2009年11月30日月曜日

エキゾチック・キュイジーヌ

ロンドン、パディントン駅構内の回転寿司屋、「Yo! Sushi」。
イギリス国内のあちこちにチェーン店を出して拡大している。
オーナーは中国人と思いきや、なんとバリバリの英国人らしい。
調理人は主に、インド系、ロシア系である。
電車の乗り継ぎ客でいつも賑わっている。

こういうところで日本料理と言われるものを食べるとき、私はいつも「これは和食でなくて、エキゾチック・フードなんだわ」と自分に言い聞かせる。そうすると、どんな物がどんな味で出てきても、寛大な気持ちになれる。

おいしくないとわかっていても、しばらく寿司たるものを食べてないと、どうしても一口だけでも口にしたくなるので、電車の待ち時間の間にちょっと寄ってみた。

カウンターに座った途端、目の前に現れたのが「どらやき」と「エビサラダ」。
「どらやき」なんて食べる英国人がいるのかしら?

私は食べる勇気が出なかった。


これはかなりマズいことになっている。太巻きの上に刺身がのっかている。サービス満点なのはいいけど、ちょっとバランス悪いね・・・要はボリュームで勝負というところでしょうか。


この巻き物は、いわゆる「トビウオの卵」を海苔の代わりに表面に塗りつけたようだ。だが、そもそも「トビウオの卵」とは赤いはずなのだが、なぜか緑になっている。緑は着色したのだろう、でもそうすると、もともとの卵らしきものは一体何なのか・・・ 
要は「緑色のイクラ」が出てきているようなもの。気持ち悪い。
加工食品の怪しさを限りなく感じる。怖い、怖い・・・


それ以外には、焼きそば、カツ丼、焼き鳥、ギョーザなど、寿司とは関係ない食べ物が小皿に盛られて出てくる。
要は日本料理全部を回転寿司の小皿の上に並べているだけのことであった。

2009年11月24日火曜日

サムの死

これは世界中で有名になった一枚の写真である。
今年の2月に発生したオーストラリア南東部の山火事での救助活動の中の一風景である。
このコアラ、「サムちゃん(女の子)」と名づけられた。地方消防局の人があげた2本のペットボトルの水を全部飲み干したそうである。この写真のインパクトがあまりにも強かったので、4月のG20の際の気候変動の会合でもサムの話が出たほどとか。
でも、結局火事の半年後の8月にサムは亡くなったそうだ。オーストラリアのラッド首相が、サムへ追悼の言葉を述べたほど(本当は国葬にしたかったらしい)国民のアイドルだった。

昨日の英ガーディアン紙に、何故か今頃コアラ特集が掲載された。
それによると、このままで行くとコアラはこの30年の間で絶滅すると予測されているらしい。気候変動、開発によりユーカリの木が消滅して住む場所がなくなっていくのが原因。特にオーストラリア与党労働党、野党保守党の間でコアラの保護に関して対立する政策を取ってきたので、コアラの生存が政治にいつも振り回されてきたのだそうだ。開発や企業の利益を優先する保守党はコアラの繁殖抑制をし森林を伐採する一方(コアラハンターもいるらしい)、環境やグリーン系のグループから圧力を受ける労働党はその逆の政策を取ってきた。また伝染病などによる人口減少も深刻だそうだ。ちなみサムちゃんは火事の後遺症でなく、コアラに蔓延しているクラミジアで亡くなったそうである。

コアラは体のサイズの割りには脳みそが極端に小さく、ほとんど1日中寝ているか、ユーカリの葉をむしゃむしゃ食べているかのどちらかで、「退屈な動物」と揶揄する人も多いとか。でも、コアラは愛らしく希少な動物なので、コアラ見たさに世界中から旅行客がオーストラリアに来る。もしコアラが絶滅したら国の観光収入が無くなると、与野党の政治家は危機感を持ち始めているらしい。

たかがコアラ、されどコアラ、オーストラリアの環境、観光政策ではすごい重要な課題になり始めている。

2009年11月20日金曜日

ボジョレーの反応

昨日、ボジョレー・ヌーボーが世界中で解禁になった。
日本もあちこちで祭り状態らしい。何と、家電量販店でも売っていたと姉から聞いたが、それは異常だ。フランスはそこまでしない。酒屋以外なら、スーパーの一角に積み重なっている程度。
しかし、こんな数ヶ月物の新酒ワインに何でそんなに騒ぐのか全く理解できない。そもそもワインのコンセプトに反している。コクや香りもあまりないし、たいしておいしいとも思わない。
ボジョレー地方のその年のブドウの出来を披露するのが目的らしいが、世界的にこんなバカ騒ぎして買う意味ってあるのだろうか?
今年の出来はとても良かったそうだが、それなら今年できたワインを5年後、10年後に味わう方がはるかにワインの価値が高まる。

なんて言いながらも、私たちもしっかり商魂にのせられて昨晩Mon mari がさっそく1本買ってきた。彼が連れてきた友達と軽く1本を空けた。私は一口飲ませてもらったが、まあまあの味だね、という程度の感想だった。おわり。

2009年11月19日木曜日

視野狭窄?

フランスに住んでいると、道や通路を歩くのに苦労する。
例えばスーパーでの買い物。狭い通路で人を横切るのは結構至難の技だ。よく、ど真ん中に立って棚の品物を見ている人がいる。横切ろうとして「失礼、すみません」と言っても、どかない。さらに大きな声で言ってもダメ。そしてほとんど怒鳴り声になっても全く反応なし。この人は聴覚が不自由なのか?と思いきや、仕方ないので相手に当たりながらその場を通過する。そうすると相手は「ああ、ごめん」と言って少しよける。

これは私の独断的な観察分析であるが、フランス人は視野狭窄なのだ。普通、私たちは自分から大体半径1~2メートルくらいの動きや気配は察知できる。向こうから人が近づいていると感じると相手との距離に合わせてこちらの位置を変える。でもフランス人にはそれができない。そして自分の関心事に没頭すると、周囲の声も聞こえなくなる。とにかく、スーパーの棚の前では私はよくイラつく。フランスは自国がCentre of Universe と思っているそうだが、町の空間にいたっても個人個人は世界の中心になリきっているのかと思うほどだ。

イギリスのスーパーに行ったとき、お菓子売り場で母親と子どもが大きな手押しカートをもって、通路の半分以上を占領していた。母親は子どもに色々話しかけながら品定めをしていたが、私が何も言わずに近づくと、母親はこちらを見なくても自然にカートを自分の方に引きながら自分と子どもを少し移動させて、私が通れる空間を作ってくれた。私は思わず「これが普通よね・・・」とつぶやいた。フランスではこういうことがほとんどない。

いつの時か、外国人同士でこの話が持ちあがったことがある。あるオーストラリアの友人は旅行でドイツからフランスにきたら、町にいる人々のマナーの無さに驚いたとか。とにかく道の真ん中に数人の人が話し込んでしまいどかない、「通してください」と言っても相手は無視。聞こえないのか、聞こえてもわざとどかないのかはわからない。「とにかくフランス人って自分の周囲が見えないのよね~」と驚いていた。この話題に一緒にいたアメリカ人の友人の経験では、見えていてもわざとどかない人もいたとか・・・・・「いづれにしてもわたしたちの国の習慣ではあり得ないわよね!」と、皆で盛り上がってしまった。

あともう1つ、Mon mari もよくイカッていることがある。
時々狭い歩道で、Vogueから抜け出したようなファッションで、背が高くハイヒールをカッカッと鳴らす女性に遭遇することがあるそうだが、モデル気分になっている人は狭い道のど真ん中を堂々と歩いて絶対に人をよけないのだそうである。普通は双方が横に寄って譲り合って通るが、ど真ん中をMon mari めがけて1センチも脇に移動することなく向ってくる、その勢いに彼は負けて、女王様のお通りの如く思わず壁に寄り沿い道を開けてあげてしまうのだそうだ。何て傲慢なんだ!とよく彼も怒っているが、ここまで来ると視野狭窄というより、認知機能の問題になるのかもしれない。

いづれにせよ、フランスで通路や歩道を歩くのは、常に忍耐が伴うのである。

2009年11月11日水曜日

Armistice de 1918

今日、フランスは休日である。「Armistice de 1918」。
1918年第一次大戦休戦協定の日である。
休戦協定は連合国とドイツ帝国との間で、1918年11月11日に締結された。この日にちなんで、11月11日の午前11時にはフランスをはじめとして欧州諸国では黙祷を捧げる。今年は、サルコジ大統領とドイツのメルケル首相が凱旋門での式典に参加した。

Armistice dayは英国ではRememberance Dayとも呼ばれ、同じく大々的に行事が開催される。女王はじめ、首相、議員、外交団、退役軍人、戦没者遺族など、多くの人がウェストミンスター寺院に集まって、同じく11時に2分間黙祷を捧げる。昨今は、第一次大戦だけでなく、イラクやアフガニスタンで命を落とした兵士たちへの哀悼の意も含まれてい るようだ。

この頃になると英国では、ポピーの花を胸につけている人が町中にあふれる。これは第一次大戦で犠牲となった戦没者とその遺族へ募金を集めるために赤いポピーを売ったのが始まりだそうだ。日本で言うと、赤い羽根募金のようなものだが、こちらではもう少し政治的な意味が含まれている。休戦協定日に一番近い日曜日は「ポピー・デー」とも言われている。ちなみにフランスにはポピーをつける習慣はない。

第一次大戦の一番の激戦区だったフランス、ベルギーをまたがるフランドル地方には、たくさんのポピーが咲いていて、その赤い色が傷ついて命を落とした兵士の血のように映った。そういう背景から、ポピーが戦没者への哀悼のシンボルになったそうだ。

第一次大戦は第二次大戦より被害が大きかったので、欧州人には深く記憶に残っているとも言われている。フランス北部のカレー市に行く途中にも、4ヶ月間で100万人近くの英仏独の兵士が亡くなったソンムの戦いが行なわれた地域があるが、そこを通るたびにMon mari はその戦禍のすごさを物語る。

2つの大戦では、欧州人は深く傷つき悲しみを味わったので、世代や国境を越えて人々は戦争の記憶を忘れることなく心に留めているのを感じる。そして自国民だ けでなく戦争で傷つき亡くなった全ての人に対して哀悼の意を示す。だから、東ヨーロッパで起こる戦争や民族浄化などには敏感に反応し、自分たちが過去に犯した過ちを二度と起こすまい、という強い信念や行動が端々に表れる。

日本は終戦記念日には、戦没した日本の兵士や市民には哀悼を捧げるが、欧州人のように大戦で犠牲になった多くの他国(主にアジア)の人たちに対してまで想って祈りを捧げるだろうか。欧州にいると、彼らのように広い心と視野をもって戦争の問題を意識し内省しないと、真の哀悼にはならないということをあらためて教えられる。

2009年11月9日月曜日

すごいショック・・・

前から欲しかった、ネストテーブルをついに買った。インドの家具を輸入販売するMyakkaという会社の製品。売り上げの一部をラジャスタンの障害児の学校プロジェクトに当てるという、今流行りのフェアトレードとかフィランソロピーを謳う会社。ウェブサイトには素敵な家具が一杯あって、見ると全部欲しくなる。

で、この素敵なテーブルをイギリスから運んできて、ルンルンとパッキングを開け、Burleigh 陶器と一緒に飾ってみて、一瞬ご満悦。
ところが・・・ 大テーブルの角が押しつぶされているのを発見、さらに最悪なのは真ん中のテーブルに木食い虫が生息しているのがわかった。その虫どもが木を食べて出す粉が一番下のテーブルに落ち、テーブルの上は真っ白になってしまうのだ。拭いても拭いても、粉は落ち続ける。

何と悲しいことか・・・ 他のテーブルや家具に虫が移らないように虫食いテーブルをベランダに出した。
会社にクレームを入れたところ、「一応出荷前に、いぶし消毒はするんですが、運悪く休眠中の幼虫が残ってたんですね。お客様の方で殺虫スプレーかけて頂ければ解決するんですけど・・・」と。
冗談はやめて!買ったばかりの新品の板は虫食いで穴だらけ、おまけに自分で殺虫スプレーしなければならないなんて、あまりにも惨めでやるせないのでイヤだと断った。89ポンドもしたんだもん。

交換はしてくれると言うがどうしようか悩んでいる。障害児の支援もしたいけど、あらたに交換しても、また虫がセットで絶対来ないという保障はない。それなら返品、返金してもらおうか・・・

その他、細かい部分の仕上げがとても粗雑。カスタマーレビューではほとんどの人が5つ星をつけていたが信じられない。会社のやらせかと思ってしまうほど、レビューと実物とのギャップが大きい。

途上国の製品、まだまだ品質管理が甘いので、カタログとかオンラインで買うのはリスク高いなとつくづく思った。こういうのを日本のODAの技術協力援助で何とかならないのかしら・・・?
「家具や家の木食い虫防止プロジェクト」とか(笑)・・・

2009年11月7日土曜日

性と生殖:タツノオトシゴ編

つい最近の英ガーディアン紙のサイエンス欄に、「タツノオトシゴの性生活」という記事があった。
タツノオトシゴ、英語ではSeahorse (「海馬(カイマ)」、)と呼ばれている、何となく愛くるしくて神秘的な海水魚である。
実はこのタツノオトシゴ、この地球上において、オスが妊娠、出産する唯一の生物なのだそうである。「オスが妊娠?」、いったいどんなメカニズムなのか・・・?
記事の説明によると、まずメスは産卵するのだが、その卵をオスとの交尾で渡すのだそうである。上の写真がまさに交尾の瞬間なのだが、このポジショニングが結構難しいらしく、卵を渡せるように何度も行為をやり直すそうだ。無事にメスが卵をオスに渡すとオスはお腹の中の育児嚢という袋に卵を入れて受精させて、やがてオスは出産の苦しみを経て、稚魚を産むそうだ。メスは妊娠したオスを大切にケアし、一緒にお腹の稚魚を育むらしい。

このタツノオトシゴの話を聞いて、人間もこれができればどんなに楽になるかと思った。つまり、男性も妊娠できれば、パートナー間でいつ誰が産むかの調節ができる。

例えば・・・

女:ねぇ、私課長になったからこの2-3年すごい忙しいの。とてもじゃないけど産休も育休も取れないから、悪いけど今回はあなたが妊娠してくれる?

男:ああ、いいよ。僕の方はこの数年は結構余裕があると思うし、職場も育休とれってうるさいから、そろそろ2人目作ってもいいかなって思っていたんだ。

女:ありがとう、じゃあ、今晩あなたに卵を渡すから、よろしくお願いね。

男:わかった、じゃあ、こっちのおたまじゃくしと一緒に準備しておくから、頑張って僕のお腹の中で育てていくよ・・・

なぁんてことが人間にもできればどんなにいいことか。

女性が妊娠、出産し、育児のほとんども女性の負担になっている日本の社会において、もし男女間で「妊娠・産み分け」ができたら、社会に劇的変化が訪れると思う。女性の社会進出は当たり前になるだろうし、男性自身が自分の問題として出産や育児を考えるので、子どもができても働きやすい社会を作ろうと いう機運が政治や経済活動全体に浸透し、子育ての環境やシステムがもっともっと充実するだろう。何よりも出生率が上がるのは確実である。そして出産育児にまつわる男女の格差や不平等も絶対に無くなる。

生殖補助医療は50年前はありえなかった。医学の進歩は目覚しいので、100-200年後くらいに、人間もタツノオトシゴ化して、「夫が妊娠したので、私も来年、一緒に育児休暇をいただきます」なんて言う時代が来るかもしれない。

2009年11月5日木曜日

月の女神になったおばちゃん

Mon mari のドロシーおばちゃん(彼の母の妹)が先週亡くなった。もう90歳を越えていたので、大往生ではあるが、私たちにとってはとてもかけがえのない人だった。おばちゃんは子どもがいなかったので、Mon mari を実子のように可愛がってくれて、もういい年した甥が遊びに来ると、今でもまるで5-6歳の子を扱うように、彼にチョコバーやキャンディなどをくれたりした。私には、洗剤、石けん、ティッシュ、調味料など、元主婦の勘で普段絶対に使う実用的なものをいつもおみやげにくれるユニークな人だった。東洋から来た、よくわけのわからないこんな私にも、分け隔てなくとても良くしてくれたので、本当に感謝している。

おばちゃんのお葬式の日の朝8時頃に、B&Bの窓から何故か、まん丸い月がくっきりと見えた。日の出からしばらくしてこんなお月様を見たのは生まれて初めてだったので、これはきっとおばちゃんが現れてくれたんだわ、と思った。


おばちゃんはダンナ様をなくしてから、自立型の居宅老人ホームに入っていた。最後まで、人の手を煩わせず、自立した生活を送れていたので、彼女の尊厳は保たれたと思う。
お葬式の会場(Crematorium)に行く前におばちゃんの棺を載せた霊柩車(Hearse)と親族を乗せるリムジンが老人ホームに横付けされた。帽子をかぶって杖を持っているのが、葬儀社の人(Funeral Director)である。

Hearseを先頭に私たちの車が続いた。右の写真が棺を載せたHearse。日本と違い、棺は隠さず、車の窓から見えるようになっている(写真が見えにくければクリックして拡大してご覧ください)。
1時間近くかかって、Crematoriumに到着。そこの施設で、牧師が祈りをささげてくれ、一緒に賛美歌を歌い、彼女の冥福を祈った。その後、老人ホームに戻り、お清めのレセプションを皆で行なった。
彼女は火葬され、遺言に従い、ダンナ様と同様、地元の墓地で散骨されることになる。

おばちゃん、安らかに眠ってください。

2009年11月1日日曜日

ユニクロと行列のできるラーメン屋

昨日、パリのオペラ座近くにオープンしたユニクロに行った。土曜の夜7時過ぎだし、オープンして1ヶ月経ったので、そんなに人もいないだろうと思っていったら、まだまだ大勢の客で賑わっていた。私は冬に向けたインナーと小物を買いたかったので、ヒートテックのコーナーに行ったら、ご覧のようにパリギャルがたむろしていた。Mon mari はジーンズが欲しかったのだが、試着室の前に20人も待っていたとか、短気な性格なため我慢できず、何も買わずに店を後にした。

私はヒートテックTシャツ2枚、毛糸の帽子とソックスを購入、しめて31ユーロ(4000円くらい)。悪くないかな。
まあこれでこの冬は乗り切りましょう。

ジーンズが買えなくて限りなく不機嫌なMon mari を慰めながら、オペラ座からルーブル美術館に向う裏通りを歩くと、日本食レストランが軒を連ねているので、「ラーメンでも食べて帰ろうよ」と誘った。
随分昔に、母と姉でパリを旅行した時に立ち寄ったラーメン屋がこの界隈だったが、まだあるかしらと探したら、難なくみつかった。

しかし、驚いたことに・・・
ラーメン屋の前には何と、パリジャンの行列。なんだ、これは東京と同じじゃないの!
並んでいるのは日本人や中国人でなく、フランス人なのである。いつからこんなことになったのか?誰か説明してよ!と叫びながら、だんだん日本人のテリトリーが侵略されている気分になった。

開店当初はオーナーは日本人だったと思うが、今はコックは中国人。餃子とキリンビールからつまみ始めて、私は塩ラーメン、Mon mari はねぎラーメンを注文した。味はまあまあ。麺がたまご麺の色をしてなかった(小麦粉だけで作ったのかな?)が、アラームクロックで時間を測ってゆがいていたので、しこしこしていた。食堂でアラームクロックを使うのを見るのは初めてと、Mon mari は感心していた。几帳面な日本では普通だけどね。
上の写真は、餃子作りの機械。日本では見たことない。具をミキサーにかけて、真ん中に皮を置き、ボタンを押すと、自動的に具が皮の中に包まって入り、下にポトッと餃子が落ちてくる。さすが、中国人の知恵と技術。似たような機械、寿司のシャリが機械でポトッと落ちてくるのをロンドンで見たこともある。
でもやっぱり餃子は一つ一つ手で作るほうがおいしいような気がする。