2010年6月14日月曜日

国歌への想い

サッカーワールドカップが始まった。
土曜はイングランドとアメリカの対戦を見た。
競技開催前には必ず、国歌斉唱がある。
イングランドが「女王陛下万歳」を歌った後、アメリカが「星条旗」を歌った。
イングランド選手は普通に前を向きながら歌う者と歌わない者がいて皆バラバラだが、アメリカの選手は全員、斜め前の国旗に向かって、左手を隣の選手の肩に、右手は自分の左胸に置いて思いっきり歌っていた。あまりにも対照的な光景なのでMon mari は、「うわっ、スゴッ!」と驚いていた。9.11以降、アメリカには何となくこういう全体主義的な雰囲気を以前より強く感じる。もし歌わなかったら非国民と言われて、袋叩きなのだろうか・・・?

近年、国歌を歌う、歌わない、の議論は日本でも盛んである。
君が代を斉唱しないで罰せられる学生や教師。
子どもの頃の私は君が代の意味すら理解せずに盲目的に歌っていた。まあ、千年以上も前の平安時代の和歌が起源なので子どもにはわかりにくいのは当然とも言えるのだが・・・。
一言でいうと君が代は天皇主権国家が永遠に続くことを祈っている歌なので、現代の憲法で定められている国民主権国家にはふさわしくないというのが議論の争点なのだろう。

同じようなことがヨーロッパでもある。
英国は女王陛下を賛美する歌なので(永続とまでは言及してないが)、人によっては今の民主主義時代に適さない歌詞と感じる人もいる。なので、歌わない選手もいる。フランスの「ラ・マルセイエーズ」はフランス革命直後に作られた歌なので、思いっきり戦闘的でグロテスクだ。「・・・進め!、進め!、敵の不浄なる血で耕地を染め上げよ!」というフレーズを聞くだけで、嫌な気分になる若者もいるだろう。移民としてフランスに来た選手などもこんな歌詞は口にしたくないと思うだろう。なので、英国もフランスも国歌を歌っている選手は半分程度だ。でも歌わなかったからと言って責められたり罰せられるなどというのは聞いたことがない。200年も300年も前の社会で作られた歌詞を現代にも当てはめて歌わせることに無理が生じるのは仕方ない。

他の国歌を聴いて、素晴らしく羨ましいと感じたのはアフリカのザンビアの歌である。ザンビアの学校の式典に参加した時、最初に国歌斉唱があった。子どもも大人も皆、明るく屈託ない笑顔で胸を張って大空を見上げて「ザンビアー、ザンビアー」と叫んで歌っていた。ザンビアの歌詞は、独立によって勝ち取った自分たちの誇りと自由を表し、君主や戦争ではなく、民衆がアフリカの大地を守るという気持ちがみなぎっている内容なのである。このような民意を代表する歌だったら、愛国心もかき立てられるだろうなぁ、とつくづく思った。

好きだけど嫌い・・・ 国歌への想いは人それぞれなのだろう。

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