2009年9月30日水曜日
パリ式引越し
パリはアパートの街である。市内で1軒屋というのはほとんどお目にかかれない。古い建物も多く、エレーベーターがなかったり、あっても昔のジャバラ式の2人くらいしか乗れない小さいものである。我が家のアパートは70年代の比較的新しい建物だが、エレベーターには3-4人しか乗れない。大きな物をエレベーターで運ぶのは不可能である。
なので、パリのアパートに住む人の引越しは大変、というか工夫が必要。
上の写真は、うちの後ろのアパートの今朝の引越し風景。中から物を運ぶのでなく、外から長ーいはしごを窓まで延ばして、荷物や家具を電動リフトで降ろす。この風景、他の都市ではあまり見られないパリ独自の引越しスタイル。日本やイギリスでも見たことない。
下の写真は地上風景。冷蔵庫の上で退屈そうに荷物を待っているお兄さん。トラックに立っているお兄さんも「早く降ろせよ・・・」と言わんばかりのポーズ。
2009年9月28日月曜日
4台目・・・
前から欲しがっていたバイクなのだが、まさか買うとは・・・もう言葉が出ない。
2009年9月26日土曜日
グリーン・トマトのゆくえ
トマトは数百という数が取れたが、先日ついに最後の収穫になった。しかし、太陽が十分に当たらなかったトマトは赤くなれなかった。
この緑のトマト君たち、どうしよう・・・
捨てるのは不憫だ。コンポストも作ってないから、再利用もできない。
試しに一口食べると味気なくまずい。ジャムやコンフィチュールを作ろうにもこのまずさでは無理だな・・・と悩んでいたら、Mon mariがさりげなく、「Chutney (チャツネ)を作ってみたら?」と言った。
Oh、クッド・アイデア!あれこれのスパイスを混ぜれば、まずさは消えるだろう、と思って、早速挑戦した。結果は下の通り。見た目は何となく気色悪くてまずそうだけど、口にすると絶賛できるほどの出来になった。その日の晩はBalti カレーを作り、このチャツネを添えにしたが、正直カレーよりはるかに美味だった。ありがとう、グリーントマト君!
2009年9月23日水曜日
カレー市:陰の部分
前回と異なり、今日はカレー市が抱える深刻なお話・・・。
世界的にはあまり知られてないのだが、カレーは現在多くの外国人の対応に苦慮している。実はこの小さな街には今、アフガニスタン、イラク、エリトリアなどから来た、およそ1000人の避難民(Asylum Seekers)がいる。彼らは街のはずれにある「ジャングル」と呼ばれる雑木林にビニールシートや廃材などを使ってテントを張り、野営生活をしている。全員の目的は英仏海峡を越えて英国に行くこと。そのために、命の危険を冒しても、海峡を渡る大型トラックの車体の下や荷台に隠れて、国境越えを毎日毎晩、何度となく試みている。以前は高い成功率だったようだが、最近は英仏の海峡チェックが相当厳しくなり、検問でほとんど捕まっているようだ。
英国に渡りたい理由。それは英語圏で経済的チャンスを得ること。家族や親類が呼び寄せているケースも多い。また多くの避難民は若者、もしくはUnaccompanied Minors と呼ばれる単身の未成年の青少年や子どもたち。
この現象は2000年初頭から始まり、当初はクルド人が多かったようだ。一時は1500人近くに増え、カレー市の一角に収容所を作ったが、その収容所が半永久化して批判を浴び、また多くの者は英国に定住、もしくは本国帰還となったので収容所は閉鎖された。しかしそれ以降も避難民の流入は増え続け、国籍も多様化した。彼らのほとんどはフランスでの庇護や定住を求めていないため、早く彼らを出したいフランス政府と、受け入れを渋る英国政府との間で新たな緊張関係が生まれている。
現在、彼らはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、赤十字やフランスのNGOなどにより、食事などの最低限のサービスは受けているが、「ジャングル」は非衛生的で人間としての扱いを受けていないという国内外からの批判を受け、フランス移民局は今日、「ジャングル」を強制撤去、避難民を新たに設置した収容所に移動させた。BBCやCNNで、必死に抵抗する避難民たちが大々的に報道されていた。
以前、私たちもカレー市を車で走っていたとき、数人の男性が突然道路に飛び出してきて、前に走っているトラックに飛び乗って、荷台にしがみつく姿を見て驚いたことがある。その時は何のことか理解できなかったが、必死に海峡越えをするための避難民だったことが後でわかった。
アフガン人に関していうと大部分の避難民ははタリバンから迫害されたと訴えているようだが、小さな子ども以外は、英国やフランス政府からの難民認定は受けられないと言われている。
2009年9月18日金曜日
カレー市:光の部分
カレーはドーバー海峡をはさみ、イギリスに一番近い港街。なので、フェリーやチャンネルトンネルなどの終着点として有名である。もともとはフツーの田舎の街、特段何もないところ。目だった産業や観光もない。
まあ、あえて言うと、まずトンネルが始まった街として、記念物的な扱いになっている。上の写真は、町の交差点に突然現れる、本物のDrilling Head (掘削機の頭の部分)。頑張って掘ったトンネルを記念して実際に使った機械の一部が飾られている。フランスの誇りのよう。
英仏海峡トンネルはおよそ38キロメートルで、世界一長い海底トンネル。60年代に計画策定を開始、70年代後半に掘り始めて、途中中断もあったが90年貫通、94年に開通式を迎えた、苦労を重ねて掘りあげたそうだ。ちなみに、日本の技術も取り入れられたとか、確かプロジェクトXで放映していたように記憶している。
もう一つ、カレーは免税ショップが有名だ。イギリスからフランスに渡る最初の玄関として、あちこちに免税ショップがオープンした。主に、お酒、たばこを扱うWarehouse的ショップだ。一時期は、安い酒を求めに、英国人がフェリーやChannele Tunnelで免税店に押しかけた。朝、フォークストンやドーバーを出て、お昼頃到着、お酒を買って、おいしいフレンチ料理を食べて、夕方また英国に戻る、そんな日帰り旅行が数年前まで大流行した。しかし最近は景気後退と、ポンド安で、英国内とカレーの免税店の価格がそれほど変わらなくなったため、英国人観光客は激減、多くの店は閑散として閑古鳥が鳴いている。写真の店は、私たちがよく行くOdd Bins。倉庫のようなところにフランスだけでなく、世界中のお酒が山積みされている。私たちはいつもここで、オージーワインを買う。ちなみにこの日の客は私たちだけだった。
2009年9月14日月曜日
チャンネル・トンネル
今回、結婚式の後、ChauffeurであるMon mari とともにレスターからパリまで、400キロ以上を車で南下した。
英仏海峡トンネルは英語でChannel Tunnel と呼ばれる。トンネルはイギリス側のフォークストン(Folkstone)駅と、フランス側のカレー(Calais)駅で結ばれている。
これがフォークストンのChannel Tunnel 駅の入り口。高速道路の料金所みたい。英国用右ハンドル、大陸用左ハンドルの車、両方の車種がチェックインできるようになっている。
この機械で事前予約したe-ticketから搭乗券を受け取る。このあと、イギリス出国審査とフランス入国審査の窓口でパスポートを提示してから、テロ警戒対策のために、車の中を入念にセキュリティ・チェックされる(この場面は撮影禁止なので画像省略)。そして、その後、ターミナルビルで、トイレ・コーヒー休憩、おみやげなんかも買う。
2009年9月12日土曜日
ぶたスライス
以前ちらっとお話したように、最近、フードスライサーを購入した。時々肉の塊を買ってきて、まとめてスライスして冷凍保存しておく。
昨日、豚肉をスライスした。下のように見事な薄切り肉が作れる。
厚さ2ミリがしゃぶしゃぶに丁度いい舌触り。
ということで、夏の夕食にぴったしの、わたし風豚しゃぶサラダができた。ごまだれソースをかけて食べたら、舌がとろけそうになりました。(お皿はWedgewood の傑作品、"お尻プレート")。
やっぱり海外ではスライサー、必需品ですね。
2009年9月9日水曜日
英国結婚事情 その3
まず、Framhouseに着くと、裏庭でAperitif (食前酒)のもてなしが始まる。イギリスの夏は、Pimm's(ピムズ)というリキュールをレモネードで割り、オレンジ、レモン、グレープ、ミントなどのフルーツを入れて飲むのがポピュラー。写真で皆が手にしている、茶色の飲み物がピムズ。何故か、ストローで飲むのです。中央にいるのがロズちゃんとお父さん。
Aperitif と軽食をつまんだあと、披露宴へ。会場は、離れの納屋か倉庫を改造した所らしい。入り口にはサーフィン好きなイアン君のサーフボードに座席表が書かれていた。各テーブルはオーストラリア、ニュージーランドのビーチ名が付けられており、私たちはオーストラリアのBell's Beachのテーブルへ。
席には、新郎新婦のお母さんたちが焼いた名前入りのクッキーが置かれていた。家族や知人が一生懸命、手伝った手作り結婚式というのが感じられる。
メインコースは、この農家産直のお肉と野菜のよう。英国の伝統料理、ローストビーフとヨークシャー・プディング、そして温野菜。
ひな壇はこんな感じ。手前からブライドメイド、新郎の父、新婦の母、新郎、新婦、新婦の父、新郎の母、そしてベストマン。
招待者はおおよそ80名。司会者などはいない。まず、最初に乾杯して皆黙々と食べる、そしてしばらくして、ひな壇にいる新婦の父、新郎、そしてベストマンがスピーチを述べる。日本のように湿っぽくない。とにかく、ユーモアたっぷり、ジョーク満載で、会場がずっと笑っている。そして両家はお互いに対して、「Welcome to our family!」と言い合う。新婦が新郎の家に嫁ぐ、などという感覚は全くない。それと、日本にある、お色直しとか引き出物という習慣はない。
私たちも、よく食べて飲んだ。目の前のグラスはすごいけれど、このグラス分全部飲んだわけではありません!(苦しい言い訳・・・)
そしてケーキカットの後はダンス・タイム。
最後は新婦もこのように80年代のディスコ・ミュージックに陶酔していました。お疲れ様でした。
2009年9月8日火曜日
英国結婚事情 その2
式はおごそかに執り行われた・・・と言いたいところだが、実際はそれほどかしこまったり、深刻な雰囲気は感じられなかった。近年、英国国教会は女性の聖職者も認め、女性のVicar (牧師)が急増している。St. Helen教会の牧師も女性。勿論、厳粛な結婚の儀式のプロセスは適切にこなしなしつつも、この牧師は暖かく、とてもユーモアのある人柄で、参列者を笑わせたり、新郎新婦をリラックスさせるのが上手だった。上の写真は夫婦の誓いの言葉を交わす新郎新婦(クリックすると拡大します)。
新郎新婦、証人による署名のあと、一同退場(一番左が牧師)
新郎新婦が教会から出た瞬間は、ライス・シャワーでなく、サプライズでスコットランドのバグパイプの演奏で彼らを迎えた。あ~、見つめ合う二人・・・
ロズちゃんとブライド・メイドたち。ほんと、可愛いですね~。(写真右がちょっと切れてしまったが・・・)
バグパイプの演奏者と新郎の父、デイビッドと一緒にワンショット。
式が終わった後、イアン君と彼の友人が調達したクラッシック・フォルクス・ワーゲンのワゴンで披露宴会場へ向う(彼はVWの愛好者で、ポンコツのVWを自分でみごと修復し動くようにしてしまった)。リムジンなどをハイヤーしないところが個性的で自分たちの主張をあらわしている。
2009年9月7日月曜日
英国結婚事情 その1
先週末に、Mon mari の甥(妹の息子)の結婚式に出席した。場所はイギリス中部のレスター地方の村。新郎のイアン君と新婦のロズちゃん、とても可愛くて、心温まる式だった。
英国の結婚式は何度か出たが、階級や経済力の違いはかなり感じる。上流階級やお金持ち、それ以外でもお金をかき集めて見栄を張る人たちは高級ホテルや、いわゆるナショナル・トラストに指定されている領主の館やホールで行なう。その他、お金の無い人、もしくは、たかだか1日のために大金を使いたくない人は、結婚登録所(Registry Office)で市民婚を行い、その後で家族や親しい友人と小規模な食事会を開く。
イアン君やロズちゃんの結婚式は、現代のWorking Middle Classの標準というところだ。ちなみに、英国では結婚式の費用は伝統的に花嫁の家族が全部負担するそうなので(つまり花婿側はほとんど払わない)、女の子の多い家庭だと、嫁に出すのは相当大変だ。結局のところ、結婚式のグレードは両親の経済力に依る。
まず、式が行なわれる教会に行く前に、ドレスアップで忙しい新婦を除き、皆で教会の近くのパブに集まって、ビールとBacon & Butty (ベーコン・バーガー)を口にする。要は皆、一杯ひっかけて腹ごしらえして教会に行くのだ。勿論、ここに新郎もいる。まあ彼は緊張するのである程度酔わないと式に臨めないのかもしれない。写真はジョージというパブ。テーブルの上にベーコン・バーガーがある。式は12時半からだが、午前11時過ぎには皆がこうして集まりわいわいがやがやと新郎をひやかして賑わう。私もパブに赴いたが、さすがに午前中からアルコールは飲めなかった。日本では式は厳粛におごそかに行なうため、その前に一杯ひっかけるなんてとんでもないことだが、結婚式をリラックスして楽しむという意味ではこんな習慣もなるほどと思った。
式はGreat Oxendonという村のSt.Helen教会で行なわれた。こじんまりして、家庭的なアングリカン教会である。入り口にはUsher(式次第を配る受付人)がいる。そうそう、新郎、その父(写真左)、およびBest man(新郎の付添い人)、Usher などの男性関係者は、タータン・キルトを装っていた。新郎の父がスコットランドのアバディーン出身なので、この家の男性正装はキルトだそうだ。新郎の母はイギリス人なので女性側は特にスコットランドの伝統は関係ない。それと結婚式では伝統的に女性は帽子をかぶるのだそうだが、最近は帽子はかなり減っており、何もつけないか、もしくは大きなコサージュを頭につけるのが流行っているよう。下の写真は伝統的帽子をかぶる花嫁の母。
2009年9月5日土曜日
アフタヌーン・シャンパン
ユーロスターは1年に3-4回乗るのだがセント・パンクラスはいつも素通り。でも以前からどうしても駅構内で行きたい所があった。今回は同じセント・パンクラスから国内鉄道に乗り継ぐことになり、待ち時間が45分ほどあったので、その念願の場所に立ち寄れた。
その場所とは・・・
「St. Pancras Grand Champagne Bar」。
でも、96メートルもあると、ウェイター、ウェイトレスも給仕に大変そう。
セント・パンクラス駅はその昔、ノッッティンガムから搬送されたビールを貯蔵する巨大セラーが地下にあって、ロンドンのパブの配給源だったそうだ。それにちなんでか、ユーロスター開通とともにビア・バーでなくシャンパン・バーを作ってしまった。
2009年9月2日水曜日
本当のイングリッシュ
言語学者によると、それはアメリカ東部のニュー・イングランド地域なのだそうである。そう、世界史で学んだ、メイフラワー号にのった「巡礼の始祖たち(ピルグリム・ ファーザーズ)」が上陸した地である。つまり、200年以上前に移住した英国人の英語がその地域にはそのまま残っているのだ。アメリカは広い大陸なので西の辺境に向うにつれ発音も変わってきているが、マサチューセッツ州地域だけはまだ独立前の当時の美しい古典的(?)なブリティッシュ・アクセントを固持しているそうだ。多分、巡礼団が来てから、時間が止まってしまっているかもしれない。他方、英国内の英語は歴史とともに変化、進化していわゆる昔の伝統的な発音は絶滅しているらしい。
そういえば以前、ニュージーランドの友人がボストンに行ったら、「彼らの英語はバリバリのブリティッシュ・アクセントで驚いたよ!」と言っているのを思い出した。英国人のMon mariも、200年前の英語が残っている唯一の地域はニュー・イングランドであるという意見には同意している。
さらにそれを裏付ける笑い話がある。Mon mariが90年代の初めにアメリカ国内を旅行した。時はイラン・イラク戦争が勃発した頃。彼はコロラドかユタあたりの中西部の国内線空港の待合室にある テレビでそのニュースを見ていた。同じく搭乗を待っていたアメリカ人と戦争の是非に関して あれこれと話を始めたところ、そのアメリカ人からいきなり、「Are you from Boston?」と聞かれ、Mon mariは一瞬絶句した。しばらくして考えたらそう聞く理由が理解できたそうだ。当然だがMon mariは極めて現代的な英国英語を話す。が、ローカルな空港でもあり、相手は自国を出たことのないアメリカ人だったようで(現代の英国アクセントとか聞いたことがない?)、 Mon mariが話す英語はどことなく東部の巡礼英語の響きに似ているので勘違いしてしまったそうだ。
正統なフランス語がどこで話されているかは知らない。でも異なるアクセントがあるのは確か。例えば、カナダ・ケベック州のフランス語はフランス人からすると相当なまっているらしい。フランス人はカナダ人の話し方を真似してからかう。メトロでフランス語を話しているカナダ人がいるとパリジャンはジロジロ見たり、私の知人のフランス人は「聞くとおかしくて」とクスクス笑う。
そういえば、私が大阪に行ったとき、電車の中で関東弁をしゃべったら周囲からジロジロ見られたのを思い出した。同じ言語でもアクセントが異なると、何か特別な目で見てしまう人間の心理は不思議だ。