2010年4月30日金曜日

お茶の話

このところパリは毎日夏日。タンクトップやTシャツで歩く人が増えている。出不精の私も半袖で毎日ウォーキングをしている。
昨日は何故か急にマカロンが食べたくなって、サンジェルマンまで歩いて「ラデュレ(Ladurée)に行った。ラデュレはパリでマカロンを販売した最初の老舗店。中にはティールームがある。歩きつかれたので、一休みしてお茶をした。

フランスは基本的にコーヒーの文化なので、紅茶は英国ほど普及していない。街のカフェで紅茶を頼もうなら、最低と思える味のぬるいお茶がカップ一杯のみで3ユーロもする。英国で頼むと、香り高いお茶がティーポットで出て来て2-3杯は飲めて2ポンドほど。フランス人の友人に言わせると、「フランスのお茶というのは存在しない」とのこと。つまり自分の国で葉茶は採れないので自分たちのお茶ではない、という意味なのだろう。それを言えば、英国も同じ。でも今でも紅茶貿易の取引量は英国が世界一といわれる限り、フランスは日常的にお茶を飲む社会ではないのだ。

だが、フランスにはサロン・ド・テ(Salon de thé )」というティーハウスが街角のあちこちにあり、ケーキと一緒にアフタヌーン・ティーを楽しむ文化はある。フランスにお茶が最初に取り入れられたのが、16世紀から17世紀頃、マリアージュ家によって17世紀半ばに商品化された。「マリアージュ・フレール(Mariage Frères)」は東京にもある有名な紅茶店である。マリアージュは結婚とか、組み合わせという意味、フレールは香りという意味、つまり香りを組み合わせた紅茶ということになる。文字通り、マリアージュの紅茶のほとんどはミックスーフレーバー・ティである。

特に「マルコ・ポーロ」というお茶は一番人気だとか。独特な香りを放つので、フランス人はミルクは入れず、そのままストレートに飲む人が多い。さすが、香水を発達させた国だけに、紅茶も香水に負けず、バラエティ豊富である。

Mon mari に一度、マルコポーロを飲ませたら、散々の悪評だった。「何だ、このにおいは?紅茶にこんなにおいを入れるのは邪道だ!」と言い放った。基本的に彼はフランスでブレンドされた紅茶は好きでない。確かに時々飲むのはいいが、この香りの強さは毎日飲む紅茶ではないな、と私も思う。せいぜい、アールグレイくらいの香りなら毎日飲める。私の姉はマリアージュのような香りの強い紅茶は熱くして飲むとしつこいが、アイスティーにすると飲みやすいと言っていた。日本人なら、やはりスタンダードなブレックファースト、アッサム、ダージリン、アールグレイくらいが程よい香りだと思う。自分たちの好みの香りや飲み方の違いは確かにある。いつか、英国人が日本の緑茶にミルクを入れているのを見たら、思わず「なんて悪趣味、気持ち悪いのでやめて!」と叫びたくなったほどである。

お茶は中国、インド、スリランカ産が有名だが、インドとパキスタンの友人に言わせると、実はケニアのお茶が一番おいしいそうだ。 ナイロビに行ったとき、彼らがお茶を大量購入していたのには驚いた。私も試しにケニア茶を買って、スリランカなどのお茶と比較したら、確かにケニア茶は濃くや深みがちょっと違い、おいしい気がした。Mon mari もケニア茶は好きである。

紅茶の歴史は文化は奥深い。東インド会社、ボストン茶会事件など、歴史にも大きな影響を与えた。紅茶が何故そんなに重要なのか・・・?
Mon mari によると、昔、英国では嗜好品的飲み物はビールしかなかったそうだ。ところが15-16世紀頃から東方貿易が進み、中国やインドから紅茶がもたらされて、貴族をはじめとして人々がお茶の味に魅了され、その後老若男女問わず、大衆的な嗜好飲料になり日用必需品になった。そして、紅茶にお砂糖を入れる習慣ができたことから砂糖貿易も重要な産業になったそうだ。実におもしろい。もう少し、紅茶の歴史を詳しく勉強してみたくなった。

話は戻るが、結局、ラデュレではフランス紅茶でなく、いつも飲むアールグレイを頼み、マカロン4つを食べた。おみやげにマカロンを6つほど買って帰ってきた。さすがマカロンに関してはフランスに敵う国はないだろう。

2010年4月27日火曜日

バカな私

何故か急に童心に返り、「観覧車」に乗りたくなった。
15分待って、ワクワク、ドキドキ、「わーい、マンチェスターが一望できるな~」と、脳天気になり、喜び勇んでカプセルに飛び乗った。

しばらくしたら急に気分が悪くなった・・・ なんで?
ふと我に返り、自分が「高所恐怖症」であることを思い出した。
「あ~、私のバカ、バカ !!!」と叫んでも時すでに遅し。観覧車なんて一番最悪なシチュエーション。
それ以降は地獄の15分間。途中で後続の客を乗せるために、一時停止したが、私のカプセルは運悪く、一番てっぺんで5分くらい止まってしまった。おまけに風があったため、カプセルはゆらゆらとぶらんこのように揺れ恐怖感は倍増。景色を鑑賞するなんて全くできなかったが、一応記念に下を見ないでシャッターを切ったのが下の写真。

昔は高所恐怖症ではなかった。子どものころ、東京タワーとか、新宿の高層ビルとか行って、景色を楽しんだものだ。だが、13年前にバルセロナのサグラダ・ファミリアに行った時、あいにくエレベーターが故障していて、尖塔の上まで階段で行くしかなかった。階段は狭く無事に上まで行ったのはよかったのだが、降りる際に窓から見える景色と、螺旋階段の下を見たら急に恐怖心が沸き、気分が悪くなり、自分が落ちていく感覚に襲われた。それ以来、高所恐怖症になってしまった。
それまで高い所の恐怖心なんて自分に縁もないことで、信じられなかったが、「○○恐怖症」というのは生来のものでなく、あるときの体験でいきなりそうなってしまうことがわかった。

ということで、どんなに素敵なところであっても、東京にあるような高層マンションは絶対に住めないことは確かである。たぶん、高層マンションの人の家に訪ねていくことも難しいだろう。

2010年4月25日日曜日

商品取引所劇場

Mon mari の会議に付き合い、イングランド北西の都市、マンチェスターに来ている。マンチェスターは産業革命で有名になった町、いたる所にその面影がある。
金曜の夜はMon mari が男同士でパブで集まるため、私は一人で観劇をした。
マンチェスターで有名な ロイヤル・エクスチェンジ・シアター。
その昔、綿の取引所だった建物が今は劇場になっている。

おもしろいのは、取引所の中を全面改装するのでなく、建物の内装は残しつつ、中央に宇宙船のようなガラス張りの劇場をドンを置いていることだ。初めてこの劇場に来たのが8年前、私はこのユニークで奇抜な発想がいっぺんで好きになった。そのときはシェイクスピアの「リア王」を観た。
今回も同じシェイクスピアだが、「Comedy of Error (間違いの喜劇)」というお笑い劇。

劇場は対面式でなく、円形の舞台で全方向が観客席に囲まれている。私はこのスタイルの劇場が好きだ。東京の新大久保にある「グローブ座」もロンドンのグローブ座を真似てこのようなスタイルだった。円形だと、役者と観客の距離感が縮まり、一体感を味わうことができる。凝った舞台セットもないので、役者は真に芝居力だけで勝負し、観客は目一杯に想像力を働かせてストーリーを理解する。ちなみに今回の芝居で舞台セットも下の写真にある、透明のドアのみ。

「間違いの喜劇」は双子の兄弟と双子の召使が難破した船で離れ離れになって、再会するまでのこっけいな物語。とにかく、常にドタバタ劇が続き、最初から最後まで笑いっぱなし。シェイクスピアの喜劇を観るのははじめてだったが、こんなにおもしろいと思わなかった。また機会があったら、今度はロンドンのグローブ座でシェイクスピアの喜劇を観賞したい。

2010年4月22日木曜日

異文化の中の自分の文化

今、フランス、ベルギーでは、イスラム女性が着用する「ブルカ」「ニカブ」(顔を全部覆うマスク)を禁止する法案が成立する過程にある。法律が制定されると、駅、病院、お店など公共の場で着用した場合、罰金、もしくは懲役が課せられる。憲法の下の宗教や表現の自由、人権との整合性で難しい問題ではあるが、欧州では治安上や女性蔑視という点で大きな議論の対象になっている。フランスでは教育宗教分離主義から、公立学校での顔は出しているベール(スカーフ)の着用までも禁止している。

欧州でベールを着用する女性がこのところ以前より多くみかけるのは確かである。
私がニカブを着た女性をはじめて見たのは、15年くらい前、英国のブライトンの町だった。乳母車を押す黒装束の女性が細いわき道から出てきて鉢合わせになり、単に見慣れてないからであるのだが、いきなりだったので私は驚き、絶叫しそうになった。

イエメンに行ったときはすべての女性がニカブを着用しているので当たり前の光景として映ったが、そうでない社会だとなかなか受け入れられないのは仕方ないと思う。たとえば、新宿のアルタの前にいきなり顔をマスクで隠した真っ黒な女性が現れたら、みんな驚くだろう。

つい先週、ガザの友人のアティマッドと女性のベールやニカブについて議論した。というのもこのあいだ、英国の大学のキャンパスでニカブを着用した女性をみかけたからだ(黒ではなくこげ茶のスカーフで顔を全部覆っていた)。学生なのかビジターなのかは知らないが、キャンパスでは今回初めて見たので、どうしてなのか知りたかった。

アティマッドはジェンダー活動家なので、「少なくとも中東やアラブ以外ではニカブは変よね、皆驚いていやがるのは無理ないと思う」と言う。彼女によると、最近、中東だけでなく欧州でもニカブ着用者が増えているとのこと。その理由として、今の社会が不安定で不確実(テロリズム、イラク、アフガン戦争、金融危機など)になっていることから女性の信仰心、神への忠誠心がさらに強くなった結果、顔を隠すことにつながっているのだそうだ。西洋人はニカブの着用を女性蔑視の象徴としてみているが、最近の女性は父や夫など男性から強要されているのでなく、自分の意思で着用しているのがほとんどだそうだ。つまり社会の制度や構造に根付いているものでなく、きわめて個人レベルの認識論理よるものらしい。なので、単に、女性の自由を奪う古い差別的慣習、と片付けられない複雑な背景があり、ジェンダー、文化、宗教の違いというのを超えた現象となっているそうである。彼女は法で禁止すると反動でもっとニカブが増える可能性があるとも指摘していた。

フランスの中道的な立場のデレボワィエ議員は部分的な禁止を提案しているが、その彼も「そうは言っても、ニカブをつけたサウジの黒装束の女性がいきなりシャンゼリゼに買い物に来たらその場はどうなるのかは本当に想像できないが・・・」と言っていた。

日本でもニカブを着用した女性が原宿あたりに現れるのもそんな遠い将来でないかもしれない。

2010年4月19日月曜日

ソーセージ・ノスタルジア


何の変哲もない2本のソーセージ。
上がフランス、下がイギリスのソーセージ。

Mon mari のテニス友達(英国人)は、私たちが英国に遊びに行く時に必ず「ソーセージを買ってきてね」、とリクエストをする。彼はフランスよりイギリスのソーセージが好きだそうだ。Mon mari も同じ。

何が違うのか・・・
見た目はフランスより、イギリスのソーセージの方が若干太くて短い。

実はイギリスのソーセージはパン粉が入っているので、少し膨らんでいるのだ。
一方フランスのは肉オンリー。

舌触りもイギリスはすこしもったり(ミニハンバーグみたい)、フランスは肉々しい感じがする。
人の好みにもよるだろうが、英国人はパン粉入りのソーセージにとてつもない望郷心を抱くようだ。

フランスではパン粉入りのソーセージは手に入らないので、これからも海峡を越えて、ソーセージの調達は続く・・・

2010年4月18日日曜日

ゆったり土曜日

この半年ほど論文書きに追われて、週末をゆっくりと過ごせることがなかった。まあ、冬の欧州は薄暗いので、出かけたいという気分にはあまりなれないのだが。

昨日は天気もよく、とても暖かかったので、散歩がてらモンパルナスまでぶらぶら歩いた。
途中にある、クレープレストラン、「Crêperie TY BREIZ」に寄った。ここは有名な店らしく、日本人もよく立ち寄るので日本語のメニューまであった。クレープというと日本では路上で売っている甘いおやつを思い出すが、フランスでは、チーズやハムなどをいれて食事として食べる。

上の写真は「ガレット」と呼ばれるもので、そば粉でできたクレープ。ブルターニュ地方の郷土料理。もともとは貧しい農民の食べ物だったそうだが、今ではフランス料理の代表として地位を確立している。
私が頼んだのは伝統的3種のガレット(ハム、エメンタールチーズ、きのこ)が入ったもの。結構、おなか一杯になる。フランス人はこの後に、甘いクレープも食べる。私たちはコーヒーだけにとどめた。

そしてクレープにかかせないのが、サイダー。
サイダーといっても、日本の三ツ矢サイダーでなく、アルコール入りのアップルサイダーである。口当たりよくおいしい飲み物。
グラスでなく、なぜか日本の湯のみ茶碗のようなカップで飲むのでだが、これも伝統なのかしら。

この後、モンパルナス駅に行ったら、駅の構内は人で一杯だった。どうも火山噴火の影響で、飛行機に乗れない人が電車で迂回するために、主要ターミナル駅に殺到したようだ。駅であんな群集を見たことがない。

久々にのんびりできたが、何か気が抜けた変な気分の週末でもあった。

2010年4月14日水曜日

終わりを迎えられた始まり

物事を始めると終わることと、必ずしも終えられない事がある。
終わりがなかなか見えないことの一つに、博士論文の執筆という作業がある。途中での頓挫、挫折は珍しいことではない。

今週の月曜に博士論文を提出した。
2005年から始めてから5年間という長い長いマラソンだった。
パートタイム学生として始めたので、どうしても中途半端な気持ちがあった。
5年のうちに身内の死、そして仕事を3つも入れたので、中断も多かった。

博士課程を始めた頃は高い情熱と期待感で一杯だったが、次第に自分のやっている研究が本当にちっぽけなことだとわかるとそんな高揚感も長続きせず、中盤以降は無気力感、意欲低下、焦燥感、不安感などが支配してきた。単調で孤独な毎日、社会から隔絶される焦り、全く書かない、書けない時期もあり、何度も止めようと思って、現実逃避のための言い訳をよく考えた。そして自分には英語の博士論文なんてどだい無理ではないか、という自信喪失感が強くなってきて、精神的な管理は大変だった。一方で、今は亡き母がよく口にしていた「事を始めたら、途中で投げ出してはいけない」という言葉がいつも頭から離れなかった。

始めてから3年間は宙ぶらりんで、ほとんどまともに書いてなかった。転機が来たのは4年目に指導教官が変わったこと。若手の先生でバリバリに管理をする人だった。章ごとの提出は必ず期限を切られ、遅れると催促のEメールが来た。こうしてお尻をひっぱたかれて実質2年で一気に書いた。最後は気が変になりつつも、投げ出すことも許されず前に進むしかなかった。

まだ内容的には自分でも納得できてない部分も多いので、審査では多くの修正を求められるだろうが、とにかく「出せた」という事実は大きな励みと自信になった。

ここまで来れたのは、今まで支えてくれた家族や友人たちのお陰であり、心から感謝しています。
本当にどうもありがとう。

2010年4月9日金曜日

あうち~

今、英国の大学に滞在中。
イースター休暇明けだけど、キャンパスは静か。

今回は前回のような交通の乱れによる災難はなかったけど、ロンドンの地下鉄のプラットフォームで大転倒した。4つの荷物を抱えて、かけこみ乗車をしようとしたのがまずかった。

ちょっとしたつまづきではなく、体が完全にうつ伏せ状態になって荷物が拡散する派手な転倒。
顔面(あご)と肩を殴打。2-3人の人が来て助けてくれた。恥ずかしいというのを通りすぎて、自分自身がこっけいだった。
しかし、肩の痛みがまだ残っている。
多分、軽い脱臼か、ひびでもはいっているかもしれない。
今は忙しくて医者に行く暇がないので、パリにもどってから検査してもらおう。
こんな転倒するなんて情けない、やっぱり年かなあ。股関節を鍛えねば・・・

助けてくれた一人は、香港から旅行に来ていた女性。
私を見て「あなた、日本人でしょ?」とすぐたずねた。
何ですぐわかるのか?そんなに日本的雰囲気漂っているのかしら。
よく日本人か、と聞かれるが、大陸のアジア人からすると日本人はどう違うのか・・・?
今度、なぜそう聞くのか、たずねてみよう・・・

2010年4月1日木曜日

のりパン

このところ、パン焼きにはまっている。週に2回はローフを焼く。朝起きて、まだベッドにいるときにパンの焼ける匂いが家中に漂うのでとても心地よい一日の始まりを迎えられる。

実はすごいはまっているのはMon mari の方。
イギリスで買う小麦粉はイギリスパン(いわゆる食パン)ができる。
でもフランスの小麦粉ではイギリスパンはできないのである(笑)。
これは意外な発見だった。
考えないで勝手に混ぜるとダンゴのようなパンができたこともあった。様々な試行錯誤を経て、最近ようやくフランスの粉でもまともな食パンができるようなった。
小麦には番号がついている。簡単に言うと、強力粉、薄力粉の間に様々な段階があるのだ。
昨晩は、65番、80番、100何番とかを混ぜて、どうちゃらこうちゃらしたら、いつもより白っぽいけど、いい食感の食パンができた、と彼は上機嫌だった。

そして、このところ彼自慢の味付けがある。
それは海苔を入れること。
海苔なんて、べっとりして、黒パンみたいになるのかと思っていたが、意外に乾燥状態で粉々に胡麻のようにまぶされて、パンはほんのり海の香りがする。
パンに海草を入れるとコレステロール軽減にいいとか、どこから仕入れたネタか、本当かしら。

この次は「わかめ」を入れようか、などとぶっ飛んだことを言っている・・・