2010年7月30日金曜日

ナローボートの旅 その2

ナローボートが通る運河は比較的平地が多いものの、時々勾配のある所を通らなければならない。勾配のある所には「ロック」と呼ばれる段々畑のような水門が作られている。

今回、急勾配で有名なフォックストンのロックを通った。12のロックがあり、通過するのに約1時間かかる。ロックの仕組みのおもしろさに、多くの人が見物にやってくる。
上の写真は12の水門ロックの風景。

しかし、どうやってボートが急勾配を上がったり、下がったりするのか?
一言で説明すると、12の水門の間の水位を同じにしながらボートを移動させるのである。
簡単にその手順を紹介する。
ボートが水門の近くに来ると、まず水流を増減させロックを開ける。スパナーのような工具で、ロックを開閉する。上の写真は上流する際に私がロックを開錠しているところ。

そうすると上に行く場合は水が滝のように大量に水門脇から出てきて、ボートは一気に5メートルくらい浮き上がり、下に行く場合は5メートルほど水位が減り、ボートが下がる。

そして水門を手で開けると(Mon mari が頑張って開けている)、水門間の水位が同じ高さになっているので、ボートが次の階段に進める。

次のレベルに移ると、前の水門を閉じる。これを12回繰り返すのである。
自分たちで水門を閉じる余裕がないときは、上の写真のようにギャラリーの人たちが閉じるのを手伝ってくれる。

とにかく、とてもおもしろい仕組みなので、多くの見物人に囲まれてまるでスター気分。


これは下りの際の水門くぐり。私が時々操縦して、リンダとMon mari たちがロックを開けてくれた。

これは最後のロックを越えて、丘の上に達した瞬間。無事、12のロックを通過して、クルー全員、安堵。多くのギャラリーたちも「よかったね!」と声をかけてくれた。

ロックはもう200年以上前に作られた仕組みなのだが、いまでもこうして昔ながらの方法で運河を下ったり、上ったりしている光景を見ると、先人たちの知恵と技術に脱帽する。

2010年7月28日水曜日

ナローボートの旅 その1

英国中部、ウェールズにはたくさんの運河がある。
18世紀の産業革命後、石炭や生産に必要な様々な物資の搬送のために運河建設が進んだ。運河は狭いので、幅狭の細長い船が設計され作られた。その形から「ナローボート」と呼ばれるようになった。
その後、蒸気機関車が発明され搬送は列車に変わったので、ナローボートの役割は減り、個人商人やいわゆるジプシーと呼ばれる移動型民族(英国ではジプシーという言葉は差別用語になっていない)の移動手段と水上生活の場所になってきた。

しかし最近ではナローボートの個性的なデザインやその「スローな旅」が注目され、英国人だけでなく外国人にも高い人気を呼び、一大観光産業になっている。日本人観光客の間でも密かなブームになりつつある。上の写真は伝統的な色(緑と赤)と形のナローボート。大体はディーゼルエンジンで動くが、上の写真のように煙突のあるボートは薪や石炭でエンジンを動かしている。

私たちも先週末、ナローボートの旅を初めて経験した。
クルーは、私とMon mari、ヨットで有名なニュージーランドから来たキース、オーストラリアからのリンダの4人。キースはニュージーランドにヨットを持っており、長年、太平洋の島々を縦断するなど、船の操縦はプロ並みなのでとても頼もしかった。

私たちは5日間、上の写真の青いボートをリースした。ゆっくり移動しながら、あちこちの森林や草原のど真ん中に停泊して、一夜を過ごす。まさに Middle of Nowhere の世界。

マリーナに行くと、パブや雑貨品のお店がある。長期にボートで旅する人、実際に居住している人の多くは、寂しいのか、旅の道連れに必ず犬を伴っている。時々、猫も乗船しているのを見た。よく、あばれないで大人しくしていると、感心してしまった。

さて、ボートの操縦にはラインセンスはいらない。ほんの1-2時間の講習を受ければ誰でも操縦できる。
ということで私も頑張ってトライした。私が握っているのが舵、横にギアがありスピードを調整する。シャープな曲がり角はコントロールが難しかったが、基本的にはゆっくり走行なので私のような危ないキャップテンでも大丈夫。通り過ぎるボート同士でおしゃべりを交わしたり、ある夜には隣に停泊していたボートの人からBBQに誘われたりと、ボート仲間がとても仲良くなり結束するのがよくわかった。

キースから、操縦のコツについて色々と指導を受けた。さすが師匠はすごい。かなり難しい方向転換も容易にこなしていた。

運河に多くある橋。
夕やけの光で橋が水に反射して、輪を描いている。とても素敵な光景。
静寂の中で、歩行と同じ速度でゆっくりとボートは進む。

草原には羊、牛、馬がたくさんいる。自然と一体になるひととき。
ナローボートは俗世界を忘れさせる、不思議な空間である。

2010年7月21日水曜日

もう聞かないで!

博士課程の生活は結構暗い。光の見えないトンネルの中に何年も住んでいるような生活。
そういう時に色々と研究のこととか、進捗とかを根堀り歯堀り聞かれるととても辛い気分になる。

以前、メルボルン大学の先生たちとMon mari と私とでランチをしたことがある。先生たちは私の論文について色々聞いてきた。
そしたらMon mari は「彼女はあまり話したがらないんだよね・・・」とボツっと言った。

彼らによると博士学生には2つのタイプがあるらしい。
1つはとにかく話したくてしょうがない人。
「君はどんな論文を書いているの?」と軽い気持ちで聞くと、20-30分くらいは止まらない状態で一人で酔いしれて話し続ける学生。聞いた方は心の中で「しまった、聞かなきゃよかった・・・」と思うくらいうんざりしつつも、止め処もなく続く話に耳を傾けねばならない。
2つ目のタイプは多くを語りたがらないちょっと秘密主義的なタイプ。
理由はいろいろあるだろうが、特に執筆が行き詰っていて思うように進んでいない場合。要は暗いトンネルの生活の逐一を聞かれて話したくない精神状態になっている学生。

私は完全に2つ目ののタイプだった。
メルボルンの先生は、「そうそう、確かにそういう学生いるわよね。いつだったか、"Don't ask about my Ph.D!" と書いてあるTシャツを着た学生を見たことあるわ。論文書いているというと、色々な人から興味深々と聞かれるけど、学生は机に向かっている時以外はもう考えたくないのよね」と言っていた。

まさに私も論文生活の後半はそんな気分だった。
Mon mari も時々、論文の内容を議論したり、執筆の進捗を聞いたりしたがったが、私は「もう何も聞くなオーラ」をムンムンと漂わせていたので、最後は腫れ物にさわるようにすごい神経を使って私に接していた。

そんな時、彼なりのブラック・ユーモアで私を笑わそうとしたのだろうか、写真のようなマグを通販でみつけてきてプレゼントしてくれた。
「Please don't ask about the thesis」 私の論文に関しては何も聞かないでください。

Tシャツやらマグカップやら似たようなメッセージ・グッズがあるというのは、かなり多くの学生が「頼むからもう触れないでくれ!」と心から叫んでいるのだと思う。

博士課程の学生と接触するときはくれぐれもご注意のほどを。

2010年7月17日土曜日

絶対に乗ってはいけない

ロンドンの地下鉄。世界最古というビンテージ物。世界遺産に入る代物かと思いきや、実は世界最低の遺産。
今日、パディントンから4駅目のセントパンクラスに行こうとしたら、直通のサークル、ハマースミスは完全停止。もうこんなことしょっちゅうなので驚きもしなかったが、仕方ないので迂回して乗り継いでいくことにした。
ベーカールー・ラインからビクトリア・ラインに乗ったら走行中に車内アナウンスがあり、信号機の故障でしばらく止まります、といって約15分ほど立ち往生。

ロンドンの地下鉄は冷房がない。古いし換気が無く、いったん止まると窓から風が入らないので車内は40度近くに上昇する。当然、乗客は皆、気分が悪くなる。パリのメトロも相当暑いが、ロンドンはそれを上回る。
私も15分の停車で汗が吹き出てきたが、幸いにも混んでなかったのでなんとかしのげたが、これがラッシュアワーだったら倒れていたかもしれない。

そこで最近、市長が乗客に上の写真のような注意喚起のポスターを車内に貼った。それを訳すと・・・

暑さの中、冷やすようにしましょう(どうやって?)。
・水を持って乗車しましょう。
・体調が良くない時は乗車をしないでください。
・乗車中に気分が悪くなったらすぐ次の駅に降りて係員に知らせてください(駅と駅の間に止まったら降りようがないでしょうが!)。
・車内警報のボタンは押さないでください(笑っちゃうけど、気分が悪くなって押す人がいるのね)。

しかし、皆よく我慢して乗っていると思う。初乗り4ポンド、ちょっと前は800円、今はポンド安で500円ちょっとになったけど、こんなに高い乗車賃を払って、古くて階段だらけの地下道を通り、やっと乗ったら蒸し風呂状態で気分悪くなって倒れたら乗客は丸損もいいところ。子どもや高齢者だったら脱水と熱中症で命を落としてもおかしくない。

さすがに市長も事態を深刻視したようで、今年か来年あたりから漸進的に冷房車の導入を決めたらしい。4ポンドも払っているんだから当然よね。
そしてロンドン・オリンピック前にはこの問題を解決しないと国際的に恥をさらされ、ばつの悪い思いをするだろう。

汗だくになってセント・パンクラスで降り、やっとユーロスターに乗ったら、なんと私のチケットはファースト・クラスだった(自分で予約したが知らなかった)。思わぬアクシデントだが、悲惨な地下鉄乗車のあとだったので、その歓喜は測り知れなかった。
ゆったり大きな椅子で、おいしい夕食とシャンパンが出されて快適にパリまで戻って来られた。

夏のロンドン・メトロには絶対に乗ってはいけない。

2010年7月15日木曜日

Viva通過

今日、論文の口頭試問(Viva)を受けた。
外部と内部の審査官二人、それとチェアと言われる人が同席。チェアは口頭試問がフェアに行われたかを観察して報告する役割だそうだ(たまに激しく攻撃する審査官がいるので、学生を護るという意味もあるらしい)。
外部審査官は結構、暗い雰囲気でとにかく指摘が細かかった。あと彼の英語が結構聞き取りにくかったなぁ。

発表、質問の繰り返しで約2時間。
特に理論の議論は苦しかった。自分でも自信のない急所をグサッと突かれた感はした。事例でも情報源が偏っていると言われ、もっと多くのソースを入れるように指摘された。
そんなこと言われても非常に限られた情報しかないんだけど、無い袖は振れないときはどうしたらいいんだろう。

結論として、一応審査はパス。
でもたくさんの追記や修正を求められた。
これから数ヶ月で磨きあげなければいけない。
審査が通った嬉しさより、まだ続く作業を考えると憂鬱になる。
とりあえず今日はすべてを忘れて、これから指導教官のお宅に夕食をごちそうになりにいく。

2010年7月13日火曜日

味と集団心理

今日、ロンドンの駅にある、ドーナッツ屋の「クリスピー・クリーム」をみかけて驚いた。客は2-3人くらい、ほとんどガラガラの状態。

日本とは対照的な光景。
新宿にあるクリスピー・クリームは、開店からしばらく経っても恐ろしいほどの行列で何時間も待って買う客が耐えなかった。
大阪や名古屋にも最近オープンして、同じように連日すごい行列と聞いた。
何故、日本では異常なまでに人気があるのか?

もし本当に世界的に認められた味だったら、ロンドンのこの店もこんな閑古鳥は鳴いてないだろう。マックの方がはるかに多くの客が入っている。
ちなみに、パリにクリスピー・クリームはない。アメリカ式ドーナッツはフランス人にはあまり好まれないのかもしれない。仮にパリにできても、日本のような行列は絶対にできないだろう。

私はここのドーナッツを食べたことがないが、友人によるとすごい激甘。揚げたてはおいしいが、冷えると普通のドーナッツ、並んで買うほどのことはないと言っていた。

日本での一番のミソは並んでいる客に揚げたてのドーナッツを試食されるそうで、それを食べておいしいと評判が広がってさらに行列ができる。要はクリスピー・ドーナッツの上手なマーケッティングに乗せられた集団心理行動の典型なのだ。
なので私はクリスピー・ドーナッツは絶対に買わないと心に決めた。

2010年7月10日土曜日

いらいらの夏

暑い・・・・
パリは連日、32-35度の気温。
灼熱の太陽がギラギラ照って、日陰に入ると少しは楽になるとは言え、外を歩くのも結構つらい。

ヒートアイランドの東京からするとそんなの当たり前だし、どうってことはない。
しかしパリの夏は東京よりはるかに過ごしにくい気がする。
なぜかというと、冷房社会でないからである。
北部欧州の夏は暑い期間が短いので、歴史的に冷房は発達してこなかったが、昨今の温暖化で段々と暑い日が増えてきている気がする。従来、車もエアコンなんてなかったが、今はほとんどの車にはついている。

自宅に冷房がないのは当然だが、普通のお店やレストラン、カフェにも冷房はない。
従って、どこで涼むのかが大きな問題になる。
結局、カフェの外のテーブルに皆、殺到する。でもここも風がなければ暑い店の中とあまり変わらない。

2003年の猛暑で数万人の人が亡くなった夏には、私は日中、家にいることができず、毎日スーパーの冷蔵棚の前で20-30分涼んでいた。冷房が強力的に冷えるのはスーパーくらいなのだ。

昨日の夜は今我が家に滞在中の友人たちと外食をした。
友人はタイ料理(特にアジア料理)を食べたいと言ったが、ほとんどのアジア料理店は外にテーブルを出していない。店に着いたらMon mari は店の中で食べるのはいやだと言い出した。仕方ないので、次に韓国料理店に行ったら、外テーブルが2つあったのでそこに座ろうといったらMon mari は「韓国料理は熱い」と言い出してパス(冷麺があるよ、と言ったのだが・・・)。彼は自分だけでどこに行くか決めたくないといいながらも、結局ブラッサリーの外テーブルでサラダを食べたいと言い出した。私も友人もしぶしぶ同意した。
でも結局、彼が食べたニース風サラダは超まずかったらしく、さらに不機嫌になった。

クーラーのあるお店に入っていれば、もう少し気持ちよくなれたと思うのだが、暑いと皆がいらいらして不機嫌になる。夫婦や友達もつまらないことで言い合ってしまう。
冷えたところに入ると、気持ちも冷静になれると思うのだが、パリにはそんなことを期待するのは無理そうである。
東京の快適なクーラー生活がとても懐かしい。

2010年7月2日金曜日

劣悪だが寛大な交通マナー

フランス、特にパリの交通マナーの悪さは世界的に有名である。
たとえば上の写真は駐車中の車。
大通りから脇の通りに曲がるその角に車は駐車している。横断歩道と横断歩道の間に駐車するなんて日本でも他の国でも見たことがない。
これは一例だが、パリでは「よくこんな場所に駐車するなぁ」と目を見張ることが多い。
2列の路上駐車もよくみかける。例えば3斜線の道路で、ある一部分で2斜線が駐車で占領されているのだ。誰も文句を言わないところがすごい。
縦列駐車も車と車の間隔が5センチくらいしかないというのは当たり前。他の車のバンパーをぶつけて、きちきちに詰めて駐車するのがパリマナー。
タクシーの運転手もよく曲がり角の真ん中でいきなり止まり、客を降ろす。後ろで運転している者は急ブレーキものである。普通なら、曲がるちょっと手前とか、曲がった後に止まるものだが、曲がっている最中、曲がり角の頂点を斜め状態に停車するというのは他の国でもみたことはない。ある意味、芸術的な行為である。
そうかと思うと、左斜線にいながら交差点に入っていきなりウィンカーも出さず右折することもしょっちゅうである。
皆もこんな環境には慣れっこになっているので、それほどいきり立たない。

一方、歩行者も相当いい加減で、信号のないところの斜め横断は当たり前。
赤信号でも堂々と渡っている人は大勢いる。みんながこのようにいい加減なので、車もクラクションを鳴らして歩行者をせきたてることもせず、渡るまで待っててくれてとても寛大だ。
東京でこのようなことをしたら、ドライバーから怒鳴られだろう。

パリで運転すると、外国人ドライバーも皆、フレンチモードのマナーになる。
ちなみにMon mari の運転も相当粗くなった。そうしないと、パリの道路ではサバイブできないのだ。
この習慣が身についてしまってから、時々英国やオーストラリアでフレンチモードの運転をすると、他のドライバーから怒られて、クラクションを鳴らされることが多くなった。

フランス、特にパリで運転していた人が他国(先進国)に行って運転する場合は、マナーモードを低レベルから高レベルに切り替えなければいけない。