2010年1月5日火曜日

責任と排除の論理

今朝は午前9時で気温0度。日中も3度くらいまでしか上がらなかった。すごい寒波の日々。家の中は日中でも寒く、ひざ掛けと湯たんぽをかかえて私は机に向っている。

こういう寒い日にはうちの近所でも見かける路上生活者の人たちはどうしているんだろう、と思ってしまう。大晦日にエッフェル塔を見に行った帰りにも何人かの人が雑踏の中、路上に寝ていた。東京のようにあちこちに地下街がない都市なので路上に留まるしかない。夜は氷点下になるので凍死する人も結構いるだろう。

パリの街では、ワゴン車から数人の人が降りて路上生活者に話しかけているのをよく見かける。ワゴン車を見ると「SAMU Social de Paris」と書いてある。SAMUとは救急車のこと、Socialがついて「社会的救急車」という意味。つまり路上生活者や生活困窮者への救命救急活動をを行なっている団体。困っている本人自身か、目撃した人が115に電話するとSAMU Socialが助けに来てくれる。食事、医療、シェルターなど緊急に必要なサービスを提供してくれる。オンコールだけでなく、毎日3回は町中を巡回して、特に寒い夜には暖かいコーヒーを持っていき路上にいる人たちに声をかけて安否を確認しているそうだ。昨今は金融危機後は失業者が増加してニーズが高まったのでSAMU Socialは活動はフル回転になっているとか。
日本ではこんな活動は絶対に見たことがない。

SAMU Socialは、国境なき医師団(MSF:Médecins Sans Frontières)の共同創設者である、グザビエ・エマニュエリさんが93年に設立したNPOである。フランス政府からの支援も受け、いまやMSFや赤十字とも連携して全国的にSAMU Social活動を展開している。

フランスではこのような路上生活者は社会的に排除された人としてみる。しかし日本ではホームレスの人たちは「自己責任」とか「自業自得」という目で見られるが、ヨーロッパでは排除している国や社会の責任として受けとめている。「ビッグ・イシュー」の発祥の地、英国でも路上生活者やホームレスに対しては「あの人たちは色々な事情があってああいう生活になってしまっている、だから社会が助けなければいけない」という考えが根底にあり、自己責任などという考えは微塵もない。

日本でも公設派遣村ができたとニュースで知ったが、一時的な救済でなくSamu Socialのように制度的に社会の中に弱者を救済する仕組みができなければ意味がないと思う。
日本とフランス、何が違うのか、人々の意識、社会、政治なのか、よくわからないけど、何かが違うのは確か。

住んでいるといらいらして頭にくることが多いフランスであるが、弱者に対する人々や社会の責任感の強さにはすごいと思い、また敬意を感じる。

この画像はパリ南東にあるトロワ(Troyes)市で活躍する、赤十字がサポートするSAMU Social。

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