賞など、いわゆる自然科学、人文科学の分野で世界レベルとして認められたい。
それなのに、劉さんのように「世界レベルの反体制活動家」が受賞してしまったこと、そして歴史初のノーベル賞受賞者が収監されている囚人であるということ自体が中国政府にとってこの上なく屈辱的なのだそうだ。

中国にとってノーベル賞は西洋感覚に基づく「知識の封じ込めと拒絶」ということになるらしい。
そうかもしれないが、一方で中国は60年前に国連人権宣言(規約)に調印したことを決して忘れてはいけない。

欲しくて欲しくて仕方ないけど、今度は頂きたくないノーベル賞、何とも悩ましい受賞である。

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