2010年10月27日水曜日

知性より度胸?

昨日、OECD(経済協力開発機構)のDAC(開発援助委員会)の会合に出席した。
OECDはパリの、とりわけ高級住宅地の真ん中にあり、メンバー国は先進国なので、「リッチクラブ」とも揶揄されている。

上の建物はChâteau de la Muette(ミュエット城)、通称シャトーとも呼ばれ、第二次大戦後のヨーロッパ復興の会議が開かれ、有名な「マーシャル・プラン」が打ち出された場所である。 OECDはとにかく会議の多い機関でもある。

当初はシャトーが主要な会議場だったが、開発だけでなく、経済、貿易など様々な分野にわたる会合が開催され手狭になったので、最近、会議センターが新しく建てられた。入り口を通過するとすぐに、太陽の光がさんさんと入るガラスの天井がある。やっぱりリッチクラブと言われても仕方ない。国連だったらこんな豪華な建物は作れないだろう。国際機関の間でも懐の格差を感じる・・・

会議室は大小含めて20以上はあるので、場所の取り合いもなさそう。コーヒースタンド、カフェテリア、書店なども入っている。

さあ、これから出る会議。CSO(市民社会組織)の援助効果について・・・

今回は、CSO、ドナーと途上国政府のマルチの話し合い。
みんな、真剣に話している。時々、トンチンカンで脈略のない話をする人もいるが皆、まじめに聞いている。つくづく会議とは知性より度胸だと思う。
ノミの心臓の私はそういう人の心臓の半分でいいから欲しい・・・

会議に出ていつも思うのは、どうしてこんな抽象的で意味不明なことをダラダラと何度にもわったって話しているにも拘わらず、ああでもない、こうでもない、とワサワサ、右往左往しているうちに、いつの間にか立派な活動や成果ができあがってしまうのか、それが本当に不思議な現象。あんまり意味ないと思って高をくくっていると、思わず「こんなことになったのか」と驚くことが多くある。
退屈な会議と思っていても、まさに「継続は力なり」の見本である。

2010年10月24日日曜日

「敵」におくる招待状

以前、スカンジナビア諸国の博士論文審査のシステムについて話したが、今日はその続き。
Mon mari がFaculty Opponentになることを受け入れ、来月初旬に審査のためにスウェーデンに行く。

で、先日、その審査の連絡が来た。いわゆる、Opponent (敵)への招待状。なんと立派な、というかリキが入っているんだろう。招待する学生は自分の論文の内容を象徴したイラストを入れて、結婚式も顔負けのバリバリの招待状を作った。敵に向かって自信満々と、「さぁ、向かって来い」という士気がうかがえる。


招待状の中はこんな感じ。
「Public Defense」と書いてあるので、やっぱり一般公開するのだろう。教員や学生だけでなく、大学の事務室、食堂や売店で働く人、家族、友人、通行人、どなたもご自由にいらして聴いてください、という点では英米日と根本的に異なっている。そしてDefenseの後にはランチの接待が付いている。随分、派手にやるんだなぁ。
私の場合は、審査官には大学が事務的に送ったレターのみで、審査中は、学部がお茶とビスケットを用意してくれただけ、審査後のランチなぞなかった(夜、指導教官のお宅でお疲れ様ディナーをご馳走になったが)。

審査を受ける学生はシニアの人のようで、論文を近いうちに出版するらしい。
そのせいか、論文は、ハードコピー以外にも何とCDにも納められていた。ここまで準備するとは脱帽である。しかし、国が異なるとこんなにも違うのか・・・
まあ、論文出版の売り込みの一環なのか、審査は一大イベントのようだ。

2010年10月22日金曜日

根比べ

フランスの年金改革に反対するストのニュースは連日、世界を駆け巡っている。
もういい加減どうにかしてよ、と思いつつも今回は労働者も相当頭に来ているのか、スト解除を見せるどころか、昨日はさらに10日延長、11月6日までのアクション・プランまで発表した。

地下鉄やバスは本数は減っているが走っているし、街にいる限り生活必需品などの供給は問題ないが、困ったのがガソリン、ディーゼルの供給が極端に減少していることだ。
今日、フランス警察は石油の供給を止めている12の精油所の数箇所に突入して労働者が張っているバリケードを破って、催涙ガスを発砲した。段々と、戦争のような形勢になっている。

ガソリン供給が途絶えているため、閉鎖したガソリンスタンドも増えている。なので開店しているスタンドはどこもすごい車の行列。上の写真は我が家の近くのスタンドだが、今日も給油待ちの10台前後の車が道路まであふれだしていた。Mon mari も一昨日、このスタンドで給油したが、1時間待ちだったそうだ。道路にあふれた車は、道を通過するだけの車両やバスをブロックしてしまうので、苦情のクラクションが耐えない。このところ、このスタンド近辺だけでなく、あちこちから異常なクラクションの音がひっきりなしに聞こえるが、似たような状況の渋滞だと思う。

年金改革は双方とも譲ろうとしない。どっちが先に折れるかの根比べである。
年金支給開始年齢を60歳から62歳に、満額支給を65歳から67歳に引き上げるという計画だが、昨日のフランス労働組合員の話だと、62歳はそれほど問題でなく、ほとんどの労働者が反対しているのが、満額支給が67歳になることだそうだ。2年の延長とは言え、足りない分は身内のきょうだいや子どもたちが援助しなければならないので、結局、若い人にその負担を強いる悪法だと主張していた。それでもフランスは日本と違い、出生率が増加しているので、将来的に年金の存亡の危機がない分、恵まれていると思う。

日本も対岸の火事ではないな、と思った。多分、私が年金を受給する時期には、満額支給は70歳から、なんていうことになるかもしれない。仮ににそうなっても、日本はフランスのように、こんな大量の労働者が数ヶ月という長期間にわたってストなんてしないだろうな・・・ そんなことをすると毎日の経済活動に支障がきたし、自分たちの今日明日の生活が影響を受けるから、とか言って諦めて、結局政府の方針に従ってしまう気がする。フランス人のスト好きは世界的に有名だが、今回は結構近隣の国々にも飛び火する可能性があるそうだ。

一昨日、英国は向こう3年間のSpending Review (公共支出の見直し案)を発表したが、キャメロン政権は銀行セクター以外のほとんどの分野において20%の予算カットを決定したそうだ。当然、年金を含む社会保障費も含まれるので、英国人も近いうちに大規模ストを始める可能性があるらしい。

今年の冬はあちこちで、労働者が闘争する光景を目にするかもしれない。

2010年10月20日水曜日

必要悪?不必要善?

最近、欧州で話題を呼んでいる米国のProject PreventionというNGOの話。
このNGOは、薬物中毒になっている男女に不妊手術を提供している。

最近、活動を米国内だけでなく、ロンドンにも拡大してきており、英国内でも盛んに論議され、活動は非難を浴びている。CNNBBCでも連日大々的に報道された。

具体的にどういう活動かと言うと、薬物中毒になっている若い男女(圧倒的に女性が多いが)に300ドル(英国では200ポンド)を与える代わりに不妊手術や中絶を受けさせるのだ。主な理由は、薬物中毒の母親が妊娠しても育てられない、妊娠中に薬物摂取をすることで、生まれた子どもの健康が成長期に深刻な影響を受けるためとされている。

NGO代表のBarbara Harris さんという人は、自身が薬物中毒の母から産まれた子ども4人を養子として育てており、その子どもたちが健康面で様々な問題を抱えていることから、子どもを産まないための支援としてNGOを立ち上げた。すでに米国で3000人以上に支援してきた実績を評価して、さらに英国にも活動を広げている。活動資金は匿名の篤志家などから受けているらしい。

当然ながら、活動へのサポートより非難の声の方が多い。
まるで戦前のナチのようだ、NGOが不妊手術を奨励するなんてとんでもない、300ドルのお金をあげても結局、ドラッグに使うだけだ、薬物集毒患者は更正できないという前提でいるのはおかしい、若い女性は今はいらないと思っても、将来、更正した後で子どもが欲しいと思ってもそのときは遅い、社会的弱者に対する冒涜だ、などなど。

一つ一つが最もな意見であるが、彼女の言い分は薬物中毒患者の更正は言われているほど簡単でない。親が心身ともに病んでいる中で、健康な子を産み、適切な環境で養育できるわけがない、それならう産ませない環境を作るのが望ましいというわけだ。

この話は薬物中毒患者を対象としているが、他の社会的弱者、例えば身体に障害を持っている人や精神の問題を抱えている人たちに対してはどうなるのだろうか。そういう人たちは養育できないからと言って、他人が子どもを作るな、と言うことができるのだろうか。薬物中毒患者だけで語れない、もっと根幹的な問題をはらんでいる気がする。

お金をあげる、といっても300ドル程度でその人は何ができるのか?薬物から抜け、自立できるような金額ではない。結局、これは買収行為(人を金で釣って支配すること)に当たるのではないか?そもそも、こういう問題は倫理とか感情論で議論するのでなく、まず法的にどう解釈されるのか、というところから考える必要があるような気もする。

必要悪というのか、不必要善というのか、複雑な問題である。

2010年10月13日水曜日

パリの秘境?

パリの街を訪ねる人は大体、美術館、博物館、教会、文化的な施設、公園、レストラン、川下りなどに行く。いわゆるお決まりのコースだ。しかし、観光客が行かない、知る人ぞ知るというパリの風景を見られる場所があることを発見した。

パリはアパートの街である。郊外や田舎は別として、市内に住むほとんどの人は集合住宅に住んでいる。一軒家というのはほとんど見かけない。たまにあってもビルとビルの谷間にひっそり埋もれた家がポツンと一軒、日当たりも悪く、暗くてジメっとしていて、一軒家としての風格はほとんどない。

先週末に友人とベトナム料理を食べに中華街にいった。で、食事のあとウォーキングをした。中華街と同じ13区をぶらぶら散策したら、西側に「一軒家コミュニティ」というのがあるのを友人から教えてもらった。

一番上の写真はイギリスなんかに多くみられる、テラス式の家。うーん、全然パリらしくないところがいい。
こんなに一軒家が連なっているのは初めて見た。

もう少し歩いていくと、また別の一軒家コミュニティにぶつかった。道路の角に突然、一軒家が・・・
「ウァ~、家だ!」と私は叫んでしまった。この区域は「Villageビレッジ (フランス風発音ではビラージュ)」と呼ばれている、一軒家の村である。およそ20-30軒がかたまって建っている。

この家もさんさんと太陽を浴びて、優雅にそびえたっている。全然、パリらしくない。

少し奥に入ると、もっと可愛くてメルヘンチックな家が一杯。住人の人たちもちらほら道に出てきていたが、さぞ快適に暮らしているんだろうな、と思った。
庭付きの一軒家なんて、多くのパリジャンからはとても羨ましい生活だろう。

ツタが絡まったちょっとスプーキーな家も多く、何となく英国の田舎のコテッジを思い出させる。
しかし、私たちのような珍し物好きなよそ者が結構訪れるらしいので、住民は迷惑しているかもしれない。
それでも、もしパリの観光に飽きた人には、この13区の一軒家めぐりをぜひお薦めする。

2010年10月9日土曜日

ついに私も・・・

以前、ご紹介した5本指ソックスのこと。
知人からその効用を紹介されて、東京で2-3足買ってきた。
今日は友人とパリ市内を散策する約束があったので、足が疲れると思い、
早速、5本指ソックスのデビューを果たした。

履いた直後の感覚は確かにつま先に力が入る感じ。
歩いている時は特別な感覚はなかったが、脱いだ後につま先の指をとても使ったという感じの心地良い疲労感が残った。
足底全体の筋肉や骨を使うという意味ではいいのかもしれない。

とにかく、私も転ばぬ先の靴下として、愛用していこう。

2010年10月7日木曜日

ぶっ飛びカレー

イスタンブールから帰った晩、Mon mari がご飯を作ってくれた。
彼のカレーはなかなかの味。私の東京の実家でも作ってくれて、家族に好評だった。

で、今回のカレーはちょっと工夫したんだ、と言うのでどんなものか見たら、ぶっ飛び~!
枝豆が入っている、いや枝豆の豆だけなく、その皮も一緒に調理されているのだ(多分、さやえんどうと間違ったのだろうか・・・?)。

その時の会話。

私: ちょっと枝豆はね、皮は食べられないの。皮を取って食べるものなのよ。夏にビールと一緒に食べたの覚えているでしょ?

Mon mari : ああ、知っているよ、でもさ、海老だって殻つきで料理して、殻を取りながら食べるでしょ、それとおんなじだよ、食べながらむけばいいんだよ、文句言わずに食べなさい!

私: ・・・・(唖然の無言)

っと逆に諭されてしまった・・・。
いや~、恐れ入った。そういう理屈と来たか・・・
とにかく私は皮付きの枝豆が料理の中に入っているのは生まれて初めてみたので、結構なショックにおそわれてしまった。

でも皮を取って食べたら、意外に珍味でカレーに合う舌触りだった。この次は皮を取って枝豆カレーを作ろう!

2010年10月3日日曜日

ちょっと観光 その2

イスタンブールの最終日、空港に向かう2時間前に世界遺産に登録されているトプカプ宮殿を見に行った。トプカプは15世紀から19世紀までオスマン帝国の君主が居住した宮殿。

ここで一番、有名なのは「ハレム」と言われる建物。
日本語ではハーレムとも言うが、正式にはハレムと呼ぶのだそうだ。
で、このハレムの起源はここトルコだそうで、原義は「禁じられた場所」という意味。
イスラム社会で、血族以外の男の出入りを厳禁した、婦人専用の住居。
その後、転じて、一人の男性が愛欲の対象として多くの女性を侍らせた場所にも形容されている。
日本の江戸時代でいうと「大奥」。


ハレムの中庭。狭くてうす暗い。この狭いところに第一婦人から第四婦人まで(そして愛妾も?)生涯にわたって閉じ込められていたのかと思うと、さぞストレスの溜まる人生だっただろうな、と悲哀を感じた。

居室も暗くて、幽閉牢のよう。
ハレムには女性と王族の子と黒人宦官のみが入ることが許され、400年間スルタンの愛を得るために凄惨な女同士の戦いが繰り広げられたらしい。
そして、帝国が膨張し安定するに従い、皇子を幽閉する場所にもなって、その部屋は「鳥かご」と呼ばれた。

ハレムには女、子どもと黒人宦官が住み、そのほかの宮殿の空間ではスルタンと側近・白人宦官が暮らしていた。

日本で、ハーレムというとひやかしの対象になる。
たとえばある場所に男性が一人だけで、大勢の女性に囲まれたりすると「おまえ、ハーレムだな」とからかわれたりする。でも本来の実態はそんな甘いものではなかった。

ちなみに、ニューヨークのハーレムはこのイスラムのハレムとはまったく関係ないそうだ。
オランダ移民が「ハールレム」というオランダの都市の名前にちなんでつけた地域名とか。

この居室はハレムではない。スルタンがラマダン明けの晩餐(イフタール)を取る場所。窓からは金角湾の絶景が眺められる。
暗くてじめじめしたハレムの部屋とは雲泥の差である。

ラマンダン明けの部屋から見える金角湾。これを眺めて、スルタンは断食明けを祝ったのか・・・

金角湾をはさんで見える新市街地。向こうはヨーロッパの街、こちらは中世の街という感じ。

金角湾を眺めていた宮殿猫。
すごく小さく、やせていたが、おっぱいが異様に張っていたので、最近、子猫を産んだようだ。
母子の低栄養は動物にも共通している・・・

宮殿を出たところで、おじさんがザクロのジュースを作っていた。
ものすごく栄養価の高い果物で、メタボ対策にはとてもいいとか。
最近、血圧が上がっているので、早速飲んだら新鮮でおいしかった。
パリに戻ったら、自宅で作ろうと決心した。

短い滞在だったが、イスタンブール、とても楽しかった。

2010年10月1日金曜日

ちょっと観光 その1

3日間の会議も無事終わった。
ほとんど会議場に缶詰状態だったで市内を見る時間もあまりなかったが、開催者がディナークルーズをオーガナイズしてくれた。
イスタンブールの旧市街と新市街の間にある金角湾(Golden Horn)を3時間くらいかけてクルーズし、夜景を楽しみ、食事をした。

かつてローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国という3代続いた大帝国の首都だっただけあって、多くの博物館、宮殿、モスク、教会、バザール(市場)があり、湾から見えるそれらの建物は絶景だったが、あいにく私のカメラではいいショットが撮れなかった(涙)。

ボートの上では色々な人と歓談したが、久しぶりに旧友とゆっくり話しができた。
大学院時代の同級生のタラ。マドラス出身の豪快な女性。
今は結婚してロンドン在住、英国のOne WorldというNGOで働いている。
15年も前の同級生に遭遇するなんて、やっぱりこの世界は狭い。

ミドルエイジの女子力。会話は健康や病気の話が多い(笑)。なぜか、外反母趾の治療の話に夢中になってしまった・・・

アジアの女子力。会話は食べ物と恋の打ち明け話が中心。後者に関しては私は聞き役かな。しかし、彼女たち本当に可愛い~(ほとんど母の気分)。

お食事はトルコ料理だったが、街の本場のものよりはちょっと味が劣った。
でもダンス音楽は最高で(西洋とアラブのヒュージョン音楽)で、食べている最中にウェイターが踊りだし、それにつられて踊りだす人が続出。いやぁ、こんな陽気なウェイター、見たことない。

食事の後は、上のデッキで皆で派手にディスコ、いやクラブダンスを満喫し、会議で溜まったストレスを一気にはき出した。