2009年10月30日金曜日

プーさんの家


プーさんの家は1888年に建てられた、いわゆる「Gentleman's House:紳士の館」。
領主が広大な土地を管理するために、ある小作人(使用人)に家を与えた。これがプーさんの家だ。当時は子沢山の時代だったので、最初の使用人の奥さんは13人の子どもを産んだ。奥さんは13人目の出産が原因で亡くなったそうだ。そんな話をオーナーから聞くと、家の中のあちこちに歴史が刻まれているのがわかるが、何となく、たくさんの人の霊が宿るスプーキーな雰囲気も感じられる。

オーナー夫妻は元学校の教師。80年代初めにこの家と土地を買って、コツコツとリフォームを重ねて、B&Bにした。最初のオーナーが13人の子どもがいたためか、15くらいの部屋はある母屋に加えて、大きな納屋もある。
オーナー夫妻いわく、段々年とってくると、家の維持管理が大変になるので、近いうちに母屋を売って、自分たちは納屋を改築してそこに移り住み、生活を縮小するそうだ。

周囲は広大な牧草地帯で、牛、羊、やぎなどがたくさんいて、典型的なイングランドの田園風景が楽しめる。

こんなところに住んでいるプーさんは本当に幸せだと思う。

2009年10月27日火曜日

ネコのプーさん

Swanseaのあと、Mon mari の用事に付き合い、彼の故郷のレスターに滞在した。時々泊まるB&Bに、ネコのプーさんがいる。 (プー:Pooh、あまりいい意味じゃないけど・・・)
私たちが朝食を食べ始めると、どこからともなく、「そのソーセージ、おくれよ、おくれよ」と喉を鳴らしてやってくる。
ダイニングの入り口の扉を開けようと必死で可愛くもがき続けるが、無駄なトライ。

私はお肉をあげたくてしょうがないのだが、餌やり禁止命令が出た。

しかし、イギリス人は朝からなんでこんな重たい食事をできるのか不思議だ。ちなみに私はベジタリアン・ブレックファーストにしている。Mon mari は、お金を払っているんだから、フルで食べないと損だ、とケチくさいことを言う。イングリッシュ・ブレックファーストにさらに、パンケーキやワッフルを加えるとアメリカン・ブレックファーストになる。
こんなに朝から食べれば、太るよね~。

プーさん、窓越しに私たちの食事をじっと見てこうつぶやいている。
「その肉の切れ端だけでもいいから、ちょうだい!」と。

2009年10月24日土曜日

大物は田舎から?

私が滞在しているのは、ウェールズ南部、Swansea (スウォンジー)という町。海と山に囲まれた自然の美しい町。リゾート地で有名だがそれ以外に大きな産業はない。
しかし・・・この小さい田舎町はある有名人の故郷なのである。

その人とは・・・   キャサリン・ゼタ・ジョーンズ。
そう、あの、ハリウッドで有名な美人女優。最初私は、彼女はラテン・アメリカあたりの出身かと思っていたが、実は純粋なウェールズ女性だったのだ。あの大胆な女優の姿と、この小さく素朴な町のイメージがかけ離れていたので正直、信じられなかった。
彼女の両親はまだここに住んでおり、郊外にマイケル・ダグラスとマンション(邸宅)を買って、たまに遊びに来ているらしい。


Swanseaの隣にPort Talbot(ポート・タルボット)という小さい町がある。過去に鉄鋼産業で栄えた地域。昔ほどでないが、今も細々と工場が稼動している。典型的な労働者の町。駅から見える家々の雰囲気から、およそ、お屋敷などは存在しないというのがすぐわかる。
このひなびた町もある有名人を輩出している。

アンソニー・ホプキンズ。
彼もハリウッド映画の名優だが、このような裏さびれた鉄鋼の町で育ったというのは今の姿から想像できない。
余談だが、彼の正確な名前は「アントニー・ホプキンズ」。Anthonyという名前は英国では「アントニー」、アメリカでは「アンソニー」と発音する。ハリウッドで成功するために、アメリカ式の発音の名前に改名したのだろうか・・・?

キャサリンのお父さんはお菓子工場で働いていたそうだ。アンソニーはパン屋の息子だった。
二人とも労働者階級で育ち、親を超えるためにハングリー精神を養い、世界に羽ばたいた、キャサリンとアンソニー、ウェールズ人は彼らをとても誇りにしている。

英国では、こういうひなびた田舎から、大スターや偉人が出現するのだそうだ。

2009年10月23日金曜日

Mon ami de Gaza


今日は図書館で勉強した後、友達とお茶をした。同じコースで論文を書いている、アティマッド。
私がコースを始めた4年前からの一番の仲良し。離れていても、メールでお互いの近況を伝え合っている。というか私の方がずっと彼女のことが気になって、連絡を途絶えたくなかった。

アティマッドはパレスチナのガザ出身。ジェンダー活動家。ガザの女性百人以上にインタビューして、あの原理主義のハマスとジェンダーの関係という、すごいテーマで論文を書いている。
パレスチナでは、国連や世銀の仕事をばりばりこなしてきた。

政治的に反ハマスを貫いており、夫君もどうもハマス絡みで命を落としたようだが、詳しくは語りたがらない。
イスラムの女性だが、ベールも被らず、いつもラフな格好で、タバコをスパスパ吸っている(お酒もたまに飲む)。こんなにリベラル、というか開放されたイスラム女性と会ったのは初めてである。今年中に論文を終えて、英国でイスラム女性の研究家として大学でリサーチを始めるそうだ。

左は息子のマスジッド君。今年二十歳。
去年から今年にかけての、空前の空爆のときに、一人でガザにいた。アティマッドは仕事でカイロにいた。息子の安否を心配して、何とかガザから脱出できるようにあちこちに手配し、彼も毎日毎日、エジプトとの国境に足を運び、エジプト政府が気まぐれに検問を開けてくれるのを待って、最後は150ドル渡して、トンネルをくぐって自力で脱出したそうだ。国境越えのときにも、ハマスから拷問に近い嫌がらせを受けて、トラウマになっているとか(体型から見るとあまりそんな雰囲気は窺えないのだが・・・)。彼は本当はガザが大好きなので帰りたいのだが、ハマスが怖くて一人では戻れないそうだ。なので、今、難民申請をしている。でも英国政府は色々難癖をつけてなかなか首を立てに振らないため、弁護士を通して頑張って手続きを進めている。

空爆の話はたくさんしてくれた。私も15年前にガザに行ったことがあるのだが、マスジッド君はその頃の光景なんてもうないよ、と苦笑して話してくれた。
皮肉なのは、二人ともイスラエルだけでなく、ハマスとのことで相当深い傷を負ってるのである。

彼らのように、脱出できた人たちはまだ恵まれているが、脱出できず、ガザに留まる以外の選択しかない、パレスチナ難民の人たちのことを思うと心が痛む。

2009年10月21日水曜日

ウェールズ

只今、ウェールズの大学に来ている。南ウェールズのスォンジーという海沿いの街。
1週間だけの短期なので、いつもお世話になっている、クレセント・ゲスト・ハウスに滞在。
小高い丘の上にあるエドワード調の家だが、ド派手なブルーに塗り替えられ、リゾート地らしい建物になっている。通りの中でもひときわ目立つ家だ。

お部屋は最近可愛くリフォームして、とてもコージーになった。
窓から見える町並みや海は壮観。
朝ごはん付きで1泊40ポンド(約6千円)。悪くないかな。

ウェールズは、イングランドと異なり、ワイルドな自然を楽しめるので、私のお気に入りな地である。


2009年10月17日土曜日

未踏の空間

自宅の近くには大きな商店街がある。東京と違い、フランスはシャッター通りというのは皆無だ。スーパーも数件あるのに、個人商店が頑張って商売を続けられているのはすごい。食の都なので、専門店が軒を連ねている。チーズ屋、はちみつ屋、オリーブ屋、フォラグラ屋、と、どこもいつもお客が並んでおり、専門店での買い物を皆さん楽しんでいる。

その中でもうちの近所なのに、私が未だに入れない店がある。いつも興味深く眺めるのだが、入って買う勇気がでない。
1軒目は、「馬肉屋」。上の写真だが、よく見ると看板の上に馬の象がぶら下がっている。
日本でも馬刺しとかあるけど、馬の肉の専門店なんて見たことない。馬の頭とか売っていたら気絶するだろうな、と思いながら恐る恐る、外からのぞいたけど、まあ普通の肉屋という感じ。ちなみに、馬肉のハムなんかもあった。

2つ目は右の写真の店。
「かたつむり屋」
子どもの頃は、「デンデン虫」とかいってよくそこらでみつけた巻貝だ。
あっ、おフランスでは「エスカルゴ」と言うんだったわね。
随分前から、Mon mari と通るたびに、「かたつむり屋か・・・今度、買ってみる・・・?」と言いながら、二人とも何故か入る勇気が出ない。生きているのも死んでいるのも売っている。缶詰に入れられたかたつむり君もいる。味付けも豊富な種類があるようで、これもいつもの如く、知識のない者は、ボー然と何を買っていいのかわからなくなるのが予想できる。そしてかたつむりを買ったら何を添えにして食べるのか、ということを考えるだけでも頭が痛くなる。
ということで、この「かたつむり屋」は数年後、フランスを離れるまでに、記念として一度行っておくだけにしよう、と心に決めた。1894年創業の老舗屋(看板に年号が書いてある)で、巷では有名な店のようだ。

そして最後は、絶対に入らない、というか入る必要がない店だけど、いつも不思議に思っている店。
「窓屋」 (Fenêtre とは窓という意味)
いわゆる「建具屋」なのだが、家の近所に3-4軒はある。なんでこんなに窓屋があるのか、いつも不思議に思いながら通り過ぎる。毎年窓やドアを取り替えるわけでもあるまいし、どこにそんな需要があるのか。でもつぶれないで商売を続けているのを見ると、確実に誰かが必要としているのだろう。東京では建具屋なんてほとんど見なくなったが、フランスの都市ではあちこちに健在だ。

2009年10月14日水曜日

地中海の醍醐味

このところ、家ではずっと飯炊きバアさんをしていたので、たまには外食したいな~、と思っていた矢先、Mon mari が友達とご飯を食べに行こう、と言い出した。行った先は、「ギリシャ料理店」。

ギリシャ・レストランなんて今まで一度も行ったことがなかった。知っているのは、ギリシャ・サラダ、ムサカ、タラモサラダくらいだったし、そんなに大したことない食べ物と思っていた。ところが行ってびっくり、メニューの豊富さと、その味。こんなにおいしい料理だったとは思わなかった。地中海料理といっても、トルコ料理とかレバノン料理とも似ているが、海鮮料理が豊富なので、中東とヨーロッパの中間的な味付けと食材。

上の写真は、前菜。イタリアのアンティパストみたいなもの。タラモサラダ、ザジキ(Tzatziki、ヨーグルトときゅうりのペーストサラダ)、ドルマダキア(肉や野菜をこねてぶどうの葉に包んだもの)、その他、ひよこ豆やサンドライド・トマトなど、地中海の醍醐味が一皿につまった前菜だった。

メインは、「おばあちゃん風ラムのトマト煮込み」。店で一番おいしい、と薦められて注文したが、写真のごとく鳥の半羽に匹敵するすごい量。しかし、これもものすごくおいしかった。数日間、トロ火でコトコト煮たようで、肉がとろけるようにほぐれ、トマトソースもとても深みがある絶妙な味。でも、結局お肉は全部食べきれずに残してしまった。残念。

メンツはサイエンスの大学や研究所に働いている先生たち。私と私の正面にいるウクライナ人のナターシャ以外は全て、理系人間。会話もほとんど脳トレの世界だった。この会話に入れない私とナターシャはひたすら、文系の話、というより、他愛のない旅行、食事、そしてウクライナ、日本の話に暮れ、あとは食べることに没頭していた。

ということで、私はギリシャ料理の大ファンになってしまった。リピーターになること間違いなし。ただし半端な量でないので、この次は、ゴム入りのゆるスカートをはいて、このレストランにまた来よう。

2009年10月10日土曜日

女王陛下万歳

オバマ大統領が、ノーベル平和賞を受賞した。
夕食時、テレビを見ながら、Mon mari は「これまではやったことに対してノーベル賞が与えられたけど、これからやろうとしていることに対して賞をあげるのは初めてだな」と、ボツっと言った。ほんと、そうだと思った。
オバマ大統領も戸惑ったに違いない。ちなみに「オファー来て、ノーベル賞って、いりませんって辞退できるの?」とMon mari に聞いたら、一応公表前に「いりますか?」という打診はあるらしい。なので、オバマさんも躊躇しながらも、やっぱり欲しかったんだな、と思った。そりゃ、世界のノーベル賞だものね。

前置きが長くなったが、上の写真はロンドンで買った絵葉書。
今年4月ころにオバマ夫妻が訪英したときの写真。たまたま私も同じ時期にイギリスにいて、セントパンクラス駅のみやげ物屋でこの絵葉書をみつけた。彼らの訪英の数日後に販売されたことから、いかに彼が英国内でも人気者だったかわかる。

で、家に帰ってMon mari にこの写真を見せたら、即反応。

Mon mari:  なんだ、どうして女王がこんなに小さいんだ?

私: 知らない、年とって縮んだのかな、それともオバマ夫妻が異常に大きいのかもしれない。

Mon mari:  こんな縮んだ女王を写すなんて、侮辱的だ。まるでオバマ夫妻が女王を見下ろしているかのようだ!

私: だって、仕方ないじゃない、写す人もそこまで考えなかったんじゃない?まあ、座って写したほうがよかったかもしれないけど。
でもさ、Mon mari は、今までそんなに王室オタクじゃなかったし、結構ロイヤルファミリーに対して色々皮肉言ってたのに、なんで今回はそんなにムキになるの?

Mon mari: Ugh........... (無言)

よく考えたのだが、彼は縮んだ女王のことにこだわっているのでなく、英国と米国の関係を意識したのかもしれない。アメリカ人の方が大きい、としてこの写真を見ると、誇り高い英国人は不愉快なのかもしれない。確かに、背丈というのは力と関係あるから。

そうよね、女王は英国国歌で賛美されている最高位の人。
"God Save our Gracious Queen!” と。

まあ、ともあれ、女王陛下、オバマ大統領、両方とも万歳!

2009年10月8日木曜日

ドイツ探訪:ザワークラウト&ディジェスティフ

前回のわんこビールの続き。お食事はほとんどが肉料理。注文したのは、燻製の豚肉、ベークド・ポテトと、ザワークラウト(左の小皿)添え。お肉はスモークの香りが何ともいえなくて、食が進んだのだが、やはり本場のザワークラウトは天下一品。日本で食べるのより数十倍おいしかった。
これだけの分量を食べると、相当カロリーオーバーだな、と思いながらも、昼ごはんを抜いていたので一気に平らげてしまった。


隣のテーブルのカップル。横から見ると何となく、日本の居酒屋の雰囲気に似ている。ご飯を食べ終わっても、わんこビールの注文は続く・・・


肉料理はかなりのボリュームで、おまけにわんこビール5杯で私のお腹は相当膨れた。この状態ではさらにビールは無理、デザートなんて論外。で、こういう場合、大食いのドイツ人やイタリア人は「ディジェスティフ」を飲む。要は食後酒なんだけど、こんな膨れたお腹でさらに酒なんて、それもアルコール度の高いリキュールなんて無理、と思っていたのだが、実はこれは消化を助けてくれるお酒。これを飲んだあと、不思議にお腹の膨満感が消滅するのだ。イタリアではリモンチェッロが有名だが、パフカンで飲んだこのディジェスティフはお店のオリジナルで、名前は秘密とおじさんが言っていた。ドイツのディジェスティフは、アニス、ミントとたくさんのハーブやスパイスを入れてるのが主流。何となく、うがい薬のイソジンみたいな味がするものが多いが、ここのはそんなに強い香りはなくて飲みやすかった。飲んだあと、本当にお腹がすっきりして、ベッドに入ってからすぐ眠りにつくことができた。

2009年10月6日火曜日

ドイツ探訪:わんこビール

先週末にちょっと用事があり、ドイツのケルンまで行ってきた。ケルンはドイツの西部の都市、ドイツ語ではKöln (コルン)、英語ではCologne (コロン)と発音する。ケルンまではパリから車でベルギーを通過して約5時間(500キロ)の旅。

ドイツというと、ビールとソーセージ。
ホテルの界隈で一番おいしいドイツ料理の店を聞いたら写真の店、Päffgen (パフカン)を薦められた。
レストランかと思って中に入ったら、なんと「ビアホール」だった。

日本でビアガーデンとかはよく行ったが本場のビアホールに行かれるなんて思えなかったので、すごく嬉しかった。
古い建物の中には、大小の部屋が5つか6つ位あったが、土曜の夜だったせいか、満員御礼。入り口でウェイターに席を案内される必要もなく、中にずんずん入り空いている席に勝手に座る。

下の写真は、一番大きな部屋の雰囲気。人がすし詰め状態。ビールを飲みながら、大きな声で陽気に話すドイツ人を初めてみた。

座ると注文もしないうちに、いきなり、ウェイターのおじさんがビールを持ってきた。ドイツ語で何というスタイルなのかわからないが、とにかく皆、同じビールを飲んでいる。下の写真のように、おじさんは20個くらいのグラスが入るビアホルダーをもって、あちこちのテーブルを回っている。ビールを飲み干すと、空のグラスと交換に新しいビールを置いていくのだ。いわゆる、日本にある「わんこそば」みたいなもの。最後、もうお腹一杯で降参となったときは、グラスの上にコースターなどを置くと、そこで追加ビールはストップされる。

それはそれは、皆さん、すごい豪快に飲んでいた。私も「わんこビール」なんて初体験だったので、不思議といつもよりたくさん飲めてしまった。

とにかく、このビール、冷たくホロ苦くてほんとーにおいしいのである。イギリスのパブで飲む、ぬるっとしたようなラガービールでなく、日本人が好む、あの喉ごし爽快、ぴりっというビター味。やっぱりドイツビールは世界一だと思った。

グラスは結構細くて低い。泡がたくさんあるので、200ml も入らないくらいの分量。おじさんはビールを置いていく都度、コースターに飲んだ印を書き留めていく。右のグラスのコースターにある線、これが私たちの飲んだ分。10本線があるので、10杯ということ。一人、5杯、まあ大のビアジョッキ、1杯半か2杯くらいかな?


2009年10月1日木曜日

お客様は神様

あぁ・・・家が恐ろしい程、ちらかっている。アメーバーの如く物があちこちに拡散している。物を片付けるという行動を夫婦とも失っている。
英国人は過去の世界に住んでいるので、Mon mari は古い物を捨てられず、どんどん溜め込んでいく。この悪循環、断ち切りたい。一つ購入したら一つ捨てる、このゼロサム・ゲームを実践するのよ、と口すっぱく言っているが彼にはどこ吹く風。

家がいよいよ世紀末状態になったとき、どうやって Mon mari に片付けをさせるか・・・

唯一の効果的な方法、それはゲストを呼ぶこと。
お客が来るとなると、否応なしに片付け(少なくともリビングは)をしなければならない。だから月一回はゲストを呼ぶように心がけている。我が家では、お客様はお掃除を助けてくれる神様ということになっている。

今日の女神はペニーさん。イギリスの会計検査院からOECD(経済協力開発機構)のDAC(開発援助委員会)に出向中、援助審査課で働いている。今年は、日本のODAが評価される年で、10月に対日援助審査のインタビューで東京に行く。そんなんで、外務省、JICA のお話から始まって、果ては京都、日光、鎌倉、秋葉原、新宿、歌舞伎町の話まで発展した。日本に行くのをとても楽しみにしている。

上の写真にある四角い食べ物は、特製「アールグレイ・プリン」、紅茶好きの英国人には大好評だ。

さて、次の世紀末の時期にはどの神様を呼ぼうかな・・・?