2010年9月29日水曜日

学んだこと

会議の中での議論は今までの話の繰り返しと新たな情報や知識も盛り込まれている。
要は、世界の援助を効果的に実施するにはどうしたらいいのかという壮大な話を、政府、ドナー、市民社会やNGOの視点で枠組みを作るのだ。

で、今日のセッションは市民社会の効果的な援助のための基本方針の最終案を合意するのが目的だった。その中に、「市民社会は、多様な人々、いかなるジェンダー、性的志向、そして少女、少年、障害者、社会的に不利な立場の人たちの人権を守り、促進する・・・」という下りがあった。これに対して、米国の市民社会をまとめて調整するネットワークNGOから、米国はFaith based organsations (いわゆるクリスチャンなど宗教的な組織)がものすごく多いので、特に「性的志向(Sexual Orientasions)」の部分は絶対に受け入れられないから削除して欲しい」という要請が出た。一瞬、会場は沈黙に包まれ、誰も反応ができなかった。性的志向とは性同一障害やトランスジェンダーをした人たちなどのことだが、特に原理的な宗教組織は表立ってそういう人たちをフォーカスして支援ができないのだろう。でも現実的には途上国でもトランスジェンダーの人たちの社会的差別やHIV/AIDS問題は顕在しているのに、これらの人々を宗教的な理由で排除できるものなのだろうか。

もう一つ、男女間の格差の是正もハイライトされている。
この中で、ジェンダー平等(Equality)か、公平(Equity)かの表現で議論が分かれた。
原案はEqualityだったが、参加者からEquityであるとの指摘が多くあった。
要はEquality とEquityは違うのである。

平等(Equality)とはすべての人に広く行きわたって差別がないこと。
例えば、教育の機会を男女ともに同じように与えることが平等である。
公平(Equity)は判断や行動が公正で偏っていないこと、
女性の方が教育において不利な立場にあれば、男性より女性の方により多くの便益を供与することが公平(Equity)なやり方となる。この場合は、公平な不平等が存在する。
平等は結果を等しくし、公平は条件を等しくするもの。

なるほど、普段、あまり意識していないこの二つの言葉の違いをよく理解でき、いい勉強になった。
今後は気をつけて言葉を使うようにしよう・・・

2010年9月28日火曜日

東西の十字路から

昨日からトルコのイスタンブールに来ている。
今日から、NGOの開発援助の効果に関して議論する世界大会が始まり、私も一応日本の代表として参加している。
総勢、200名近く、81カ国、141団体が一堂に集まっている。
普段会うことのない国のNGOの人たちと3日間を共ににし、色々な話をするのはすごくおもしろい。
プラス、NGOを支援しているドナー国、国連、世界銀行の人たちも来ている。
ドナー国は主に、アメリカ、ヨーロッパ諸国の政府機関なのだが、いつもこういうNGOとの対話の場には日本政府は来ない。主催者も招待状を出しても、日本は出欠の返事もしないことがあったりしたので、段々と呼ばれなくなっているのだと思う。そもそも、日本政府はこういう場に参加して市民社会と一緒に考えて議論することにまったく興味がないようでとても残念だ。

しかし、国際的な会議に出ていつも思うのが、自分も含めて日本人はやっぱり発言するのは得意でない。用意した紙を棒読みするのは得意だが、即興で自分の意見を他人の話の間にどんどん入れて伝えていくのはかなりの経験と技がいる。私も最近はずうずうしく割り込みができるようになったが、最初はドキドキで何もいえなかった。とにかく何かを言わねばならない、というプレッシャーで潰されそうだった。

通訳の米原万理さんが、「国際会議でインド人を黙らせて日本人に語らせることができたら、議長として大成功」と言っていたが、本当にその通りだと思う。
この会議、まだ2日間続くが、議長にそう思わせないように必死になっている自分がおかしく思える。
とにかくがんばろう・・・

2010年9月26日日曜日

パーティの目的は?

今日は友人のミネラの退職のお別れパーティがあった。
主催者はホン、彼女のパリ郊外の素敵な家で行われた。
皆が持ち寄るポトラックだったが、やっぱりエスニック料理は人気がある。
ベトナム系米国人のホンが作ったベトナム風味のバーベキュー、そしてモーリシャス人のインド風ピラフもすごい人気だった。私の持っていったカリフォルニア巻きもあっという間になくなった。
退職祝いとかいう目的にも拘わらず、主賓とゆっくり話すというより、皆、食事に没頭しており、おいしい料理を食べに来るのが本当の目的のようにも感じた。

いつか、パリに住むタイの友人宅にディナーに招かれた時に彼女は、「皆、私に会いに来るというより、私の作るタイ料理を目当てに来る人がほとんどなのよね~!」と笑いながらボヤいていた。
確かに私も招かれたとき、本場のタイ料理が食べられると思ったら、どんな予定も差し置いて絶対に彼女のところに行くと決めた。それを思うと何となく申し訳ない気持ちになった。

料理を楽しみにしてくれるのは嬉しいが、「一番の目的はあなたに会いに来たのよ」という気持ちも示さないと、単なる食い逃げ客で終わってしまう。
おいしい食事を作ってくれる人に対してはその人の気持ちにも配慮しなければ、とつくづく思った。

2010年9月20日月曜日

帰宅?

今日、パリに戻った。
いつものごとくANAを利用したが、エコノミークラスの機内サービスはかなり削減されていた。
飲み物もソフトドリンクかワイン、ビールのみで、ジントニックなどのカクテル・サービスはもうない。
機内誌も、おにぎりやサンドイッチなどのスナックなどももうない。スナックが欲しければ持参するか、もしくは700円出してうどんかラーメンを頼む。ちなみに8,000円出すと、ビジネスクラスの食事が出されるそうだ。でもあんな狭いエコノミーのテーブルでビジネスのフルコースを食べる人なんているのかしら?

しかしニュースなどで聞いてはいたが、航空会社のコスト削減のの取り組みがかなり大きいと痛感した。

ほぼ50日ぶりにパリの自宅へ帰宅。
ここが帰る家なのか・・・? 帰宅と言っても不思議な感じ。
東京の実家も帰る場所。どっちの家も私にとって「帰宅」する場所であるのは間違いない。

家に戻ると間もなくMon mari も仕事から戻った。
「おもしろいじゃがいもがスーパーにあったよ」と見せてくれたのが上の写真。
突然変異で、2つのじゃがいもが結合してしまっている。
でもよくよく見るとハート型になっている。
ノロケじゃないけど、このじゃがいもはMon mari の「Welcome Home」の気持ちとか・・・
こういうストレートでなくひねりのある表現は英国人の典型で、思わず失笑してしまった。

2010年9月14日火曜日

最後の週

日本滞在もあと残すところ1週間。
最後の週はいつも忙しく、盛りだくさんの予定が入る。

先週末は姉と甥とで日光へ行った。学生の時以来だが、やはり三猿はいい。招き猫もなごむ。東照宮を中心に見ものはたくさんあり、UNESCOの世界遺産に登録されているだけのことはある。久しぶりの観光地で、日本の歴史、文化にどっぷり触れることができた。

帰りになぜか宇都宮によって餃子を食べてきた。
宇都宮の餃子はとても有名だが、やっぱり本場はおいしかった。
戦後、満州などからの兵士が宇都宮に引き揚げて、中国の餃子を持ち込んだのが由来らしい。中国は水餃子や蒸し餃子が多いそうだが、引揚者は焼き餃子を作り、日本独自の餃子を発展させたとか。今では中国人も日本の焼き餃子は大好きだそうだ。

高速道路のサービス・エリア・パーキングの充実にも驚いた。
スターバックスもさることながら、B級グルメの充実度はすごい。たくさんのご当地屋台が並んで、どれも食べたくなる。ヨーロッパのサービス・エリアはあまりキャラなくどこも同じようなフランチャイズ店があるのみ、ご当地の食べ物など皆無、日本とは雲泥の差である。日本は楽しむ所が本当に多いと関心する。

今日は友人と渋谷でランチ。
ところで、この渋谷駅のハチ公前交差点のスターバックスは、スターバックス全体で、売り上げが世界一なのだそうだ。店内は意外と狭く、ゆったりソファもなくあまり長居できる雰囲気でなかった。なので、客の回転が早いか、テイクアウトが多いのか、とにかく人の流れが途切れない店だった。なるほど、これなら世界一といえる。渋谷のハチ公前の交差点は東京を象徴するイメージらしく、BBCやCNNで東京に関する報道には必ず撮影される場所である。

久しぶりの日本、楽しい滞在すぎてもうパリに戻りたくない・・・

2010年9月12日日曜日

英語偏重への危険性

先日、女性保健学に関するシンポジウムに参加した。
その中でとても興味深い発表があった。

懇意にしている循環器のJ先生は、医学における言語問題の研究もしている。
昨今、世界の学術界において英語が公用語になり、多くの研究者にとって一番簡単な情報交換の手段になっている。しかし、英語を母国語としない研究者にとっては、第二外国語で論文を書かねばならないこと、また自国の言語による論文が少なくなり、母国での情報交換ができなくなるという、二重のハンディが生じると主張している。そして、英語を母国語としない研究者は研究結果の正確性を無視して、研究結果を選んで公表する傾向が出ているそうだ。

発表では4つの文献レビューが紹介された。かいつまんで言うと、世界全体で英語による論文の数は着実に増えているので、逆に多言語リサーチの必要性があるという主張。言語による質の検証ではドイツのケースが紹介された。ドイツ語を母国語とする研究者がドイツ語と英語の論文を書いた場合、双方の内容の質の差は特に認められない一方で、英語論文では有意差の出る研究結果を国際誌に公表する傾向があったそうだ。

日本でも1990年後半以降、英語文献は顕著に増えている。しかし日本の医学界では一旦英語で公表すると日本語で投稿できないという制限があるそうで、結果的に母国語での情報交換は限られる。同様に、非英語圏の国全体でも英語の論文はかなり増えている。この結果、某医療データベースでも英語雑誌のめまぐるしい増加の一方で、その他の言語の年次的減少が認められた。医学界の中で英語優位は明らかであるが、同時に英語論文のみの研究ではバイアスを生みやすいこと、また文化的・社会的背景や英語に翻訳しにくい微妙な言葉を伝えにくいなどの問題も横たわっている。さらに、データベースによっては質の管理が行き届いてないものもあり、英語論文でもかなり低質な論文も掲載されていることも結構あるらしい。このように多くの研究者は英語偏重によるマイナスの影響に対して警鐘を鳴らしている。

J先生はこのような現状から、英語をコミュニケーションの手段の一つとしつつも、第一言語(母国語)の社会的、文化的要素が消滅しないように母国語での執筆を同時に奨励することが重要であると指摘していた。

英語論文への過大な評価は自然科学だけでなく社会科学にも共通の課題である。社会科学は政治、経済、社会、人類学、心理学などにわたり、質的な研究も多く文化的な背景がもっと必要とされる分野であるので、母国語でまず書くことはより重要になる。

英語の論文を書くことイコール質が高い、と思われがちで、実績評価や就職でも重要な判断材料になるのは事実だが、英語で書く場合でも研究結果のバイアスを最小限にし、母国語の論文や雑誌の減少を食い止める努力も忘れてはならない。

2010年9月8日水曜日

旅の終わり

田舎の野良仕事も終わり、再度メルボルンに上京。
メルボルンを発つ前日、友人のトモコさんとランチをした。
都会の素敵な日本レストランで久々の和食。最後にオージービーフをもう一度堪能したくなり、和風ステーキを頼んだが、味が和風なので同じ肉でも全然お腹へのやさしさが違った。

トモコさんはもう30年近くもニュージーランドとオーストラリアに住んでいる、海外生活の大ベテラン。
今はRMITという大学で教えている。私が心から尊敬し頼りにしている、メルボルンでの唯一の日本人の心の友。
色々な悩みやグチを聞いてくれる。人生経験が豊富なトモコさんからアドバイスを受けると目からウロコ、そしてとても励まされ、元気の源を頂く。
将来、メルボルンに住むことになってもトモコさんがいるので本当に心強い。
海外に住んでいると、最後に頼みの綱となるのはやっぱり日本人だなぁ、とつくづく思う。
トモコさん、本当に色々ありがとうございました。

ところで、今回は田舎生活ドップリだったので身なりをまったく気にしない旅だった。帰路もジーンズに汚れたフリース、ざんばら髪を振り乱していたので、シドニー空港のみやげ物店でカード払いをした時、店員が私の名前を見て「あなた日本人だったの?ちょっと全然、日本人に見えないわよ!」と大変驚かれてしまった。日本人は皆、清潔で小奇麗、ファッションセンスもあるので、私は山奥から出てきた正体不明のアジア人だと思われたよう。
だんだん身なりに構う余裕がなくなっている。人は外見で判断されることも結構多いので、少しはクリーンでニートな格好をしないといけないな・・・と思う今日この頃である。

2010年9月6日月曜日

INAKA Life その4

こんなド田舎でもそれなりのレストランがあった。
先週末に、私たちの家を作ってくれている大工のチャーリーと奥さんのメルディスとディナーをした。
荒野の中にポツンを建っているB&Bの中にある素敵なレストランで、味も結構洗練されてたので意外だった。田舎に住むと本当に何もないものと思っていたが、お金を出せば時々はこういう所の来れるとわかったら少し気持ちが明るくなった。
メニューは基本的に肉料理が多い。魚料理は1品だけだった。
その中にカンガルー肉料理があったので、どんな肉が皆に聞いたら「食べたことがなかったらぜひお試しを!」といわれ、恐る恐る頼んだ。
肉の舌触りは少し硬い牛の赤み肉のよう。脂分が少ないのでヘルシーと言える。濃厚なグレービーソースで食べるとそれなりに味わいがある。悪くはない。しかし、カンガルーってあの可愛い有袋動物と思うと何となくかわいそうな気もする。
オージーは鯨を食べる日本人をすごい非難するが、一方でカンガルーはいいのか(まあ私自身も調査捕鯨に全面賛同してないが)?野生カンガルーはすごいどう猛らしいので捕獲するのか・・・?不思議なロジックである。

昨晩はすごい突風が吹き荒れた。ハリケーンか竜巻が来たのかと思ったほどで、なかなか寝つけなかった。夜中から朝にかけて停電になり、電気も水もない(水は電気でポンプアップするため)不便な生活を強いられた。住むとなったら、非常用の水を屋内に常備し、ジェネレーターも必要になるかもしれない。
翌朝起きると、庭の数本のユーカリの木がなぎ倒されていた。そのうちの1本はフェンスを超えてお隣の牧場に倒れていた。朝から、その木を小分けにして切って、自分たちの敷地に戻す作業をしていた。あいにく木が倒れた所は芝生の上でなく、泥の上で加えて牛糞が混じっている最悪の場所だった。木を持ち上げようにも大量の泥がこびりついてるのですごく重く、さらに牛糞の匂いがきつくて、大変な作業だった。
ノロノロと作業をしていたら、向こうから牛の大群がいきなりやって来た。草をいじっていたのでどうも餌やりと間違えたようだ。10頭以上の牛があっという間に押し寄せてきたので怖くなり、あわてて有刺鉄線を超えて緊急非難した。牛に押しつぶされて即死、なんてことになったら笑えない。
しかし牛が走るとは想像しなかった、というか、走ると結構速いというのは知らなかった。

田舎暮らしは大変だ。予想しないことがたくさん起こる。起きた時にどう対処するのか、地域の人の暮らしぶりをみると、都会育ちの私は一つ一つが経験と学びである。自分がいかに生活能力が無いかをまざまざと思い知らされる。そして知恵とともに、体力がないと基本的に生活できない。
後期高齢者になったら、この田舎には住めないと確信した。

2010年9月1日水曜日

INAKA Life その3

田舎は夜の空がものすごく透き通っている。
昔、伊豆に行った時にこんなにたくさんの星が存在するのかと驚いたことがあった。
それ以来、あれほどの星を見たことはなかった。

今日、また田舎に戻ってきた。
ベランダに出ると、まさにスターダストの世界。
南十字星も見えたが、あいにく私のインスタントカメラでは写せなかった。

その中でも唯一写真に写った、極めて明るい星があった。
「あのすごい光を放つ星は何ていうの?」とMon mari に聞くと、
「ああ、あれはSatelliteという星だよ」と言った。
「えっ、Satlliteってあの、スペースシャトルとか宇宙ステーションがいる人工衛星のこと?そんなの、見えるんだ!!」
「そうだよ、知らなかったの? あんなのあちこちの空に一杯あるよ。」と。
科学音痴の私は何も知らずに恥ずかしい限りである。

人工衛生は多くの国が打ち上げてるので多数あり、地球から300-400キロくらいの近い距離にに設置されているので、天気が良くて、都会のように光が多くなければあちこちで肉眼で見られるそうだ。

田舎にいて、無数の星くずとともに、野口さんが行ったかもしれない宇宙ステーションも見られるなんて・・・
何も無い辺ぴなド田舎の真ん中で、世界最新技術の物体が見られるなんて、すごいアンビバレントな気持ちになった。