2010年9月12日日曜日

英語偏重への危険性

先日、女性保健学に関するシンポジウムに参加した。
その中でとても興味深い発表があった。

懇意にしている循環器のJ先生は、医学における言語問題の研究もしている。
昨今、世界の学術界において英語が公用語になり、多くの研究者にとって一番簡単な情報交換の手段になっている。しかし、英語を母国語としない研究者にとっては、第二外国語で論文を書かねばならないこと、また自国の言語による論文が少なくなり、母国での情報交換ができなくなるという、二重のハンディが生じると主張している。そして、英語を母国語としない研究者は研究結果の正確性を無視して、研究結果を選んで公表する傾向が出ているそうだ。

発表では4つの文献レビューが紹介された。かいつまんで言うと、世界全体で英語による論文の数は着実に増えているので、逆に多言語リサーチの必要性があるという主張。言語による質の検証ではドイツのケースが紹介された。ドイツ語を母国語とする研究者がドイツ語と英語の論文を書いた場合、双方の内容の質の差は特に認められない一方で、英語論文では有意差の出る研究結果を国際誌に公表する傾向があったそうだ。

日本でも1990年後半以降、英語文献は顕著に増えている。しかし日本の医学界では一旦英語で公表すると日本語で投稿できないという制限があるそうで、結果的に母国語での情報交換は限られる。同様に、非英語圏の国全体でも英語の論文はかなり増えている。この結果、某医療データベースでも英語雑誌のめまぐるしい増加の一方で、その他の言語の年次的減少が認められた。医学界の中で英語優位は明らかであるが、同時に英語論文のみの研究ではバイアスを生みやすいこと、また文化的・社会的背景や英語に翻訳しにくい微妙な言葉を伝えにくいなどの問題も横たわっている。さらに、データベースによっては質の管理が行き届いてないものもあり、英語論文でもかなり低質な論文も掲載されていることも結構あるらしい。このように多くの研究者は英語偏重によるマイナスの影響に対して警鐘を鳴らしている。

J先生はこのような現状から、英語をコミュニケーションの手段の一つとしつつも、第一言語(母国語)の社会的、文化的要素が消滅しないように母国語での執筆を同時に奨励することが重要であると指摘していた。

英語論文への過大な評価は自然科学だけでなく社会科学にも共通の課題である。社会科学は政治、経済、社会、人類学、心理学などにわたり、質的な研究も多く文化的な背景がもっと必要とされる分野であるので、母国語でまず書くことはより重要になる。

英語の論文を書くことイコール質が高い、と思われがちで、実績評価や就職でも重要な判断材料になるのは事実だが、英語で書く場合でも研究結果のバイアスを最小限にし、母国語の論文や雑誌の減少を食い止める努力も忘れてはならない。

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