2009年10月6日火曜日

ドイツ探訪:わんこビール

先週末にちょっと用事があり、ドイツのケルンまで行ってきた。ケルンはドイツの西部の都市、ドイツ語ではKöln (コルン)、英語ではCologne (コロン)と発音する。ケルンまではパリから車でベルギーを通過して約5時間(500キロ)の旅。

ドイツというと、ビールとソーセージ。
ホテルの界隈で一番おいしいドイツ料理の店を聞いたら写真の店、Päffgen (パフカン)を薦められた。
レストランかと思って中に入ったら、なんと「ビアホール」だった。

日本でビアガーデンとかはよく行ったが本場のビアホールに行かれるなんて思えなかったので、すごく嬉しかった。
古い建物の中には、大小の部屋が5つか6つ位あったが、土曜の夜だったせいか、満員御礼。入り口でウェイターに席を案内される必要もなく、中にずんずん入り空いている席に勝手に座る。

下の写真は、一番大きな部屋の雰囲気。人がすし詰め状態。ビールを飲みながら、大きな声で陽気に話すドイツ人を初めてみた。

座ると注文もしないうちに、いきなり、ウェイターのおじさんがビールを持ってきた。ドイツ語で何というスタイルなのかわからないが、とにかく皆、同じビールを飲んでいる。下の写真のように、おじさんは20個くらいのグラスが入るビアホルダーをもって、あちこちのテーブルを回っている。ビールを飲み干すと、空のグラスと交換に新しいビールを置いていくのだ。いわゆる、日本にある「わんこそば」みたいなもの。最後、もうお腹一杯で降参となったときは、グラスの上にコースターなどを置くと、そこで追加ビールはストップされる。

それはそれは、皆さん、すごい豪快に飲んでいた。私も「わんこビール」なんて初体験だったので、不思議といつもよりたくさん飲めてしまった。

とにかく、このビール、冷たくホロ苦くてほんとーにおいしいのである。イギリスのパブで飲む、ぬるっとしたようなラガービールでなく、日本人が好む、あの喉ごし爽快、ぴりっというビター味。やっぱりドイツビールは世界一だと思った。

グラスは結構細くて低い。泡がたくさんあるので、200ml も入らないくらいの分量。おじさんはビールを置いていく都度、コースターに飲んだ印を書き留めていく。右のグラスのコースターにある線、これが私たちの飲んだ分。10本線があるので、10杯ということ。一人、5杯、まあ大のビアジョッキ、1杯半か2杯くらいかな?


2009年10月1日木曜日

お客様は神様

あぁ・・・家が恐ろしい程、ちらかっている。アメーバーの如く物があちこちに拡散している。物を片付けるという行動を夫婦とも失っている。
英国人は過去の世界に住んでいるので、Mon mari は古い物を捨てられず、どんどん溜め込んでいく。この悪循環、断ち切りたい。一つ購入したら一つ捨てる、このゼロサム・ゲームを実践するのよ、と口すっぱく言っているが彼にはどこ吹く風。

家がいよいよ世紀末状態になったとき、どうやって Mon mari に片付けをさせるか・・・

唯一の効果的な方法、それはゲストを呼ぶこと。
お客が来るとなると、否応なしに片付け(少なくともリビングは)をしなければならない。だから月一回はゲストを呼ぶように心がけている。我が家では、お客様はお掃除を助けてくれる神様ということになっている。

今日の女神はペニーさん。イギリスの会計検査院からOECD(経済協力開発機構)のDAC(開発援助委員会)に出向中、援助審査課で働いている。今年は、日本のODAが評価される年で、10月に対日援助審査のインタビューで東京に行く。そんなんで、外務省、JICA のお話から始まって、果ては京都、日光、鎌倉、秋葉原、新宿、歌舞伎町の話まで発展した。日本に行くのをとても楽しみにしている。

上の写真にある四角い食べ物は、特製「アールグレイ・プリン」、紅茶好きの英国人には大好評だ。

さて、次の世紀末の時期にはどの神様を呼ぼうかな・・・? 

2009年9月30日水曜日

パリ式引越し

前回のバイク事件から少し気を取り戻して・・・ 今日は、朝の窓から見えたパリの一風景。

パリはアパートの街である。市内で1軒屋というのはほとんどお目にかかれない。古い建物も多く、エレーベーターがなかったり、あっても昔のジャバラ式の2人くらいしか乗れない小さいものである。我が家のアパートは70年代の比較的新しい建物だが、エレベーターには3-4人しか乗れない。大きな物をエレベーターで運ぶのは不可能である。
なので、パリのアパートに住む人の引越しは大変、というか工夫が必要。
上の写真は、うちの後ろのアパートの今朝の引越し風景。中から物を運ぶのでなく、外から長ーいはしごを窓まで延ばして、荷物や家具を電動リフトで降ろす。この風景、他の都市ではあまり見られないパリ独自の引越しスタイル。日本やイギリスでも見たことない。

下の写真は地上風景。冷蔵庫の上で退屈そうに荷物を待っているお兄さん。トラックに立っているお兄さんも「早く降ろせよ・・・」と言わんばかりのポーズ。


大きい本箱だ。よいしょ、よいしょ、落とさないでね~。


無事、降下開始。しっかり、下で受け止められた。2時間くらいで全て終了。
パリ式効率的な引越し方法。
これぞIndigenous Knowledge and Technology (先住民の知恵と技術!)。

2009年9月28日月曜日

4台目・・・

先週、Mon mari がサセックス大学の会議のため渡英した。私は家で留守番、日曜の深夜に彼が戻ってきた。会議のあと、週末に買い物をして来た。その物とは中古バイク。Yamaha SRX 600。

前から欲しがっていたバイクなのだが、まさか買うとは・・・もう言葉が出ない。
トレーラーに積んで牽引して、例のチャンネル・トンネルの電車に乗って、400キロ以上の道のりを運んで持って帰ってきてしまった。

クラッシックバイクの愛好者なのだが、これで4台目。実はアパートのリビングに一台 (Harley)、書斎に一台 (Esso) をオブジェとして置いてあり、地下の倉庫にもう一台レース用 (Ducati) がある。ここまで来るともう完全にビョーキ。

来年の夏はマン島のTTに参加すると張り切っている。勝手に1人で行ってくれ。

悪い夢を見ているようで目まいがするので、今日はこの辺で寝ることにする。また明日、頭をリセットして考えよう・・・

2009年9月26日土曜日

グリーン・トマトのゆくえ

アパートのベランダはミニ・キッチン・ガーデンになっている。今年もトマト、チリ、小松菜、バジル、ミント、チャイブなどなどが元気に育って、実が成ってくれた。

トマトは数百という数が取れたが、先日ついに最後の収穫になった。しかし、太陽が十分に当たらなかったトマトは赤くなれなかった。

この緑のトマト君たち、どうしよう・・・
捨てるのは不憫だ。コンポストも作ってないから、再利用もできない。

試しに一口食べると味気なくまずい。ジャムやコンフィチュールを作ろうにもこのまずさでは無理だな・・・と悩んでいたら、Mon mariがさりげなく、「Chutney (チャツネ)を作ってみたら?」と言った。

Oh、クッド・アイデア!あれこれのスパイスを混ぜれば、まずさは消えるだろう、と思って、早速挑戦した。結果は下の通り。見た目は何となく気色悪くてまずそうだけど、口にすると絶賛できるほどの出来になった。その日の晩はBalti カレーを作り、このチャツネを添えにしたが、正直カレーよりはるかに美味だった。ありがとう、グリーントマト君!

2009年9月23日水曜日

カレー市:陰の部分


前回と異なり、今日はカレー市が抱える深刻なお話・・・。
世界的にはあまり知られてないのだが、カレーは現在多くの外国人の対応に苦慮している。実はこの小さな街には今、アフガニスタン、イラク、エリトリアなどから来た、およそ1000人の避難民(Asylum Seekers)がいる。彼らは街のはずれにある「ジャングル」と呼ばれる雑木林にビニールシートや廃材などを使ってテントを張り、野営生活をしている。全員の目的は英仏海峡を越えて英国に行くこと。そのために、命の危険を冒しても、海峡を渡る大型トラックの車体の下や荷台に隠れて、国境越えを毎日毎晩、何度となく試みている。以前は高い成功率だったようだが、最近は英仏の海峡チェックが相当厳しくなり、検問でほとんど捕まっているようだ。

英国に渡りたい理由。それは英語圏で経済的チャンスを得ること。家族や親類が呼び寄せているケースも多い。また多くの避難民は若者、もしくはUnaccompanied Minors と呼ばれる単身の未成年の青少年や子どもたち。

この現象は2000年初頭から始まり、当初はクルド人が多かったようだ。一時は1500人近くに増え、カレー市の一角に収容所を作ったが、その収容所が半永久化して批判を浴び、また多くの者は英国に定住、もしくは本国帰還となったので収容所は閉鎖された。しかしそれ以降も避難民の流入は増え続け、国籍も多様化した。彼らのほとんどはフランスでの庇護や定住を求めていないため、早く彼らを出したいフランス政府と、受け入れを渋る英国政府との間で新たな緊張関係が生まれている。

現在、彼らはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、赤十字やフランスのNGOなどにより、食事などの最低限のサービスは受けているが、「ジャングル」は非衛生的で人間としての扱いを受けていないという国内外からの批判を受け、フランス移民局は今日、「ジャングル」を強制撤去、避難民を新たに設置した収容所に移動させた。BBCやCNNで、必死に抵抗する避難民たちが大々的に報道されていた。

以前、私たちもカレー市を車で走っていたとき、数人の男性が突然道路に飛び出してきて、前に走っているトラックに飛び乗って、荷台にしがみつく姿を見て驚いたことがある。その時は何のことか理解できなかったが、必死に海峡越えをするための避難民だったことが後でわかった。

アフガン人に関していうと大部分の避難民ははタリバンから迫害されたと訴えているようだが、小さな子ども以外は、英国やフランス政府からの難民認定は受けられないと言われている。

自発的な帰還以外、強制送還の道しか残っていない。彼らの前途は非常に厳しい。
(詳しくは以下の動画をご覧ください)。

2009年9月18日金曜日

カレー市:光の部分

前回に続いて、フランス北部のカレー(Calais)市についてのお話をちょっと・・・
カレーはドーバー海峡をはさみ、イギリスに一番近い港街。なので、フェリーやチャンネルトンネルなどの終着点として有名である。もともとはフツーの田舎の街、特段何もないところ。目だった産業や観光もない。

まあ、あえて言うと、まずトンネルが始まった街として、記念物的な扱いになっている。上の写真は、町の交差点に突然現れる、本物のDrilling Head (掘削機の頭の部分)。頑張って掘ったトンネルを記念して実際に使った機械の一部が飾られている。フランスの誇りのよう。
英仏海峡トンネルはおよそ38キロメートルで、世界一長い海底トンネル。60年代に計画策定を開始、70年代後半に掘り始めて、途中中断もあったが90年貫通、94年に開通式を迎えた、苦労を重ねて掘りあげたそうだ。ちなみに、日本の技術も取り入れられたとか、確かプロジェクトXで放映していたように記憶している。


もう一つ、カレーは免税ショップが有名だ。イギリスからフランスに渡る最初の玄関として、あちこちに免税ショップがオープンした。主に、お酒、たばこを扱うWarehouse的ショップだ。一時期は、安い酒を求めに、英国人がフェリーやChannele Tunnelで免税店に押しかけた。朝、フォークストンやドーバーを出て、お昼頃到着、お酒を買って、おいしいフレンチ料理を食べて、夕方また英国に戻る、そんな日帰り旅行が数年前まで大流行した。しかし最近は景気後退と、ポンド安で、英国内とカレーの免税店の価格がそれほど変わらなくなったため、英国人観光客は激減、多くの店は閑散として閑古鳥が鳴いている。写真の店は、私たちがよく行くOdd Bins。倉庫のようなところにフランスだけでなく、世界中のお酒が山積みされている。私たちはいつもここで、オージーワインを買う。ちなみにこの日の客は私たちだけだった。