2010年2月5日金曜日

わたしのせいではない

フランス人は何かトラブルがあるとよく、「それは私の責任でない(Ce n'est pas ma responsabilité)」と言う。日本人のように「ひょっとしたら」とか「ふとわが身を振り返る」というのとは程遠い。


先週末から水漏れ対応に奔走している。
パリのアパートの水漏れは年中行事。ビルの中で必ずどこかで水漏れが発生する。私たちにとって水漏れトラブルは今回で3度目である。
昔、イギリスのいくつかのアパートにも住んだが、同じ古い建物でもパリほどの頻度の水漏れは見たことがない。トヨタではないがフランスのパーツか建物の構造的問題があるのか・・・?

先週土曜に、キッチンの横の安っぽいベニヤ板が剥がれ始め、よく見ると湿っぽくなっていた。その壁の後ろには水道管があるので、水漏れを疑い、すぐメーターのドアを開けたら、案の定、上の階から排気口や水道管を伝わってじゃぶじゃぶ漏れていた。

水道管は共有設備なのでさっそく週明けの月曜に管理人のおばさんのところに行き、水漏れ通報した。
おばさんはすぐうちのキッチンに来てくれ「上の家からの漏れね」と言って翌日、配管工を呼んでくれて上の家のパイプが修理された。数時間したら漏れが止まり、パイプエリアは乾燥し始めた。

夜になってお互いの修理代(パイプと壁)の保険請求手続きのために、上の住人の男性がうちに訪ねてきた。Mon mari はいなかったので一人で対応した。最初はこのパイプは共有なので自分の保険で払いたくないと言っていたが、どうも配管工から手前のバルブのあるパイプは個人のもの、後ろの太いのは共有のものと分かれていると説明され、結局彼個人のパイプからの漏れだったので自分の保険でカバーすることに合意した。フランスではこの一連のやりとりは本当に疲れる。お互い、いかに自分が悪くないかということを主張する無実ゲームのようなものだ。

彼は私たちのパイプもいじり、「あれ、このパイプも水で濡れてるよ」と指摘した。よく触ってみると確かに濡れている、でも上からの水滴がまだ残っているかもしれない、と私は言ったが、彼は「君たちも同じように下の住人に漏らしてしまうかもしれないから気をつけたほうがいいよ」と忠告した。多分彼は私たちの方の漏れも疑っただろう。でも私はフランス式にこの漏れと壁の損傷は「私の責任ではない」と主張し通した。事実、上からの漏れがあったのは確かなので・・・。

それからしばらくして自分たちのパイプを観察したが、蛇口を使わないとパイプは乾燥して正常。水を出し始めると、なぜか個人用パイプが濡れ始め、共有パイプも上下に濡れる。明らかにうちの蛇口との関係がある。
Mon mari にこれを言うと、彼はフランス人をさらに凌ぐ勢いで「もしうちの漏れがあるなら、共有パイプの上の部分まで濡れない(水は上に行かずに下にいくという理屈)、だからうちのせいでない、これは漏れでなく単なる結露だ」と強く主張する。彼はエンジニアなので「科学的根拠、一般理論」に基づいて演繹的に説明する。
一方私は社会学者的視点から理屈でなく「観察して現象を見て」何か別の理由があるのではないかと推論し(例えば水圧で水が共有パイプの上にもあがるなど・・・)、帰納的に結論を出して主張する。「科学者はすぐ簡単に既存の理論だけで片付ける」「社会学者は回りくどく、独りよがりの理屈で話をまとめる」と二人の意見はぶつかり、昨日は大喧嘩になってしまった。心配性の私は下の住民から文句が来る前に何とかこちらのパイプを直さないとと思うものの、科学者は自分たちのパイプは壊れてないと言って譲らない。

こまったものだ、水漏れ戦争はまだまだ続く・・・

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