2009年8月30日日曜日

マルシェとサンデー・ランチ

パリのあちこちの街角にはマルシェ(市場)がある。生鮮食品から衣料品雑貨や家具まで、庶民の生活に欠かせない存在だ。私も毎週末にはMon mariと近所のマルシェに足を運び、サンデー・ランチのおかずや1週間の必需品を買う。大体毎週お馴染みの店で同じものを買う。品揃えは豊富なのでスーパーよりは選択の幅がひろがる。同じ物でも価格は店によって異なるが、概してマルシェだから安いということはない。

正直言うと、私たちはフランス人のように自由に食材をあやつれるほどその知識やレシピがないのが悩みである。例えば肉屋。とにかくすごい種類の肉の部位がある。初めてパリに来てマルシェや街の精肉屋に行ったとき、ただただ圧倒されてしまい、何を買っていいのかわからなく立ちすくむだけだった。鶏肉だったら、もも、手羽、ささみ、胸、レバーなど、私の知識レベルでOKだが、牛、豚の大型動物の世界になるとお手上げだ。同じステーキ肉をとってもサーロインやフィレの中でも異なる種類が色々あり辞書で単語を調べても違いがよくわからない。ということで、結局平日にスーパーの棚でわかりやすい部位の肉を買っている(涙)。

魚にいたるともっと難解。同じタラやタイでも色々な種類があり(要は松竹梅のようなグレード)値段も大きく異なる。その他日本で見たことのない魚も多く存在する。

果物や野菜も同じ。りんごもジュース用、アップルパイ用、フルーツサラダ用があり色や味も異なる。トマトもサラダ用、ソース用、スープ用など使用用途によって大中小、異なる形状がある。

今日立ち寄ったオリーブ・ピクルス・ショップも左の写真の通りの品揃え。オリーブといったら単に黒と緑しか知らなかった私は最初、どれを選んでいいのかわからなかったが、あれこれ買って、ようやく自分の好みがわかってきた。

肉屋でも魚屋でも店員が食材に合わせたレシピを親切に教えてくれるのがフランス式。が、私の乏しいフランス語レベルではまだハードルが高い挑戦だ。そしてフランス人は日本人や中国人と同様にゲテ物好き。豚の耳や皮をはがされたウサギはグロテスク、鳥のつま先も勿論あるし、それとなんと白子もあるとか・・・。

ということで、今日のサンデー・ランチは、写真のとおりフランス版プラウマンズ・ランチ(農民の昼ごはん)。野菜、チーズ、カラマータ・オリーブ、サンドライ・トマト、ハム、そしてバゲット、と全てマルシェから買ってきた新鮮なものばかり。

そうそう、もう一つ。フランスでは肉は全部、塊(かたまり)になっており薄切り肉というのがない。薄くても最低1センチの厚さはある。薄切りの肉は痛みが早いと考えられてあまり好まれないらしい。なので、薄切り肉を手に入れたい場合は少し離れた韓国食材店に行かなければならない。

で、カロリーコントロールを考えて、最近肉を薄く切るためのスライサーを買った。ドイツRitter社の家庭用スライサーである。1ミリ、2ミリも簡単おまかせ、なかなかの切れ味で大活躍。自宅でカルビ焼きや豚しゃぶサラダが満喫できるようになった。

2009年8月25日火曜日

行列の文化

オーストラリアへ向けてパリを出国した際の話。

折りしも、夏休み真っ盛りなので当然空港もラッシュ。出国審査も写真の如くすごい行列状態。日本ならこんな風になると数人の職員が追加動員され搭乗時間に間に合わせる努力を見せるだろうが、さすが「効率」という概念が存在しないフランス。出国審査エリアから行列は溢れ出し円形のターミナルの通路を一周か二周するほどになっても、審査職員は3人のみ。フランスにいると、こういう硬直した対応にも怒ることなく慣れる、というかあきらめの境地になる。私も昔に比べ随分、我慢強くなったと思う。

列を並ぶのも、国や文化により異なる。欧米人は厳格に守り、じっとこらえる。行列の割り込みは途上国でよく体験する。日本でもたまに見かける。今回、チェックインカウンターで並んだ時、後ろにロシア人(ロシアはもう途上国ではないが)のおじさん二人がいた。その時から、私の先を越そうとしたので「あなたは私より後ろでしょ!」ときつく言ったら、「ああー、そうだった、ごめん」とわざとらしく弁明。その後、出国審査、荷物のセキュリティチェック、搭乗の場面ですべて私よりずっと後に並び始めたのに、大きな声でしゃべりながらどんどん列を割って前に進み、必ず私の後ろにぴたっとくっついて来るのだった。さすがに私を越すことはなかったが、もうここまで来ると猿飛佐助も顔負け、列割りをするおじさんたちの忍者スキルに私は脱帽してしまった。

もう一つ、これも途上国でよくあるのが、後ろに並んでいる人が、ぴたっと自分の身体にくっついてくる。身体に触れられるのが不快だから、後ろを振り返ってキッと視線を送るがあまり通じない。人との距離感がどうしてわからないのかとしばらく不思議に思っていたが、最近ようやくその理由がわかった。つまり彼らは前の人と少しでも隙間を作ると誰かに割り込みされると思い、ぴったしくっつくのだ。途上国では行列そのものがない場合が多く、人の塊の中に入りどんどん押しのけて前に進んでいかないと永遠に自分の番が回って来ない。

よく考えると、私の母もそういう傾向があった。並ぶと私の身体にぴったしくっつく。母は戦時中、食糧配給などを経験し、生存競争に勝つためにたくさんの行列に並んできた。列に隙間をあけて割り込みされると物が得られなくなる、そういう環境は貧しい国に共通するのだろう。ということで、最近はぴったしくっつかれても彼らの染み付いた習慣を理解できるようになったので、私はあえて抵抗しなくなっている。

2009年8月21日金曜日

熟考:女性の健康

今回のオージー訪問中、メルボルン大学で「女性とエイジン グ(加齢)」をテーマとした1週間の集中講座を受けた。将来の自分の問題でもあるので前から受講したいと思っていた。昨今、アンチ・エイジング(抗加齢)が華々 しく注目されてるが、老いを悲観したり否定する「抗」ではなく、いかに老いを自然に受け入れウェル・エイジング(良い加齢)を目指すかを焦点にした講義だった。洋の東西を問わず、老人差別主義や高齢者への否定的な固定観念が社会に深く浸透している中、若い頃から老いに関して否定的、差別的なイメージや態度を持っている人が老いると、辛く不健康な老後を送る傾向が高くなる一方、日頃から老いを肯定的に、前向きに受け止めている人は比較的健康で幸福に老いを迎えるという研究結果が紹介された。心に染みるいいメッセージだった。

講師はマギー・カークマン先生。今回はエイジングを教えてくださったが、ご専門はリプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康)。実はこの先生、オーストラリアで一番最初に代理母から子どもを授かった女性である。先生ご夫妻とも不妊症で、マギー先生が40歳の時に彼女の実の妹さんが代理母となって長女を産んだ。精子はご夫妻の知人からの提供、卵子はマギー先生自身から採取、だけど子宮は妹さんから借りる、という複雑な背景があった。当時は1988年、まだ生殖補助医療(ART)や代理出産などへの理解も浅く、差別や偏見があった時代で、当然マギー先生は社会から痛烈に非難された。しかし彼女は逃げも隠れもせず社会と闘い、ARTや代理出産のあるべき姿を市民や政策立案者と徹底的に議論し、議会やメディアにも頻繁に登場し適正な対策を訴えてきた。彼女の活動貢献の結果、最近やっと国が代理出産に関する法律を制定した。オーストラリアでは、金銭の授受が発生する代理出産ビジネスを禁止し、代理母になれる人は近親者のみに限定しているそうだ。

マギー先生のお嬢さんは今年21歳、講義の最後の日に先生とお嬢さんと一緒に食事をしたが、自分の出生の事実を早い時期から教えられ育ったので、世間から注目を浴びても成長過程での混乱はなかったそうで、両親や叔母(出産した妹)とも良好な関係を築いているとのことだった。

日本も代理出産が数件報道されており、担当した産婦人科医が非難されているようだが、今回同じコースを受講した日本人の医師や看護師らによると、日本では報道されているよりもっと多くの代理出産が潜在的に行なわれているとのことだった。例えば、代理母が偽名(代理を依頼する母の名)を使い、偽名のカルテや出産証明書を使い出産しているという可能性があるらしい。話を聞いて恐ろしくなった。もしそれが本当なら、もう代理出産の倫理的是非を議論する段階でなく、存在する現実として認識し、日本もきちんと法整備をして不正な代理出産が水面下で横行しないような対策を取ることが先決と強く感じた。

写真左がマギー先生、修了証を手にしている私の右はアドミン担当のアイナさん。

2009年8月20日木曜日

リハビリ療法師ハナちゃん

以前話したように、私は犬が苦手である。嫌いではないが恐怖心が残っている。遠くから見る分には可愛いと思うが、自分から進んで触ったりじゃれ合うのは論外である。

我がブッシュ・ハウスのお隣の家に、ボーダー・コリーのハナちゃんというメス犬がいる。お隣とは仲良しなので滞在中は頻繁にお邪魔する。ボーダーとは、もともとイングランドとスコットランドの国境(?)に棲息したのが由来とか。コリーというとちょっと気取って颯爽と街をお散歩するイメージがあったが、本来は牧羊犬なので野生的ですごい頭がいいらしい。

で、このハナちゃん、犬が大の苦手の私に何故か「遊んで、遊んで!」とまとわりつくのである。「しっ、しっ」と追い払っても(猫じゃないか・・・?)写真のように私を凝視して立ち去らない。猫なら猫嫌いの人間はすぐ察するのだが、犬はそういう臭いは利き分けないのかしら?

とはいえ、田舎の生活では犬は必須のパートナーらしい。まず、家や人間を守るために番犬はどこの家にもいる。いずれこのブッシュに住むなら、最低一匹は必要と皆から言われ、少し暗い気持ちになった。ちなみにこの村で猫を飼っている家はいないとか、本当か、ちょっと信じられない。

ということで、私は今過去のトラウマを払拭すべく、やさしくて頭のいいハナちゃんから一生懸命リハビリ治療を受けている。顔がひきつりながらもハナちゃんのベロベロのよだれやマーキングに慣れながら、恐る恐る触ったり撫でたりして、努力と忍耐の日々を送っているのである。

2009年8月18日火曜日

ガジェットいろいろ

今日は家庭電化製品のお話。

海外に住んでいると、日本のウォシュレットが恋しくなる。日本人で使っている人は日本からシートを買ってきて自分で設置しているようである。アジアやアメリカの西海岸は現地生産してかなり普及していると聞いたが、欧州やオーストラリアでの需要は皆無に近い。ブッシュ・ハウスの建設を計画する際にウォシュレットを日本から持って来ようかと思ったが、トイレのサイズや電圧の関係でかなり難しいとわかり諦めていた。しかし日本に在住経験のあるオージーがその快適さに感動して日本から買ってきて自分の家に設置していることを知り、彼に連絡した。彼はTOTOを8年使用して壊れた後、韓国の会社がオージー用ウォシュレットを製造しているのを知り、個人輸入した(こちらではTOTO社は製造してない)。で、私も彼から一つ購入した。ほとんどのオージーはこの偉大なガジェットを見たことがなく、皆、驚き、興味深く眺めていた。配管工も取り付け経験がないにも拘わらず、説明書を一生懸命読んで、頑張って上の写真のように設置してくれた。

それで使用感は・・・? 冬の寒い日に暖かいシートは最高、ただしノズル水圧は一番弱にしても日本より強い気がする。ドライエアもあまりパワフルでない。TOTOのウォシュレットのレベルには達しないが、無いよりははるかに良いのは言うまでもない。Mon mari もとても気に入っている。

もうひとつのガジェット。ミニ冷蔵庫をキャンプ生活用に買った。この冷蔵庫、何故かNEC(日本電気)製なのである。NECの冷蔵庫など見たことないので、感動してしまった。NECに勤める身内がいるので、海外では家電を作っているのか聞いてみよう。たまに日本ではあり得ない製品を海外で売っている日本企業を見ると、彼らのグローバル市場戦略は国内とはかなり異なることがわかる。

2009年8月16日日曜日

ブッシュ・ハウス

オーストラリアでは、田舎のことを総称して「ブッシュ」という。文字通り、ユーカリの木がうっそうと生い茂って、藪のような場所だらけである。明らかにヨーロッパの生態系とは違うのは素人でもすぐわかる。ということで、田舎の家は、「カントリー・ハウス」というようなメルヘンチックな言い回しでなく文字通り「ブッシュ・ハウス」と垢抜けない表現になる。

私は週間、メルボルン大学のコースを受講した後、昨日からメルボルンの南西に位置するグレート・オーシャン・ロード来ている。このエリアに、私たちはまさにそのブッシュハウスを建てている。やっと外枠だけが完了。今、外側の壁のペンキ塗りをMon mariと彼の友人、私とでやっている。先週、男性二人が主な場所をやってくれて、私は窓枠など細腕が必要な、マイナーだけど高度な技術のいる部分を担当している

右下の写真のように家の中から見ると外は牧草地帯。右の地平線上にうっすら青く見えるのが海。隣の住民は牛や羊。今日は雨でお出ましされてないが、晴れた日は数百頭が放牧される。牛の搾乳時間の移動は見事だ。数百の牛が道路を渡り、自分の納屋に向う。都会育ちの私は目にしたことのない光景で最初はすごく興奮した。

家の中はまだ壁もなくスケルトン状態。とりあえず、水と電気が通じたので、寝袋持参Camp outしている。特殊ガラスを使っているのでかなり断熱効果はあるが、やはりここまでのガラス張りで、を仕切る壁がないと冬の夜は結構冷える。あと二日、壁塗りとベランダ塗りをして今回はオーストラリアを離れる。次は年末年始までに室内の壁を作ってもらい、その後、私たちの第二回目の壁のペンキ塗りが待っている。

さて、今日は随分働いたので、これから夕飯にしよう。今晩はスパゲティ・ペスカトーレかな?

2009年8月13日木曜日

メルボリング・ポット

最近驚くのが、メルボルンの移民の急激な変化だ。少し前は東、東南アジア系移民が多かったが、今回飛行機の中、空港、そして街中にインド、パキスタンなどの南西アジア系が激増しているのを感じた。一瞬、ニューデリーあたりにいるような錯覚に陥る。少し前に、「カレー・バッシング」といわれるインド系住民への襲撃事件がメルボルンで起こり、大きな政治、社会問題になった。人種間の緊張がかなり高まっているのをしばしば耳にする。メルボルンのダウタウンを歩くと、もうアジアの匂いで一杯だ。通行人も半分以上はアジア人、お店、特に飲食店はアジア料理のオンパレード。そして少し北に行くと、イタリア人、ギリシャ人街があり、南欧の陽気さを思いっきり肌で感じる。私は今、イタリア人街の一角に滞在している。ホワイト・オーストラリア(白豪主義)は都市部ではもう通用しないと思った。

今日は不思議な店を発見した。上の写真のジーンズショップは、「正真正銘の日本のビンテージ・デニム」を売っているらしい。日本人として思わず店のショー・ウィンドゥの前に立ち止まって、しばらく沈思した。和装の女性とジーンズが一体どういうつながりがあるのか・・・。江戸時代風味のデニムでも売っているとでも言いたいのか?このように摩訶不思議な店があちこちに点在する。

街角のところどころに目にする立像も遊び心があっておもしろい。右上の写真はバス停の前に立つ通勤男性3名。下のオブジェは図書館の前に埋もれた屋根の一部。誰にも気づかれずひっそりと存在する像だが、私はとても気になる。これらが何を意味するのかは見る者がそれぞれに解釈するのだろう。

2009年8月9日日曜日

G'day!

オーストラリアのメルボルンに到着。いやいや、いつも来る航路だがとにかく長い。パリからだと24時間近くの移動。東京からアフリカに行った時にかかった32時間の旅に次ぐ、地の最果てへの道のりといったところか・・・ だんだん老骨に鞭打って旅している自分を感じる。

南半球のこちらは今は冬。日本で言うと、11月から12月くらいの気候かな。

オーストラリアは英語圏といっても、独特の文化、表現、物の見方があり、ちょっと一味ちがう。例えば、挨拶で交わす最初の一言は北半球の英語圏だと「Hello!」だが、こちらでは「Good Day!」(表記はG'day、発音はGudei という感じ)。

「でも、全ての人がいつも良い日を過ごしているわけでなく、悪い日もあるのにどうしてそんな言い方をするの?」とMon mari に聞いたら、「君、今日もいい日を過ごしているかい?」という形式的な意味が込められているとのこと。随分、おせっかいな挨拶だな、と思った。

また、多くの名詞の語尾に「ie (イー)」がつく。例えば、オーストラリア人はオージー、バーベキューはバービー、フットボールはフッティー、モスキート(蚊)はモジー、ホット・ウォーター・ボトル(湯たんぽ)はホッティー、などなど。あと、英国人はりんご(Pomme)のように赤いほっぺたをしている(いた)、という比喩から、ポミーと言われる。

オーストラリアは南太平洋の下、ほぼ南極に近い。どうしても世界から隔絶し、忘れられてしまう存在。で、Down Underなんていう欧州の帝国主義的なものの見方に断固抗議する意味で、上の画像のような「逆さの世界地図」を作ってしまい、オーストラリア独自の世界地図として立派に存在する。オーストラリアが北半球で世界の中心になっているこの「Top Up」(?)な地図、私は結構気に入っている。

そう言われてみると、地球は丸いのになぜ欧州、アメリカ、日本などは北半球なのか?南になってもおかしくない。日本が東、ヨーロッパが西というのも随分勝手な解釈だ。職場のようにたまには配置転換してもいいと思う。

ということで、メルボルン市内、近郊に滞在する予定なので、また折々にオージー生活の報告をいたします。

2009年8月7日金曜日

日本語渇望と散髪

最近、独語(ドイツ語ではない!独り言)が増えている。アブナイ、アブナイ・・・
日本語を話す機会が少ないので、一人でブツブツ日本語の世界に浸る・・・たまに日本人と会うと、すごく嬉しくて会話がはずむ、というか立て板に水の如くしゃべりまくる。

先日、日本人のお宅にお邪魔した。目的はヘアカットと日本語でのおしゃべり。

海外にいると、よい美容師さんにめぐり会うのは難しい。技術云々というより、日本人の髪質や好みのスタイルを理解している現地の美容師は少ない。黙って相手に任せていると東洋人というイメージだけで市松人形の如く、時代錯誤な姿にされてしまう。
ということで、途上国以外の海外にいる時は可能な限り日本人の美容師さんを探す。パリでも何人かいるようだが、去年やっといい方にめぐり会えた。

上の写真は、トモミさんと、可愛いお嬢さんのナオミちゃん。トモミさんは、ファッション雑誌の写真撮影にアテンドするヘア・デザイナー。パリにいる世界の トップクラスのモデルさんのヘアメイクをしているそうだ。そんな方が私の針金頭を丁寧に散髪してくださり、ほんとこの上なく有難く、光栄である。そして、 髪を切ってもらう間は、途切れない愚痴と世間話。溜まっていたものをはき出して髪とともに気持ちもすっきりした。

ダンナ様はアルゼンチン出身のデザイナー。現在パリのオペラ・ガルニエ近くに10月オープンする予定のユニクロの仕事に携わっておられる。ユニクロは日本ではすごいブームだけど、ヨーロッパ受けはあまりよくないようで(ロンドンは今ひとつ)、パリではどうなるかと期待と不安が混じっているそうだ。私も10月になったら、オープニングをのぞきにいってみましょう。

ということで、今回は下のようにすっきりカットしていただきました。ありがとう、トモミさん!


2009年8月5日水曜日

グリーン・フィンガーズの悩み

先週末、Mon mari (夫)の親しい同僚の退職送別会に招かれた。場所は同僚の友人が所有するノルマンディーの田舎の週末用ハウス(何と贅沢!)。同僚は勤続30年だが、大げさな送別会はせず、極親しい友人を8人ほど招き、アットホームな宴を開いた。
フランスの田舎の家はいつも外から見るだけで、ホテル以外には訪ねたり招かりしたことはなかった。この家は築150年、天井に何本も古い梁があり、元は農家 だったので屋内には穀物庫まである。歴史の匂いを残しつつ改築に改築を重ね、今は素敵なコテージになっている。フランスの家と言っても家主は英国人なので、目を見張るほと美しいイングリッシュ・ガーデンを作り上げていた。ただ、鑑賞する者の感動とは裏腹に、持ち主にとってこれほどの庭を手入れするのは相当大変なようだ。相手は生き物、毎日面倒見ないとすぐ枯れたり虫がつくので目が離せない。家にいない時は友人や近所の人に世話を頼んでいる。家一面に生い茂っているツタはとても素敵だが葉から甘い汁が出るらしく、たくさんのスズメバチがたかっていて追い払うのに苦労していた。

上の写真の中央に見える高いポプラの木は数年であっという間に伸びてしまい、隣の住人から長すぎて陽がささないから伐採して欲しいと苦情が出たらしい。家主はこの木は自分が越してくる前からあったので責められる筋合いはない、と不満を漏らしながらも、仕方ないので近いうちに庭師によじ登って、チェーンソーで半分くらいに剪定してもらうそうだ。このように庭木が近所との摩擦の火種になることもしばしばとか。庭は本当に手間もお金もかかるので良し悪しね、とため息をついていた。

美しい庭づくりをしている人は、グリーン・フィンガーズと呼ばれ、人々から尊敬の念を受ける。でもその誇りの陰では日常的に多くの苦労や悩みを抱えて、心身の負担になっているの がよくわかった。ちなみに私は幸か不幸か「ブラウン・フィンガーズ」の部類なので、そういう悩みを抱えることはない・・・だろう。
(テーブルの一番奥の女性が送別会の主賓のマリー・ルウ、一番手前の女性が家主のステラ)

2009年8月1日土曜日

誰か教えてあげて・・・

パリの街にはあちこちに日本食レストランが軒を連ねている。どうしてこんなに・・・?

理由は1つ。
ある時、気がつくとパリに中華料理店が異常に増えてしまった、フランス政府は、フレンチ料理を凌ぐシノワの勢いに脅威を感じ、「これ以上、パリでの中華料理店の出店は認めない」というお触れを出してし まった。それ以降、中華出店にあぶれてしまったチャイニーズは、何故か日本食に流れた。幸いにもこちらは昨今の健康ブームに乗っかり、どこも大盛況となっ た。
もちろん、日本人シェフがいる正真正銘の日本料理店や、シェフが日本人でなくても限りなく日本の味に近いものを出す店もあるが、新参組の多くは「なんちゃって」日本料理。

で、我が家の近くにもレストラン・ジャポネが3軒ほどある。メニューはどこも一緒、寿司と焼き鳥がメイン。
味は・・・? コメントはやめておこう。
が、 どうしても理解できないのが、店の名前。左上の写真は3-4年前にオープンした近所の店の1つ。「とかいど」という名前なのだが、漢字併記もないため極めて不可解な日本語になっている。多分、「とうかいどう(東海道)」と言いたかったのかもしれないが、誰からも正確な日本語を指摘されないまま今日に至っている。

上の写真は今日、ポストに入っていた寿司の出前のチラシである。
「Makayo まかよ」とは何なのか?意味なく勝手に日本語っぽくゴロあわせしたとしか思えない。

以前、確かオーストラリアだっと思うが、町を歩いていたら、「Geisha (芸者)」、とか「Kamikaze(神風)」という店があった。見た瞬間、その言葉の背後にある意味を色々と連想してしまい、とても不快な気分になっ た。こういうのは Politically Correct なネーミングと言えるのだろうか?日本ではこのような名前の飲食店を目にすることはまずない。

本格的な味までは望まないから、せめて意味が通じて、物議をかもすことのないような名前にしてもらいたいといいたくなる。

という私も、実は見て見ぬふりをして通り過ぎている無責任な日本人であるのだが・・・